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断捨離でなく、整える

この数日、庭木の剪定を行なっています。

自宅に戻り、「断捨離した」と言ったことで一悶着ありました。

断捨離という言葉じゃないだろ、と。

袋数個分の枝を切ったり、枯れた木を抜いたり。してたわけですが、これは断捨離と言ったとたん、かなりのケンカ状態になってしまいました。

断捨離と一口に言っても、人によってやることも規模も違います。家にあるもの全部捨てる動画も、たくさん上がってるけど、そもそも断捨離を提案された方が、断捨離は無理にすべきではないとか、特定のやり方は提案していません。

ただ言葉が一人歩きしてる感じがある。

聞いたところ、とにかく断捨離という言葉が嫌いだと。
愛着のあるものを切り捨てる感じに聞こえるのだそうだ。

そして、出来た空間が全て幸せに満たされる保証はない。
不幸が入ってくる可能性もある。

何故苦手なのか話し合っているうち、バランスの話になりました。

どうも、断捨離という言葉にはバランスが崩れていくイメージがある、と。

わたしがやっていたのは、はたから見ると「剪定」です。これは、植物のこの先伸びる場所を決めて、切る場所も考えています。
数年経った程度の木なら、ハサミで切れますが、うちにある太い木は、太さ20センチくらいあるものもあります。

ここまで太くなると、個人で切ることは困難になります。
都会ではあまり大きな木を植えていると、悪口を言われたり、ゴミを捨てられたりすることもあります。。

そのイメージにならないよう、定期的に枝の伐採が必要なのです。

わたしの小さい頃、祖父が盆栽をしていて、剪定の大事さを教えてもらったり、生け花を習ったりして、木の立ち姿にバランスという見立てや美しさ、躍動感を生む技があることを知りました。

盆栽は手入れをしないとすぐ大きくなります。もともと10m以上大きくなる木を使ってるのだから、そりゃそうですよね。

バランスを取るのが、剪定の一番の目的です。それは、着地点が美しいこと。

本来なら業者さんに入ってもらう方がいいのだろうけど、わたしのしたいようにしたかったので、初夏と冬、個人的に剪定しているのです。

今のところ、いい感じになったり、勢いが強すぎたりしてますが、とにかく「放置」感が出ないようにしています。

よその方に、こうした方がとは何度も言われましたが、、

いきもの(鳥100%)が勝手におまけの木を追加して、虫やカエル、かたつむりが生息する小さな森になりました。

初のお花、千両のつぼみ(いや、これが花のようです)
今年は頑張る。。万両のつぼみ、鈴蘭のよう

人の手を使う技に、断捨離という言葉は使いたくない。剪定はバランスを追求するもの。

なるほど。。

しかも命あるものですから、植物は。

断捨離という言葉は、自分の服やモノだけにしておきます。
わたしのやっていることの中でも魂を込めるものがあるため、断捨離という言葉は使わない方がいいかもしれない。。

言葉って難しいなあ。。

と思う、修行中のものでした。

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