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癖(へき)~シャドウの統合~

この記事を書くのに、5日かかりました。

わたしの作品には「癖が抜けている」と、子供に言われた。

わたしはいきものが好きで、特に好きなものは虫や鳥、魚、かたつむりなど。
しかし、人形ではそちらをほとんど作っていなかった。

例えば癖を出すなら「イカ、めくったら内臓つき」になるか。
かたつむりなら「あ~んなものを食べている目つきの悪いかたつむり」とか、「引っ張ると中身が抜けてしまうかたつむり」注:元に戻せません
鳥なら「食べ過ぎて喉に魚をつかえているサギ」「こっちをにらむカラス」「大きく育った庭のアゲハ幼虫を地面にたたきつける凶暴スズメ」。。。

あとは、ケンカしてる動物ってすごい多いんです。その絡みも面白いんで、そのシーンもいいな、と。

売れないだろうな、と勝手に決めつけていたけど、これが本当の自分、というよりは、「これが本当の自然なんだ!」って感じかな。

いかに、ふだんの作品が綺麗ごとで上っ面しか出してないかわかる。

洋服着てるのがいるけど、あれは、わたしにとってファッション。猫やうさぎが服着てたっていいじゃん。

でも、最近上っ面だけで作品を作ってはいけない事を、いやという程学んでしまいました。

生き様を見せろ。癖を見せろ。
見せてないから、違う人が来るんだ、と。

わたしの作品の世界は、癖だけで成立出来る。作家はどんな作品を作ってもいい。

最初はわたしも、真似からスタートしている。
わたしの人形作りの今の業態でのはじまりは、人形を売っているショップとの出会い。そこで作家さんの作品を見て、教室に通って、ベアでなく絵の仕事を頂いた。そのため、現役作家さんの影響がすごいです。

売れている作家さんの作品をたくさん見て、素敵な作品はこんな感じだろう、売れている要素を入れた作品という出し方をしていたけど、10年前はさっぱり反応がなかった。

当時の「わたしが作品を作りたい理由」は、「人気作家になりたい」でした。どこかで自分の癖を出さないと、作品が「生き様」にならないと、その他大勢から抜け出せないことに、気づいていなかった。

ずうっと、誰かの後ろを追いかけて、抜こうとばかりしていた。今でも、お客様も知ってる言葉で探すから、キーワードで探すECサイトでは、この罠に作家も落ちやすい。

これでは、生き様をさらけだす作品からかけ離れていくのは当たり前だ。

誰かがやってきた市場に、途中から参加すると、80:20の法則で、だれでもいい方に放りだされ、競争にさらされる。

その結果、自分の本来の好きを極める余裕がなくなり、誰かのコントロール下に置かれたり、得したい客の罠にかかり、かけがえのない作品の値下げを余儀なくされる。

こうやって策に溺れたのが、今のわたしだ。

腑に落ちた。遅すぎたけど。
もちろん、取り返しはいつでもOK👌なんだけど。

ストーリーで語るのもアリだ。
なぜ、あなたは「それ」を作っているのか。(今回は長いので、また後で)

本を読むのも、何故その本なのか。理由にこそストーリーがある。

癖のはじめの一歩は、そんなところにあるらしい。

生きられなかったわたし

もうひとつ、これを突き詰めていて気付いたことがありました。

わたしは「いきものが好きな子」でしたが、動物と一緒には暮らせなかったので「観察専門」になりました。

仕事をクビになって毎朝望遠カメラかついで、登山して撮影したこともあった。撮影した野鳥は200種以上。でも、その際やってはいけない掟がある。

餌をあげないこと、撮影の邪魔になるからと自然を破壊しないこと、ごみはすべて持ち帰ること。残すのは写真と思い出だけ、というのが野鳥の会のスローガンだったような。

でも先日田舎に帰ったら、鳥は害獣になっていました。昔に比べて、鳥の数が増えてしまったのです。しょっちゅう停電を起こす原因は鳥が集団で電線に停まること。
市街地の位置が変わり、旧街道が放置されてそこに野鳥が棲みついてしまったようです。
人が住まなくなった場所は、人が片付けていくしかない。

愛好家という肩書きが、マイナスイメージになるとは。さんざん義弟にからかわれたっす。。

そして、人が多く棲むところには、別の害獣が。。

わたしは、えさをやるのにトイレの消毒やノミ除去をしない保護団体が苦手です。
うちは車1台分の庭を森のようにしているのですが、そこへ野良ネコがやってきて、トイレだけでなく、通り道にネコノミの巣が出来るんです(これは知りませんでした)。

猫が通る道に木が生えていると、体を擦るため、そこにネコノミが落ちて、巣が出来るのです。わたしも猫を飼っていないのにネコノミアレルギー持ちになってしまいました。刺されてかゆいだけでなく、涙と鼻水が止まりません。。

しかし、そういう団体に所属する人はぬいぐるみを欲しがる方が多いのです。しかも、本物そっくりの方がいいらしい。
野良を本物そっくりに作ることは、わたしには苦しみでしかない。

きちんと家で飼って外へ出さない方は、外猫に病気やノミをうつされることを知っています。

わたしは、以前リアルタイプ猫を作っていたのですが、それは愛猫を亡くした作家さんの影響が大きかった。彼女はちゃんと猫を作る理由がある。亡くなったうちの子を作っている作家さんは多いですが、わたしには愛猫もいませんし、猫を愛せない理由しかないので、リアルのはやめることにしました。漫画猫なら作るよ。あれはわたしの持ちキャラだから。

さらに言えば、昆虫や鳥、魚、かたつむりなどはコアなファンがいます。
本当はそっちだし、鳥だって野鳥が好きなんだし、なんでそっちをやらないんだって話でした。
魚もさばくの大好きだし。イカがもっと安かった頃は、しょっちゅうイカ墨を取り出して大根と煮つけてたのになあ。

「野生動物を見るのは好きだけど、一緒に暮らせない」これがわたしの癖です。なのに、作品はまったく別のスタイルでした。

恥ずかしかったんだろうか。
嫌われたくなかったんだろうか。

コンセプトを間違えて、作品を作っていた。

嘘を発信し続けると、心の闇が大きくなったり、メンタルが病むので辞めた方がいいと言っている人がいました。

光だけ発信しても、同じだけの闇がある。そちらも受け入れる覚悟が出来ていないと、闇に呑まれてしまうそうだ。
ユング心理学でいうところのシャドウか。

シャドウは、戦う相手ではない

シャドウ=生きられなかった自分 とすれば、
わたしで言えば「動物と過ごした思い出がある自分」。
なんと、野生動物に餌をあげている人はシャドウになります。しかも、その結果わたしはアレルギーになっているので、かなりの確率で、闇です。

わたしはシャドウの人が好きなものを無意識で作ってしまって、絡めば絡むほど、不快な思いをし、苦しんでいたのだ。しかも、夢じゃなく現実だ。

そして、わたし自身も、相手にとってシャドウなのかもしれません。

ユングはシャドウについて、現れたとしても驚かず、その声を聴くことで光と統合され、より人格に高みをもたらすのだそうです。。

相手にとってわたしがシャドウなのだとしたら、相手が攻撃的な言葉を発する理由に納得もいく。
相手のシャドウ統合はわたしの仕事ではないので、そっと離れます。
わたし的には、この文章を書いたことで頭の中がすっきりしましたので、統合に近い感覚にはなれたと思います。

でも、野生動物にエサはやらないぞ。わたしの世界では、それがマナーだし。

そして、これを機会に、作風を変えます。そういう方が好きそうなものは、あえて避けるようにします。
わたしは現実のいきものと暮らすことは出来ないので、わたしのような、関われないけど好きな人のため、一般的に飼われる動物ではない作品を作ることにします。(基本、キャラになると思います)
もっといえば、うちには獣人好きがいて、そちらの気持ちはわからくもない。獣人キャラもいずれ追加します。

わたしの推しを、もっと心のままに作ろう。わたしの持ちキャラや、わたしが観察した動物をもっと作ろう。それが、わたしを癒し、悪い縁を手放し良縁につながるきっかけになるだろう。

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