きちんと怒ること

武田砂鉄「日本の気配」を読んで。

かねがね、正しく怒るべきだと思っている。
この場合の「正しく」とは、理路整然と、因果関係を明確にし、事実に基づき、客観的に判断し、関係のないことは巻き込まず、といった意味だ。

これらの要素を踏まえていない怒りは、駄々か、当たり散らしか、キレた状態のいずれかである。そして、この国では正しく怒れない人が多すぎるし、そういう人の声ばかり大きい。

武田氏のように、ちょっと冷静に、過去を調べ、的確な指摘を持って怒りを発露できる人は稀有な存在だ。

そして、世界を前に進められるのは、正しい怒りだけだと思う。

例えば、すべてのイノベーションは、現状に対する不満に由来するはずだ。
不便さを解消したいと思う情熱が、様々なプロダクトを生み出す原動力になってきたことは間違いない。

例えば、市民の幸福を追求するのが政治家の仕事であるならば、その第一歩は市民の怒りを精緻化することであるべきだ。
下記は記事の本題とは逸れるので部分引用とするが。

一般の生活者は身体感覚をそのまま表現して「日本死ね」「自民党感じ悪いよね」「私もだ(MeToo)」でいい。しかしその内実を言語で精緻化し、共感できなかった人にも伝わる形に翻訳する役割の人たちが、本来の仕事を放棄して一緒に踊っている。

正しく怒ろうと意識するだけで、身の回りの見え方が変わってくる。
どうして観光地の近くの駅なのにこんなに日本語の貼り紙しかないのか、とか、なぜ地震直後に自撮りをアップしたアイドルは叩かれるのに当日会食した首相はバッシングされないのか、などなど。

前に進みたければ、正しい怒りを持つべきだと思う。

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