結婚したくない

正確には「結婚したいと思っていない」なのだが、伝わらなさそうで「結婚したくない」に変えた。

この感情は、つまるところ希死念慮なのだと思う。暴論なのかもしれないが、自分の中では正論だ。

特定の他者との関係(恋愛を含む)におけるひとつの到達地点が「ずっと一緒にいる」であるという考えには同意したい。自分の中に「結婚したい」という感情はなくても「ずっと一緒にいたいと思える人と出会いたい」という願望のある時期は長かった。ただ問題は"ずっと"の部分である。"ずっと"をただ希望するのは難しい。自分の気持ちからずっと遠いところで、"ずっと"は責任論や法契約の話にすり替えられている、ように感じる。

一定期間付き合った末に愛の証だの契約だのを持ち出すのは、不安の裏返しなのだと思う。相手が一緒にいたいと思い続けてくれるのか、思わなくなったときに何か引き留めるものがあればいいのではないか、という思考で生まれた保険なのだと想像する。

交際期間が短いうちに突然結婚する人たちは、"特定の他者と生活を共にしている状態"を実現する手っ取り早い方法として結婚を選択しているのではないかと想像する。たしかに恋愛のプロセスを1つずつ進める必要はないだろう。

いずれにせよ、結婚する人たちの中では、これから先も長く生きていくことが前提になっていると思う。ずっと生きていくから、将来が不安だ。ずっと生きていくから、誰かといたい。

自分にはその前提を持てない。今すぐ終わりたいわけではないが、これから先もずっと生きたいとはどうしても思えない。だから、目標も野心も湧いてこない。今が楽しいならそれでいい。短期的な楽しさをなんとか確保し続けて、振り返ればそこそこの年数生き延びてきた。

自分が生きたいと思っていないのに、他者の人生の一部になる責任を負えるわけがない。でも、楽しさのために交際はしたい。ここにギャップが生まれる。欲を言えば、短い期間を積み上げて少しずつ伸ばしていくことを許してほしい。未来のことを考えないまま、この瞬間を生きさせてほしい。


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