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内的報酬と外的報酬のこと

今わたしは病院の平職員です。以前の病院では役職があり責任者でもありました。
以前いた病院では、手当てがつきました。主任手当てが25000円、病棟責任者手当て5000円です。主任なのに責任者をしていたのは理由がありまして、簡単に話すと師長が突然他界したからです。まぁその話はまた別の機会にします。今いる病院は手当てが安いようです。ようですと言うのは公開されてないんですよね。それも問題ですけど。さておき、なぜお金の話をしたかと言いますと、この手当てが外的報酬になるわけですよね。逆に内的報酬というのは、周りに認められて役職になるとか、なかなか行けない上位の研修に行かせてもらえるとか、信頼されて委員会の委員長になるということです。病院という組織のシステムはこのような感じです。
人には欲求があります。ここで話すのは承認の欲求についてです。内的報酬は承認の欲求が満たされます。自分の仕事が評価されているということです。承認の欲求というのは上位の欲求です。下位の欲求には生理的欲求というのもあります。外的報酬でも承認の欲求が得られると思います。大きい金額を貰うことで、それだけの仕事をした成果と感じるからです。人間の欲求は満たされることで満足感を得れます。しかし、満たされないと、満たされないなりの行動や精神的な影響がでます。なのでとても大事なことです。
日本は長らく終身雇用で、長く勤めることで自動的に給料が上がるシステムでした。そのシステムが良い時代もあったかと思いますが、今の時代はどうでしょうか。長くいるだけで特に何も仕事をせず座ってるだけの人が、とても頑張って成果を出しているスタッフより給料が多い。矛盾が発生しているところが多いのではないでしょうか。たしかに、個人には能力の差がありできる人できない人はいると思います。しかし、仕事を何もしない人に高いお金を払いいわゆる外的報酬を与え、仕事ができる人に内的報酬だけを与える。わたしは、バランスが崩壊していると思います。経営がうまく、病院という中でなんとかバランスよく運営しているところもあるようですが。
大学生の頃、わたしは経営学部に通っていました。ある授業で先生から「ボランティアはいいぞ。行ってみたらいい」と言われ、反論して言い合いになったことがありました。わたしは、病院で勤めながら大学に通っていて、かつ学費も稼いでいましたので、そんな余裕もなく必死でした。そんな中、無償の仕事なんて考えられなかったわけです。内的報酬だけでは成り立たないこともあるわけなんです。承認の欲求を満たされるだけだと生活は成り立たないし、褒められるためにボランティアをしたいとは思いません。生きるためには、外的報酬と内的報酬がセットになっていなければ価値が無いと思っています。被害的な考えですが、先生は(たぶん)都内に住み、大学でも人に教える立場で、良い給料も貰っていて、人生に余裕があるからボランティアが良いと思うのでしょう。しかしわたしは、田舎から出てきて、やっとの思いで大学に通い、明日も仕事だし金もねーと思っていて、そんな慈善事業に参加できない人もいるんだとわかって欲しくて反論したのかもしれません。わたしが未熟なのはわかっていますが、お金を稼ぐようになってからも、ボランティアに反対なのは変わりません。やはり、自分の労働力を提供するのですから、内的報酬とそれに伴う承認欲求を満たすだけでは納得いかないのです。外的報酬もセットであってこそ、成り立つと思うのです。まぁ世の中には多様な考えの人がいますから、好きな人はどうぞやってくださいとは思いますよ。
スタッフのモチベーションを上げることが、会社の経営を大きく作用させると思いますし、それを上げたり下げたりする要因の一つが内的報酬と外的報酬のバランスだとわたしは思います。日本人の美徳でお金のことは話さないみたいな風潮がありますが、それは大きく間違ってると思います。私たちは人間であり労働力を自分の意思で提供するのですからその能力に見合った対価を貰うべきですし評価をされるべきだと思います。よって奴隷ではありません。少し偏った偏屈な思考かもしれませんが、このような考えの人間もいるのです。
私たちの能力が活かされるような社会になったら良いですね。

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