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アイツに名前を付けてみた

今日は、私の中で最近すごい大きくなって力を持たせてしまっている奴のことについて書いてみようと思います。言語化してみるってそれだけで力があると私は信じているので、今の今までコイツのことを書くとは思っていなかったんだけど、アウトしてみようと思う。コイツとか言ってしまった。コイツじゃなくて、その私の一部分に敬意を持って今名前を付けよう。

うん、じゃあ、ロックフェラー氏としよう。名前の由来はあとで書くかもしれません。うん、いいかんじ。

私の中で今強大な力を蔓延らせているロックフェラー氏は、日々、何をしているかというと、とにかく私は無能で、頭が悪くて、何も分かっていない、何も知らない、端的に言うとダメな奴と言ってひたすらに私を攻撃してくる。最近はかなり病的で、何かをしているちょっとした隙にもすかさず入り込んできては、攻撃をしてくる。これは、本当に力が奪われる。ロックフェラー氏に私のほとんどの力は奪われるというか、力を明け渡してしまっている。無能で、無力で、何も分かっていない、何も知らない、私は弱者になり切ってしまうのだ。

今、そんなロックフェラー氏に力を明け渡してしまっている結果、フリーランスでやっている仕事が全くない状態。心は不安と迷いの中に追い込まれている。

ロックフェラー氏は生まれた時から私の中にいたわけじゃない。元々自己肯定感的なものは谷底から生きてきた。その谷底感は、言語獲得期以前に身に付けた世代を超えて私に受け継がれたもののような気がしている。そんな私だったので、社会に出てからが大変だった。男性の上司からパワハラを受ける対象になりやすかったのだ。アルバイト時代から、どこで働いてもだいたいそんなかんじで、ダメな奴の烙印を押され続けた。

ロックフェラー氏の名前は、私への”ダメなやつ”にトドメを刺してきたかつての上司の名前由来。その上司は、いわゆる職人で、頭がよくて、仕事で巧みに自己表現してはお客さんや社会から高い評価を得ているような人だった。その上司の元で1年足らず雇われた間、ほとんど毎日、説教の時間があった。長い時は2時間近く、こんこんと”お前はダメなやつ、できないやつ”ということを諭されていた気がする。それくらいその場所では仕事ができなかったし、自分でも信じられないようなミスを何度も繰り返して、負のスパイラルから永遠に抜け出せないような毎日だった。確かに、ダメなやつと毎日諭されて、できるやつになれる訳がないとも思う。今となっては、部下の指導ヘタクソか!と言いたい。

このどん底を機に、男性上司から罵倒されるようなポジションは取らなくなった。私の中でも何かが立ち上がったんだと思う。だけど、それまで”ダメでできないやつ”と攻撃を受けた人物たちが私の中で合わさって今は私の内なる住人になっている。なんということ。

ロックフェラー氏を今すぐ私の内から排除したくなるところではあるのだけど、ロックフェラー氏がいること、さらに最近は大きく声を上げてくることには必ず肯定的な意図があると思っているし、排除すればしようとするほど、力を持つということも感じている。

ロックフェラー氏が私の中に存在する愛のある肯定的な意図を見出すとすれば、おかげで私は弱者のままいられるというところではないかと思っている。何もできなくて、何も分からなくて、自分1人では何もできない、まるで赤ちゃんのように守られるべき弱者でい続けられるということなんだと思う。弱者のままいれば、私はこれまで通り、色んな人から愛を与えてもらってただ受け取るだけでいい。これまで通り、守られ続けるだろう。

そうか、確かにそうだなぁ。書いてみて、だいぶん見えてきた。ロックフェラー氏と私。笑 ロックフェラー氏は私を守ろうとしてくれているんだな。ありがとうと言いたくなってきた。でも私、守られなくてももう大丈夫なんだよ。守られてもいいんだけど、守られずに、私の責任と自由意志で進みたいのだ。

まあでもいいや、今はロックフェラー氏にありがとうを捧げたい。


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