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書痙ってご存知かな

忘れないあの発症の夜

もう30年以上も前です。当時28歳。勤めていた会社の社長や部長、いわゆる上層部の方々と会食をする機会があったんです。通を唸らせる本格的な寿司屋でした。
その店に向かうタクシーの中で、私はかすかな身体の異変に気付きました。心臓の高鳴り、このメンバーで寛いだ食事ができるかなという不安・・・。小さな会社でしたので社長たちと食事を共にするのは珍しいことではなかったのだけど、何故かその夜に限って変に緊張して心の落ち着きを失っていたんです。
忙しい仕事が続いて寝不足だからかも?・・なんてことをそのときは思ってました。
店に到着してカウンターに座るもまだ心は落ち着かず、左に社長、右に部長という本来ならありがたい席が裏目となって、緊張がいっそう高まり手が震えだしたんです。店内の雰囲気にも気圧されたのでしょう、高級店とは縁のない暮らしが身に染みついてましたので。

いざビールで乾杯です。私のグラスに社長が注いでくれるらしい・・。瞬間その場から逃げ出したい自分がいました。手にしたグラスの震えが治まらない、見られて平然を装うのはもう無理というものですから。
「なんだか落ち着かないわねえ」社長は女性です。訝し気な表情を一瞬見せながらもブルブルのグラスには丁寧にビールを注いでいただきました。いや、何がどうしてこうなっているのか私だってなんだか分からないのですよ。

震えは箸を持ってもかわらずです。しばし何も食べなかったと記憶してます。ところが不思議なことに、ビール一杯飲み干すころには落ち着きを取り戻してきたのですよね。おかげで美味しいお寿司や日本酒を堪能することができました。これが後に30年続く不幸の始まりとも知らずに。

書痙ってなに?つらいの?

書痙という言葉を日常の生活で聞いたことのある人は稀でしょう。
実際、私の周囲に書痙の人はいません。いるかも知れませんが、通常、書痙の人が「ワタシ書痙なんです」と吐露する理由がないと思います。

書痙は字面からなら推測できるとおり、手で文字が書けないか、書いた文字が自分でも読めないほど前衛アート的になる病です。ペンを持った時点で手が震えるからです。書き慣れてるはずの自分の名前であってもです。

加えて私の場合は先に述べたようにグラスや箸を持っても震えます。

傍目には健常者ですができないことは多いです。以下に自分の経験で困った例をあげてみましょう
・そもそもアナログな書類作成ができない。ので、そういう仕事はできない
・宅急便などの送り状が書けない
・ホテルのカウンター、冠婚葬祭の受け付けで記帳できない
・自動車や携帯電話などの購入時の契約書が作れない
字が書けないわけですから役所や銀行なども苦手ですし、ホテルで記帳できないとなると旅行もできないわけですよね。絵馬に願い事などとても憧れます。

結局私は書痙になって以降会社を辞めました。
間接的な理由として社内の者からアルコール中毒と揶揄されるのにも我慢ができなかったという側面もありました。
そんなわけで、人生が大きく変わってしまうのが一番のツラさでしょうか。

書痙とは上手に付き合うしかない?

書痙が病気なら治るんじゃないの?という向きもあるかもしれません。
たしかにインターネット上には書痙が治ったという情報もあるような‥。
私自身も、発症当初は絶対に治してやる、みたいな意気込みでメンタルクリニック通いや催眠術、漢方、自立訓練などを試みました。

試みましたが15年ぐらい前ですか、その心意気は折れたといいますか。むしろ上手に付き合うしかないんじゃないか?と考えるようになりました。それからの方が生きるのが楽になったとは思います。

もちろん、同じ症状をお持ちの方が日々治す努力をしていらっしゃれば、当然応援はします。治療法にもまだまだ期待したいですものね。

私の場合は30年来の長きに渡る付き合いというのもあって、書痙は自分の一部といいますか、病気というより性格に近い感覚を覚えてきているようです。

書痙に関する個人的な一言

振り返れば書痙を切り出しに会社を辞め、フリーランスで食いつなぎ、派遣で生活を保ってきたこの30年。恥ずかしい人生、こんな病気にさえなってなければと思ったことは正直あります。
ただそれは言い訳。胸張って生きれるチャンスを努力もしないで逃しただけでした。書痙は昂然たるダメな自分のほんのわずかなダメな部分です。

老後を控え、勇気を持って1年前に1Kマンション買いました。中古物件です。契約までに何十枚という書類の作成、引っ越しに伴う書類の届出、頑張れました。
もっと早く、いろんな局面で頑張る勇気が芽生えていたら、私でも人並みに近い幸福を掴めていたんじゃないか?などと妄想しつつ、今後とも上手にこのやっかいな病気と付き合っていく所存です。

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