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ポンコツな私のウツ歴史⑦ADHD治療が劇的効果

メンタルクリニックに通い始めて7年になります。

しかし、鬱症状が出始めたのが7年前かというと、全くそんなことはなくて!!

発症がいつ頃なのか、というと、今振り返れば高校時代だったように思います。ざっと患い始めて30年ということになりますね!!


■朝、起きられない

朝は子供のころから得意ではなかったのですが、高校に進んでから、「本当にまずい」寝坊が目立つようになりました。


私は反抗期がありませんでした。が、唯一母親が激怒するのが、私の朝の寝起きの悪さでした。何度起こしても起きない。登校時間が迫り、母親が部屋まで乗り込んできてお尻を叩かれたことも多々ありました。「あんたは朝起きないのだけが欠点」と言われました。

当時の寝坊で、割と印象に残っているのが、個人的に楽しみにしていた芸術鑑賞の「落語会」。たまたま母が不在だったので、起こしてくれる人がおらず、ばっちり2時間の寝坊。その瞬間に家を出ても、着く頃には落語会は終わっています。休みました。友達に「楽しみだ」と言っていたのに寝坊して行かなかったというのが、地味に恥ずかしかったです。

遅刻してしまったので、面倒になって、学校をサボったことも、年に2〜3回ありました。親には内緒です。家に連絡がこなかったのだろうかと思うのですが、非行とは程遠いタイプだったので、学校の先生も騒がなかったようです。

決定的なのは高校の卒業旅行です。東京ディズニーランドにみんなで新幹線に乗って行くのに、JR高槻駅で待ち合わせをしたのですが、待ち合わせ時間をすぎて、友達からかかってきた電話で、飛び起きました。ものすごく楽しみにしていたのですよ!それなのに。

大学に進んでも同じでした。

なんとか希望の大学に進んで、なんとか学校に通っていて。大学生らしく彼氏もすぐにできました。しかし、デートで起きられない。

たまたま自分専用に車を持っている人だったので、家の前まで迎えにきてくれるのですが、迎えにきてくれてようやく起きる、といった次第。すごいモテ子さん風ですが、ただ起きられないだけです。外で待ち合わせする時には、1時間は必ず待たせていました。申し訳ないことをしていました。

授業でも、選択していた科目のテストに寝坊して受けられなかったことも多分あったのですが、あまり覚えていません。ただ、痛かったのが必修の宗教学(ミッションスクールだったので)。必修かつ、語学の友達も受験していたので、再履修は本当に恥ずかしかった。

朝起きられないというのは就職しても同じで、大事な時に限って寝坊する。

私の在籍していた新聞社は、高校野球を主催しており、その地方大会が1、2年生記者の主な仕事でした。

でも、起きられない。

前日まで必死で準備しているのに、開幕のその日に、寝坊する。メイン担当者が遅刻したら、格好がつかないわけで、上司もそりゃあ激怒します。

私だって、おきたかった。でも、できなかった。

■起きられないのは寝られないから?

起きられないのは寝られないから?寝られないのは起きられないから?

卵と鶏の議論ですよね。

しかし私には夢がありました。それは、朝スッキリ起きて、栄養満点の朝ごはんを食べ、ヨガをして、シャワーを浴びてお化粧をきちんとして、完璧なヘアスタイルとコーディネートで家を元気いっぱいに出ること。

犬を飼ってからは、朝食前に犬の散歩をすることが加わりました。

でも、どーーーーーしてもできない。

心療内科に通い、睡眠薬と抗うつ薬を飲み、カーテンを電動にして、朝はタイマーで起きるようにするなど、可能な限りの対策をしていましたが、絶対に無理なのです。

会社勤めの頃は、通勤が死ぬほど苦痛で、45歳になる最近まで、朝起きられないのは夜寝付きが悪いからだと思っていました。

とにかくストレスが溜まりに溜まっていたので、夢の就職先であり、人間関係も良好で、お給料も福利厚生も、会社の信用度も最高だった会社を辞めました。その後、ご好意で大して負担でもないはずの仕事をさせていただきましたが、それもダメ。

もう!!!と思って、仕事という仕事を全部辞めてみました。

でも、あんまり幸福感は上がりません。

出かける計画を立てるたびにどんよりしてしまうし、犬の散歩に出るのも億劫。でも、世の中にはいろいろマメマメしく遊んだり趣味を楽しんだりしている人がたくさんいますが、どうやったらそういう生活ができるのか、働いてもいないのに、疲れきっている毎日でした。

■元夫と元同僚の「ADHD」告白

ある時、ふと思い立ち、離婚した元夫に連絡を取りました。彼は結婚していた時から明らかにいろいろ発達障害があったし(強迫性障害)、そのせいで生活にもいろいろ支障をきたしていることはわかっていましたが、その彼が「発達障害と確定診断を受けた」と告白。

加えて、いろいろ「変わってるなあ」と思っていた元同僚も、「発達障害だった」(彼女は多動)とのこと。

私も、自分は注意欠陥だろうな、と薄々自覚はしていました。

大人になってからは疲れているのでダラダラぐったりしていましたが、幼児の頃は「とにかく落ち着きがない」と指摘されていました。通知表には「忘れ物が多い」とも。しかし、世の中を舐めたタイプだったので、イレギュラーなものを持ってこいと言われたら、「そんなの覚えてるわけないじゃん」という感じで、自分が悪いと思ったことがなかった。工作に使う「ラップの芯」とか「竹ひご」とか、「どこに売ってるのか知らんし」と、親に聞くこともせず、大いばりで「忘れました」と宣言していました。

新聞記者になってからは、装備のチェックが大変でした。

まず、毎日携帯電話を忘れる。車に乗って、家を出て、10分したら思い出すのです。

加えて、新聞記者というのは、「常在戦場」。

当時高級品だったノートPCを貸与され(アダプターと車から電源を取る機械も)、カメラは望遠レンズと広角レンズを持ち、手入れをし、単一の電池も予備を持っていないといけません(またよくこれが切れる)。フィルムも予備を数本。当時はモバイルファックスを持ち歩くこともあったので、そのケーブル。突然出張になることもあるので着替え一式。出先から急に「●●へ行ってくれ」と言われることもあります。そして、1人しかいない若手だから、一番機として、すぐに「●●へ行ってくれ」と言われることも多いのです。

まさに気が抜けないとはこのこと。全部ちゃんと動くように揃えることに神経をつかい、そして必ず何かを忘れて失敗するのです。本当に、いろいろ難しいなーーーーーーと思っていました。でも、他の人はできているみたいなんですよね。。。

でも、注意欠陥自体には、なんとか対処できていたり、要求されるレベルを低くするような仕事に流れて行くことで、問題がないようになっていっていました。

■主治医に「ADHDです」と言ったら世界一変

元夫と同僚のADHD診断を受け、主治医に「私もADHDだと思うんですけど」と相談しました。

すると、主治医は「え??」と。

私はコミュ力が高く、一応小綺麗に身繕いする方法を見出していたので(今思えば、最小限の手間で身繕いする方法は、必要に駆られて生み出していたのですが)、きっちりしている人に見えていたのだそうです。

しかし、現実は大変なポンコツで、能力に非常に凸凹があることは自覚していまして、なのでそれがよくわかるエピソードを話しました。説明し説得するのはお手の物なのです。というより、いかに結論を導き出す文脈が重要かということですよね。漫然と話していてもわかってもらうことは困難です。

その結果、最初に処方されたのが「インチュニブ」というお薬でした。

・・・この薬、私の鬱には劇的に効きました。

まず、朝起きた時の不快感が全然違う。

①朝それなりに元気に起きて、

②ベッドメイクをして、

③ご飯を食べて、

④犬にご飯をあげて、

⑤顔を洗ってお化粧して、

⑥犬の散歩に行く

ことが、できるようになったのです!!!!!

朝起きた時、というのは、私にとってはそれまでは最悪の瞬間だったのです。なんなら寝る前より疲れている。よって、起きるのがギリギリになるし、時間はないし、ほとんど這うようにして身支度と食事をとるので、ベッドメイクのことなどさっぱり頭にはない。それが、できるようになったのです。

また、夏の朝に犬の散歩に行くには、日焼けが怖いのでお化粧をしなくてはなりません。

なんとか顔を洗って化粧水・クリームまでは至るのですが、外出の予定がないのに犬の散歩のためにお化粧をするということが、どうしてもできませんでした。でも、いい奥様っていうのは、ゴミ捨てに出るのにも薄化粧するというじゃないですか。

そんなの、ぜーーーーーーーったいにできない。

午前中に不急の用事を済ませるとか、家事を終えてお茶を飲むとか、できる人が不思議でたまりませんでした。

それは仕事柄かと思っていましたが、同じ仕事をしている同僚は、休日の午前中からパン焼き教室に行ったり、ヨガに行ったりしているのです。不平等だなあと思っていました。私は生きて働くだけで精一杯なのに。。。。

でも、そんな事柄が、私にも可能になったのです。

■「インチュニブ」とは

抗うつ剤として処方されるお薬は、基本的には癒し成分である「セロトニン」が再吸収されるのを阻止するという効能です(セロトニンを増やすわけではない)。翻ってインチュニブという薬は、やる気を司る「ノルアドレナリン」が再吸収されるのを阻止するお薬です。

私には、ノルアドレナリンが足りなかった、のでした。なので、効果はあった。

しかし、このインチュニブ、もともとは高血圧を治療するための薬だったものを転用したのだそうで、高血圧でない人が飲むと、低血圧になります。

私は高血圧ではないので、立ちくらみの副作用が出ます。

立ちくらみは、私にとっては、自分の体調が悪い、ということを自覚する症状の一つで、症状が出るたびに「自分は完全ではない」と自信を失います。とはいえ、薬の来歴からして、この立ちくらみがおさまることは期待できません。どうしても嫌で、第二選択として、「ストラテラ」を処方されました。

■ストラテラなら、食欲がなくなるだけ

ストラテラも、同じくノルアドレナリンの再吸収を阻止するものです。副作用として食欲が減るので、ダイエットしたい女性はインチュニブよりストラテラを選ぶそうです。ただ、私としてはコロナで体重が増えていたので、ダイエットは重要なことでしたが、「お腹が空いているのに食欲がない」というのも困ります。「作って食べるぐらいなら食べない方がマシ」という発想になりがちな自分が、さらに食欲がなくて食べられなくなるのは、正直怖かったので、最初は選びませんでした。

これも、劇的に効きました。上記の朝のルーティンが再びできるようになりました。

一番少ない10mgからお試し。

食欲に影響はなく、効果もありました。しかし、根底にしっかりした感じはしません。

2週間10mgを試した後、たまたま1日20mgにしてみたところ、調子がよかったので、20mgに増やすことにしました。

そうすると、「しっかりした感じ」を得ることができました。

そして多少「食欲の減少」を感じるようになりました。

■この食欲のなさは、若い時のそれ

私は、もともと小食で、学生時代はあまりに食べるのを嫌がるので、母親に「拒食症じゃないか」と疑われたことがあったほどでした。間食の習慣も皆無で、一緒に旅行した友達が、持参したお菓子を「食べる?」と聞いてきても、「いらない」とすげなく何度でも断るので「本当に食べないんだね!!」と驚かれ(or 気を悪くされ)たことも多々。

職場に差し入れられるお菓子に手を出したこともなかったですし、「ななつぼしさんに」と持ってこられたら、無理矢理食べなくてはいけないので腹が立っていたぐらいでした。飴やチョコを人にもらっても(断るのは角が立つので、受け取りはする)、だいたいティッシュに包んでバッグに入れ、そのまま忘れていました。

今の食欲のなさは、その時に感じに似ています。

「元に戻ったなあ」と思います。

なので、今もまた、食事以外の「食べるレジャー」は、ありません。

食べるなら果物までです。

■(参考情報)甘いものが苦手な子でした

幼少から30代まで、甘いものを食べるのが本当に苦手でした。親の友人などが家を訪れて「ななつぼしちゃんに」と持ってこられたチョコレートなどのお砂糖で甘いお菓子は、本当にありがた迷惑(笑)。明らかに喜ばないので、親はいつも困っていました。

世間のスイーツブームでも、食事でお腹いっぱいになるし、食事をティラミスなどのスイーツで代替することもできませんでした。お腹がすいた時は、ご飯が食べたいのです。従って、パフェを食べる「別腹」も、ないのです。

また、絶対食べなかったもののもう一つが、「仕出し屋さんのご飯」。

イベントなどで配られるお弁当を、絶対に食べませんでした。

実家は別に自然食派ではなかったのですが、折り詰めの弁当は、どんなものでも食べられませんでした。感覚としては「毒を食べている」ようなものでした。

高校生ぐらいになったらさすがにそんなことはなく、社会人になってからはコンビニ弁当を食べるようになりましたが、大人になると感覚が鈍るのでしょうか。

最近になって「Highly Sensitive Person(HSP)」という言葉が出てきましたが、おそらく私はこれにあたります。

■鬱の原因は人それぞれ

鬱の人は、病院に行けません。行く気力がありません。心療内科を受診しても、なるべく長期間分の薬を処方してもらい、病院に行く回数を減らそうとします。

あらゆる仕事を全部やめ、あらゆるストレスをすべて取り除き、1週間に1回病院に通って真剣に薬を試し、あらゆる仮説をたてて行きつきました。

栄養療法、運動療法など、いろんな本も読みましたが、やはり「お薬」の効果は劇的で、私はようやく人生を取り戻したと思っています。運動療法なんて、鬱の人がやったら疲れるだけだと思います。

もしこの薬に5年前に出会っていたら。私はまだ新聞社にいることができたと思います。仕事も仲間も好きでした。でも、こういう紆余曲折を経てしか、辿り着けなかった。

私は45歳にして、やっとスタートに立てました。お薬とは縁が切れないけれど、これまでの苦しみに比べれば、チリほどのことです。


どなたかのお役に立てればと思いここに記します。


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