久々にヒヤッとした2024.3.18
お疲れさまです。
朝はとろろと納豆をかけたご飯を食べ、会社に向かう。
元々おにぎりはそんなに好きでもないのだけど、会社の近くにあるおにぎり屋さんにハマってしまって、今日も寄る。先週も3回くらい行った。「割り箸とお手拭き入れますか?」と毎回聞いてくれるが、前回から「割り箸とお手拭きはなしでよろしいですか?」と聞いてくれるようになった。会社にマイウェットティッシュを置いているので、それを使うようにしている。顔を覚えてくれるのは嬉しい。
今日は珍しく、前に注文していた人が梅のおにぎりを買っていて、なんとなく私も梅のおにぎりを選んだ。甘い梅で、とても美味しかった。実家の梅おにぎりはなぜか死ぬほど酸っぱい梅を入れるのであんまり好きではなかったけれど、甘い梅だったらめっちゃ美味しいんだなあ。まあこれは好みだと思う。
今日誕生日の友人がいて、急にその子の身長って何センチだったっけな?と思い、LINEで「身長」と検索したら出てこなかった。その代わり「身長」というワードを使ったいろんな人とのトーク履歴が出てきて、なんか面白かった。身長の会話の流れで、就活中の私のことを「七海は偉いな…」と褒めてくれていた人がいて、時差で嬉しく思った。ありがとう。
会社で作業をしていたら、人事の方から私宛に電話がかかってきて、勤務時間について細かく聞かれ、1ヶ月前の面談で確認していたつもりだった事柄で、双方の認識の相違があった。
私の思い違いもあったので、詳しく聞かれて認識のすり合わせをしながら、久しぶりに焦って自分が話すべきことが数秒わからなくなって冷や汗をかいた。
最終的にすり合わせができたので大丈夫だったけれど、報連相や確認はしすぎるほどしたほうがいいなと痛感した。
このとき、「やばい」と思いながらも、自分がそう認識するに至った経緯なども伝えたくて必死に伝えたが、そのときに思ったことがある。
「私、まずは自分のために心から復職したいんだな」
かなり長い間、家族、友人、恋人、お客さん、仕事相手、上司など、目の前にいる人が何を望んでいるのかをすべての五感を使って慮り、その望みを叶えるように基本的には動いてきた(見当違いなこともあったと思うけれど)。そうやってきたら、自分はいなくなってしまって、「自分がどうしたいか」が、例えば何を食べたいかという些細なことでさえわからなくなってしまった。昨年の12月まではそれでめちゃくちゃ苦しんでいて、うつでもあったのでやばかったんだけど、今は自分と仲良くなれているから、自分の欲求がとてもわかる。
私は私のために復職したい。
だから、そのために求められている所定の勤務時間はなんとしてでも満たす。
もう「自分の人生なのに現実感がない」状態には二度と戻らない。
夜は軽食を食べようとマックに向かいかけたが、自分が屠殺していないのに肉を食べることに対する疑問がどうしても頭に残り、モスバーガーでフィッシュバーガーを食べた。
お魚は死ぬまで自由に生きているから、自然の摂理には反してないと思う、というような、ヴィーガンの友人の意見も思い出し、お魚ならと自分に許可を出した。命をありがとうございますと思いながら、いただきますをして食べた。
そのあとポールダンスのレッスンに行った。
楽しかったけど、他の生徒さんたちが顔見知りだったみたいで私はそうじゃなかったからちょっとぴえん🥹でしたね…。
あとはある友人のことが頭にあって、どう連絡しようか悩んでいる。
とりあえず、お風呂に入って寝よう。
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