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大人のゲーム事情

思い出のゲームはありますか?我が家にはじめてやってきたゲーム機は、スーパーファミコン。でも、ゲームの面白さを教えてくれたのは、初代プレイステーションです。ポケモンすら四天王前で飽きたわたしが初めてクリアしたゲームは、初代バイオハザード。あのゲームのせいでプレステの起動音がトラウマになった方は多いですよね。小学生のわたしを熱中させたゲームも成長とともに疎遠になり、大人になってから熱中したゲームはひとつもありません。

やりたい気持ちは持ち続けているんです。昔やったゲームのiOS版をわざわざ買ってやったりするんだけれど、続かない。iPhoneに入れとけば、いつでもできる!とは思うものの、起動しないまま数ヶ月…なんてこともザラです。一体なぜ。集中力がなくなったのか?とも考えましたが、読書量が落ちていないのでそれはあまり関係なさそうです。

本は読めてもゲームができない。やれば楽しいけど続かないのは、もしかしたら時間の主導権がゲーム側にあるからなのではないでしょうか。本を読んでいれば、この章を読み終わるにはあと何ページで、どのくらいの時間がかかるか、だいたいの目安がつきます。だけど、ゲームの場合予定通りにはいきません。 次のセーブポイントまでどのくらいなのか、初見だとまったく見当がつかない。先が読めないことがわたしをゲームから引き離しているのではないでしょうか。あと10分で電車から降りなきゃいけないのにボス戦が始まっちゃったら?長いイベントが始まっちゃったら?と思うと、うかつに始められない。先が読めないことが障壁になっているんです。昔やったゲームなら、なおさらわかりますよね。このあとしばらくセーブできないだった…とか、神羅屋敷はめんどくさい敵が多いから今はできない…とか。ずっと起動させておけばいいじゃんって話ですが、iPhoneアツアツになるし電池消費激しいし、それは避けたい。

ゲームの性質上、そしてわたしの都合上、ずっとゲームやりたいという思いは成就しない可能性が高いです。でもやりたい。ずっと消えないゲームへの思いはどこからくるのでしょう。 やはり、攻略本なしでクリアしたあの原体験が悪さしているような気がします。『クリアする』という快感は、特別なものでした。もしかしたら、何かをクリアしたくてゲームという遊びにしがみついているのかもしれません。ゲーム、ゲームと書きすぎてゲシュタルト崩壊気味なので今日はここまで。

また明日。


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