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食卓が築くもの

「ささっと作っちゃうね」ということばに、深い愛情を感じます。
お腹を空かせた誰かへの心遣い、そして「手伝うよ」と続く誰かの気配。夕ごはんには、おいしさ以上の愛情が詰まっていると思います。

小さい頃から、どうしても全員が食卓につくまで「いただきます」を言いたくない子どもでした。それは今でもそう。ドレッシングを取りに行ったり、レンジでチンしたものを取り出したり、ちょっとした用事で立った人のことも席につくまで待っていたい。両親ともに多忙だったため、みんなで夕ごはんという夜は数えるほどしかありませんでした。だから、みんな揃ってから食べようよ!という気持ちが根強いのかもしれません。手間暇込めたこだわりの夕ごはんも大好きだけど、ささっと作って全員でいただきますがうれしい。

でも実際問題、仕事を片付け、帰宅ラッシュにもまれながら献立を考え、スーパーにある売れ残り食材で献立を上書きし、帰宅後即調理というハードさ。気が遠くなるルーティーンのひとつでしょう。わたしがクック○ゥやお惣菜系を頑なに避けているのは、今からサボると後がつらいと思っているからかもしれません。中食反対派、レトルト反対派の男性の話を耳にしますが、味云々より全員で食べようという努力に目を向けてほしい。当たり前に思っていた食卓が、とても難しい時代です。一人で食べる最上級の料理か、みんなで食べるクック○ゥを選べと言われたら、わたしは断然クック○ゥ。夕ごはんは、家族の形を毎日噛みしめる場所だと思います。家族って当たり前じゃない。ひとりひとりの思いの結果が家族です。みんな一緒に夕ごはん食べましょう。

殺人事件の半数が家族・親族同士の殺し合いだそうです。家族って難しい。自分と絶対に切り離せない存在だから、悲しい結末に行き着いてしまうのかもしれないですね。

母の言っていた「ささっと作っちゃうね」に、どれほどの愛情と葛藤と苦悩が隠されていたのか。今なら少しだけわかる気がします。

また明日。

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