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似ている安心感

家族と自分、赤の他人から見ると、自分で思っているより似ているもの。母娘のお買い物の様子を見かけると、ちょっとうれしくなっちゃうくらい似ていたりしますよね。父や母の写真を知人に見せると、「目がお母さんだね」とか「あごはお父さんだね」などと言われ、自分では全然気づかないソックリポイントに気付かされます。年々母親に似てきたことはわかっていましたが、ふと家族写真を眺めていたときに強烈な既視感。あれ?わたしの顔、おばあちゃんの若い頃にそっくりだ。母を飛び越え、わたしは祖母に激似だったようです。

昔は、母親に似ていると言われることが嫌で仕方なかったけれど、最近は違います。母や祖母に似ていると言われるたびに、ホッとするというか、不思議と安心できる。歳をとったらこんな感じになるのかという、見た目のアタリをつけられるというのもあるんだけれど、ちゃんと歳をとっても家族に囲まれて笑っている姿を見られることが、幸せなんです。うまく言えないけれど、祖母や母がこの歳になって大丈夫なんだから、きっとわたしも大丈夫だろうと根拠のない自信が湧いてくる。それに近頃は、親族の集まりを楽しいと感じるようになってきました。小さい頃は、つまらないしうるさいし、あれこれ聞かれてめんどくさいし、誰が誰だか覚えきれないし、両親も妙にテンションが高くて鬱陶しいし。でも、今は遠い親戚でもなんでも、顔をあわせるだけで少し幸せ。どんな風に年齢を重ねているのか、親戚みんなの顔を見ると安心するんです。古くから知る仲というのもあるけれど、容姿で仲間意識が芽生えているのかもしれません。遠い遠い人のはずなのに、すぐ打ち解ける不思議な関係。

血のつながりもない赤の他人同士なのに、顔がそっくりなカップルや夫婦をみかけることがありますよね。同類だと安心するという気持ちの表れなのかもしれません。

同じ土地に生まれた者同士、同じ家系同士で結束を固め、異なる者と闘ってきたという世界の歴史も、家族という小規模な社会を眺めているとなんとなく納得できる気がします。いざというとき、この人たちとなら一致団結できる気がする!サマーウォーズみたいに!

また明日。

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