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気持ちの分別

この人、怒りっぽいなぁ…イライラしてばかり。不機嫌をふりまいちゃう人、いますよね。嫌ですよね。何を隠そうわたし自身も怒りの沸点が低く、イライラしがちな人間です。でも最近、「怒り」と「イライラ」は、気持ちの源流がちがうのではないかと感じ始めたので、今日はそれについて書きます。

自分の軸や根っこから湧き上がる気持ちが「怒り」で、対して「イライラ」は、わたしという形の表面に触れることで条件反射的に湧き上がる気持ち。そんなイメージです。「怒り」が内臓をジワジワと侵食していく病魔だとしたら、「イライラ」はコショウを振ったときに出てしまうクシャミ。「イライラ」というのは、たかが熱いヤカンに触ってしまって急いで手を引っ込めるような「反応」のようなものなんじゃないかと思うのです。日常の自分を振り返っても、どうでもいいようなことに逐一イライラしていたりする。鼻の粘膜が弱っていてクシャミが出たり乾燥で肌がヒリヒリ痛い日があるように、自分のこころとは別の何かが不具合を起こしていることが原因だったりする。イライラの正体は、小さな小さなキッカケからもくもくと膨らんでしまったちっぽけな気持ちの塊で、自分で勝手に大きくしたイライラというのは、何かを解決したり誰かが何をしてくれたからといって治まる類のものではないんですよね。

イライラは雑音、怒りは心音。問題なのは、「怒り」と「イライラ」を一緒くたにしてしまうことで、「怒り」の正体に気づきにくくなっていること。自分の根幹を揺るがしかねない大問題が、日々のイライラのせいで見えにくくなっている。イライラは放っておくと風に流される雲みたいにどこかへ行くけれど、怒りは放っておくとずっとそこに居座って、もう手遅れでした、ということになるかもしれない。これは自分にとっても、周囲の人にとっても、あまり良くないですよね。「怒り」と「イライラ」という二種類の症状を上手に整理整頓できるようになることで、気持ち良く過ごせる日々が増える気がするんです。はー、人間ってめんどくさい。こころのあれこれを全部表現できちゃうから。

ゴミの分別みたいに然るべき対応をとっていけば、いつかは少しはご機嫌な人間になれるだろうか。

また明日。

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