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冬を愛せる豊かさ

わたしは長年、何かを褒めるときに何かと比較しなければ褒められないという現象に多大な嫌悪感を感じていました。単体で素晴らしいのに、どうしてもう片方の無害な何かを悪者に仕立てなければ褒めることができないの?バカなの?って。

ロシアの生活を伝える番組を見ていたときに、ふと、四季がある国で良かったと痛感しました。1年のうちずいぶん長いこと寒くて曇っていて雪に覆われていたら、嫌だなぁと。つい1、2ヶ月ほど前、雨や曇りのどんよりとした天気の日が長いこと続いたことがありました。もうそれだけで、本当に気が滅入った。天気ひとつでここまで心が重くなるのかと、おひさまのありがたさが身にしみた出来事でした。草花が芽吹き、あたたかな風が香り始める春。太陽が濃い影を作り、360度セミの声が響く夏。おだやかな陽光の中、街が暖色に変化していく秋。そして冬。日本にはさまざまな季節と天気を楽しめる四季がある。わたしが冬を大好きなのは、春と夏と秋があったからだなと思ったわけです。たとえば11ヶ月ぶっ通しで冬で、ちろっと春があるだけの国だったら、季節を好きになったりしなかったのかもしれない。むしろ冬がだいっきらいで、南国に憧れていた可能性が高いです。大好きなセーターはチクチクするだけの服で、雪は憂鬱の象徴で、暖かいスープもホットコーヒーも、暖をとるための食物。比較する季節があったから、冬の素晴らしさが際立って見えていただけなんだなぁ。当たり前なんですけど。

ウォッカもメタルも、冬の長い土地に生まれたことを楽しむための手段として繁栄しました。冬大好きを自称するわたしがもし、冬しかない国に生まれたら、冬を楽しむために何をしたでしょう。暖かくなって、楽しくなれるもの。冬しかない自分の故郷を明るい気持ちで楽しむために、きっと必死で考えるんでしょうね。

余談ですが、わたしは寒さで耐えられないとき、北朝鮮軍人の行進のマネをします。空中でワンアクションある不思議な行進。あれ、一瞬で体があったまるからオススメです。恥を捨てられる人は、試しにちょっとやってみてください。考えてみたら、ロシア軍人の行進も膝を高くあげた、比較的激しい動きのものですよね。寒い国の行進には、暖をとるという目的もあるのでしょうか?と、適当なことを言って今日はおしまいにします。

また明日。

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