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絵の上手さってなんだ・・・

こんにちは、趣味で絵を描く名無しの猫です。絵の上手さってなんだろう?そんな事を思ったので、ノートに書いて見ようと思いました。自分の絵が上手くなったと思う時は基本的に、考え方が変わった時かなと思います。その時の上達速度が異様に早かったので、その点を書いてみようと思います。

★考え方の違いを思い立ったきっかけ
 自分は趣味でちいとばかし絵を描く名無しの猫だ、描く事を強いられる事も無い。絵を描く時もあれば描かない時もある。そんな感じです。
 その為、自由な絵が描ける感じだったりします。自由に描ける…いやいや、自分はM気質なので「自分を強いる!強いるぞ!!!」という感じで、毎日のように絵を描いておりました。 はい、アホみたいですね。
 まあ、今もほぼ変わっていないので、これも一興だったりします、好きなんですよそういうの。
 そうやって大量に絵を描いていたある時、過去絵をまとめたパソコンのデータを整理して、バックアップを取る気かいがありました。全てのデータを細かくファイルごとに分けていたため、絵の枚数が多くなる=ファイルの枚数が多くなる。…サムネイル表示されていない。…何の絵?ってなりだしました。そこでそのデータに日付を付けて全ての画像データを外に出しました。
 ・・・ええ、見えるんですよ、それはそれは悍ましい…。
自分の今まで描いた絵の一覧票の出来上がりです。嫌でも個性や特徴・卑しい癖までありありと。
 そこで、ふと気が付きました「自分が好きでよく描く物、ほぼ絵柄が変わってないんですよ、だから毎回頑張って1から描いてるけど、トレスしちゃえばよくね?」こんな事を思い始めたのでした。
 自分の中で、絵を1から10まで全て描かないといけないと言う考え方が崩れた瞬間でした。こんな感じで、今まで無意識に「やってはダメだろう」と制限していた事を止め始めたという感じです。

★「完成絵は完成絵ではない」
 上記の事を思った時、初めて私は「完成絵は完成絵ではない」と自分の考え方が変わりました。この考え方の変化は、自分に強い衝撃がありました。
 トレスどころか、いっそ貼り付けてそのまま使ってしまってもいいんだよなって思ったのです。張り付けた絵は、過去に作った完成絵ではなく、今作っている新作絵になるんです。この時は「おお!凄くいい時短方法思いついたぜ!」やったー!くらいしか考えていませんでした。やったー!って考えつつも実践してみると、切取り合成は難しいし、今描いてる絵に合わせるのは難しい…。もう、絶望しかないですね…。勿論慣れてくると時間が増えるので全体の情報を増やしたり等、必然的に絵が上手くなっていきました。「情報量の増えた絵を実際に書いて目で見る時間配分」これが、最初の「考え方の違い」から得られた結果でした。
 結局やってみなきゃ分からないなって事です。

★「ソフトの機能・加工全てを使って完璧な絵をつくる」
 もう一つの考え方が変わったきっかけ。
 あくる日、メッタルギアというゲームを初期武器縛りでクリアした後に、普通に全ての機能を使ってゲームを再開していた時でした。私はふと思った事があるのです。このゲーム普通にやっても面白いけど、これ絵でもやったらどうなるんやろう?「時間なんか縛らず、ソフトの機能・加工全てを使って完璧な絵をつくってみたら…」そんな風に思ったのです。
 ここからが、また厳しい、まず機能が使えない・調べて見たら素敵な機能が沢山出てくる。泣きたくなりますね。
 この時にはもう「時短する為に機能を使う」ではなく「ソフトの機能・加工全てを使って完璧な絵をつくる」この考え方に変わっていたと言えます。
 この時私は目まぐるしく絵柄が変わりました。加工や処理が上手くなる=自分が上手く理想と思う絵が沢山出来上がってきてしまうのです。私は神になったかのように、自分で作った沢山の絵柄を「採用!採用!これは不採用!」と選別をして行きました。とにかく時間はかかりましたがポンポン上手い絵が出来るので楽しくて仕方がなかったと思います。

★「ラフが良ければ全て良い」
 はい、「ソフトの機能・加工全てを使って完璧な絵をつくる」事ですが直ぐに飽きました。上手い絵が出来るのは間違いないですが、何か足りない。そう感じるようになったのです。
 神のように品定めをしていると、他人の人の絵も品定めしてしまうようになった感じでしょうか。

私の絵…上手い
私の絵…上手い
他の人の絵…神、尊い、凄い…ああ、
私の絵…上手い
他の人の神絵…ああ、私は世界の心理を今見ている。
こんな感じになりました。 周りの絵描きは神か何かか!?

 圧倒的に違う物それは何かと言えば「最初から違う」そう感じたのです。最初から違うのです。「ラフ…」ラフの配置から全く違う「伝えるイメージが違う」そう思いました。今まではラフの構成は頭の中に思いついたものそのままを描いていたのですが、「ラフが良ければ全て良くなるんじゃね?」そう考えるようになったのです。せめて一つのラフを作ったら、そのラフを切り貼りし、より良い構図を見出さなければ…。自分自身を強いてラフを描く事が楽しくなって来た時でした。
 想像した絵が描けないと言う方がいますが、その次に想像通りの絵が描ける。そしてその次に想像以上の絵が描ける。こう変わる瞬間でした。自分で想像した絵より良い物が存在する事に気が付く瞬間でした。
 つまり、ソフトの機能や加工を学ぶのは絵が上手くなってからという考え方が「ソフトの機能・加工全てを使って完璧な絵をつくる」と考え方を変えた事が、「コセンプトやラフが非常に重要だ」という結果になったわけです。不思議なものだ・・・。

 結局の所、変わらなかった事と言えば絵が楽しくて仕方がなかったという事くらいでした(笑)こうして、名無しの猫は幸せに暮らしたのであった。
                             「完」

★御後がよろしいようで…
 という事で、4割くらいは作り話で本当は「今日はいい天気だなー」とか思いながら沢山絵を描いていた時に突然頭に湧き出てくる事が殆どだったりします。結局今も昔も楽しく描いてればよい効果があると言う事でしょうかね?
ではここらで、失礼させて頂きます。

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