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【自己紹介】ケッキング山田のターニングポイントと人生を変える方法

この記事では僕の約6年間のビジネス人生で気付いた人生を変えるための本質的な内容をお届けしようと思う。

Twitter運用を極めて、ノウハウを愚直に実行し、結果が出るまで諦めなければいつか報われるなどという、日々ゴキブリのように量産されているモブキャラ発信者がするような話は一切しない。

かなり本質的な話で全ての人間に共通する普遍的な人生を変える方法を記す。

ビジネス界隈ではよく
・正しい知識を入れて正しい行動を継続すれば誰でも成功する
・お金と時間さえあれば成功は時間の問題である
・資産を積み上げていけば売り上げが右肩上がりになるのは当然である
・辛いのは最初だけで指数関数的に人生は良くなっていく

みたいな初心者に希望を抱かせるような戯言が日々発信者のポジショントークによって披露されている。あなたも継続さえすればいつか自分も報われるなんてことを夢見て、日々コツコツ勉強しては作業して、成功する日を待ち侘びているのではなかろうか?

断言するがそんな甘い考えでは一生成功しないし、コツコツ続けて負荷の低い作業の継続に逃げることこそが僕は一番危険だとすら思っている。

この記事を読んでいるあなたも薄々気付いてはいるのではなかろうか?

今までコツコツ積み上げて人生が変わっただろうか?ベッドの上で本を読んだり、動画を見たりして、勉強まがいのことを繰り返して何か変わっただろうか?結局は精神を安定させるためにちょっとでも前に進んでいる実感が欲しくて負荷の低い作業(勉強)に逃げただけではないだろうか。

昔の僕も同じ状況だったから、気持ちはよくわかる。

結果を出したと言い張るあなたも勉強して発信してコンテンツを売って、せいぜいちょこっと小銭が稼げた程度だろう。そのくらいなら誰でもいける。ビジネスによって、大きく人生が変わったなんて人はほとんどいないはずだ。

なぜか?

人生というのはコツコツ積み上げた結果変わるのではなく、交通事故のようにある日突然、人生が変わるターニングポイントというのが訪れ、その瞬間に一気に切り替わるからである。その切り替わりの瞬間が訪れるのを待つか自ら引き寄せるかをしない限り、人生は絶対に変わらない。

これは僕がもっとも痛感しているし、いろんな成功者の話を聞いても全員何かしらのターニングポイントを迎えた結果人生を変化させてきている。

僕も昔はコツコツ努力を継続した先にすごい景色が待っているんだと信じてやまなかったし、実際に3年間くらいはコツコツ継続してた時期があった。その結果、どうなったか?

確かにある程度の結果は出すことができた。

ネットだけで生計を立てられるくらいの金額を稼ぐことはそれほど難しくはなかったが、どうしてもブレイクスルーが起きない。収入の桁を一桁上げるような大きく飛躍させることが何をやってもできなかったのだ。

月20万、30万くらいの世界なら今までの延長線上の世界線、つまり、コンフォートゾーンの内側でぬくぬくと平和な日常を送りながら、達成可能な領域だ。

しかし、200万、300万、もっと言うと2000万、3000万となると、今までと同じ世界線にいては絶対に無理だ。目標を達成するまでの景色が全くイメージできないし、その未来は今の延長線上には訪れないからだ。

これはなんとなく想像できるはずだ。

多くの人が壮大な夢や目標を自分には無理だと言って諦めるのは「今の生活の延長線上にその未来が訪れる気がしないから」である。

臨場感を感じることができない未来は訪れることはない。

理論ではコツコツ積み上げたら、経験値が積み重なり、時間の問題でなんか凄くなりそうな気がするが、これは大きな勘違いである。

進撃の巨人のエレンがずっと壁の内側にいて、修行だけをやり続けたら最終的にあんなに強くなれただろうか?

ワンピースでルフィが風車村から出ずに、誰とも戦わず1人で黙々と修行を積み重ね続ければ海賊王になる未来に繋がっているだろうか?

そんなことは絶対にありえないということくらい容易に想像がつくだろう。

そう、人間が成長する時というのはコツコツ積み上げている時ではなく、痛みを伴い、挫折した時だけなのだ。

強敵に打ちのめされた時、退路を断ち眠れないくらいの不安と恐怖に直面した時、自分の無力感に絶望し発狂した時、借金で首が回らなくなり稼ぐことを余儀なくされた時、全ての人間から見放され孤独に苛まれた時、大体こういうネガティブな要因がターニングポイントとなり、人は本当の意味で人生を変化させていく。

僕が最初のターニングポイントを迎えたのが、大学3年生の時。

僕は大学受験で1度失敗し、浪人はしたが、これと言って大きな挫折はなかった。

ある程度の成績をキープしていて最終的にこれくらいでいいかと妥協したからこそ挫折しなかったんだと今では思う。

いや、挫折しなかったのではない。

目標値を上げ、今の自分の実力では通用しない領域に足を踏み入れると、挫折することが本能的にわかっていたからこそ格上との勝負から逃げ、挫折しない自分はかっこいいと思い込み、格下の相手に70%の力で相手をし、お山の大将を気取っていたのだ。

この腐り切った思考が根底にあったから、僕はビジネスにおいても長い期間中途半端な実績しか残せなかった。

そんな僕が大学生になった時、受験で遊びを我慢していたエネルギーが一気に発散され、全く勉強することなく、ひたすらに遊び狂った。当時は何のために大学に行ったのかわからなくなっていた。大学の時間割を組むのを忘れるくらい、教科書を買うのを忘れるくらい、とにかく遊ぶことに夢中になって、快楽に溺れた。

もちろん、そのツケはいずれ回ってくる。

大学1年生の時はまだ多少単位は取っていたが、2年生の時は一回も授業に行っていない。前期も後期も取得単位数は当たり前のように0だ。ちょうどその時の写真が残っていた。懐かしい。

安定したレールの上を走るために親の期待に応えるために大学に進学した結果、僕は大学3年生の時には今まで積み上げた全てのものを強制的に捨てざるを得ない状況に追い込まれたのだ。

これが僕のターニングポイント。

大学2年生の時から一応ネットでアフィリエイトというビジネスはやっていたが、コツコツ継続していればいつかは報われるという舌がとろけるくらい甘い発想でやっていたため、月5〜10万円くらいの稼ぎで停滞し、当時は全くそれだけで食っていけるという状態ではなかった。社会人をしながら副業で月5〜10万円確保してというのであれば、精神状態も安定し、順風満帆なのかもしれないが、大学3年生の春、僕に退路はなくなった。

これから先の未来はビジネスで稼ぐか一生バイト暮らしかの二択だ。

退路がなくなったことによりようやく本気になれた。

社会から放り出され、自分で結果を残さないと誰にも相手にされないという状況下に身を置いたとき、自分で行動を起こし、結果を出さなければ本当に人生が終わってしまう。

そう思った時、途端に不安と恐怖が脳裏に押し寄せてきた。その日から毎日勉強しては実践してというのを実家にこもってひたすら繰り返した。

大学を中退した時は親に物凄い形相で怒られた。

当然だろう。

私立高校に通わせてもらいながら、塾にも行き、さらに浪人したときも予備校に通わせてくれた。さらに僕が大学生活を楽しめるように人より多く仕送りをもらいながら、一人暮らしの家賃も食費も携帯代も学費も何かも全部親が払ってくれた。

なのに、僕はその全てを裏切り、退学して高卒という肩書だけが残った状態で家にノコノコと帰ってきたのだ。

大学中退後、一旦、実家に帰還するわけだが、時間さえあれば絶対にビジネスは成功させられるという確信があったので、親に頼み込んで、実家で生活させてもらえることにはなったが、毎月8万円は収めるように言われていた。何が何でも稼がなきゃいけなくった途端に、僕は本気になったのだ。

コンフォートゾーン(快適空間)の外に強制的に放り出された時、僕は変わらざるを得なくなり、結果を出すためにフルコミットした思考と行動で加速度的に成長することができた。

今までのやり方では絶対無理だ。

それを悟った時、僕はやり方を変え、何とかしてお金を稼ぎ出した。その後、自分でお金を生み出すことに慣れてくると、月20〜30万円程度は大したストレスなく、生み出せるようになった。

お金を稼げなかった時は稼げないという状態がコンフォートゾーンだったが、成長すると月20〜30万円生み出すことはコンフォートゾーン内になった。

実家暮らしでそのくらいのお金があると、特に生きる上では全く苦労はしない。

毎日、昼過ぎに起きて、夕方ちょこっと作業して、ジムに行き、温泉に行き、夜は友達とオールでカラオケをするといったルーティーンが定着してしまった。贅沢はできないが、毎日遊ぶくらいのことはできる。自分の弱さが露呈し、大学の時に快楽に溺れたあの日々にまた舞い戻ってしまったのだ。

その頃はお金に苦労してなかったのもあり、このままコツコツと継続していればいずれすごいことになるだろうと思い込んでいた。

しかし、そこから3年間全く同じような日々を過ごしたのだが、ビジネスは飛躍するどころか停滞し、売り上げも下がった。挙げ句の果てにはやる気もなくなり、本当に何もしなかった時期すらもあった。それでもまだ快適な環境で過ごしていたため、特に何の行動も起こさず、ずっとダラダラしていた。

僕はその時くらいから不思議に思っていた。

長い間、勉強と作業をコツコツ継続していれば自然と力がついてすごいことになると思い込んでいたのに、大学を辞めた時に思い描いていた理想の自分に全くなっていなかったのだ。

確かに生きてはいけるけど、何かが違う。

毎日、勉強と作業をコツコツしてきたし、それらの総量だと大抵の人には負けているとは思えない。だが、なぜなんだ?人生が大きく変わるような気がしないのは。

この答えに最近、気付いた。

それがコンフォートゾーンの内側、つまり、快適な空間を維持した上でリスクを取らずに努力をしていたことが変われない根本的な要因だ。リスクヘッジをした上での努力の方が確かに精神は安定するし、ストレスを抑えた中で努力ができるだろう。

しかし、成長するときは必ず苦痛を伴うものなのだ。

にも関わらず、僕は継続に逃げ、負荷の低い作業をダラダラやりながら、大きく進化することを求めていた。何かを差し出さなければそれ相応の対価を得ることなどできないのに、何も差し出さずに大きな果実を得ようなどという愚行を働いていたのだ。

筋トレも限界を超え続けることでちょっとずつ筋肉が大きくなり、上げられる重量が増えていく。文章を書くにしても毎日自分の書ける限界を超えなければ成長はない。3000文字書ける人は明日、3500文字書かなければならない。

こうやって、コンフォートゾーンを拡張し続けることで本来、人間は成長するものだ。

僕らは小学校、中学校、高校、大学と受験を強要され環境を変えることを余儀なくされ、定期的にコンフォートゾーンの外に弾かれてきたから意識的に成長したと実感しにくいが、誰しも人生が変化した時は何らかの大きな変化が訪れていたはずだ。

知識を定着させ、コツコツ努力を積み重ねてもコンフォートゾーンの内側での努力であれば、無意識のうちに自分に甘くなり、「今日くらいいっか」という弱音に負ける。

そりゃそうだ。

1日くらいサボったところで、何のリスクもないのだから。

まずはそういう環境を壊さなければ大きく人生を変えることなど不可能だ。


あなたがもしダラダラとした日々を送っているのであれば、胸に手を当てて聞いてみてほしい。コンフォートゾーンの内側に隠れて、外に出るのを恐れていないか?と。

僕は約3年間コンフォートゾーンの内側で惰性でビジネスをやってきたのだが、8ヶ月ほど前にコンフォートゾーンの外に出るきっかけが訪れた。たまたま東京に遊びに行った時なのだが、当時は2、3日遊んで帰る予定だった。

しかし、友達と一緒に事業をやる流れになり、カバン一つ貯金7万円くらいで東京に滞在することになったのだ。正直、その時はこの先の生活はどうなるのか?本当にうまくいくのか?今までの快適な生活を本当に捨てていいのか?いろんな思考がよぎった。

だが、このまま何の変化もなく、惰性で人生を消化していては面白くないし、それこそ人生自体がオワコンになるような予感がしたから、人生を大きく変えるいい機会だった。

迷ったら、面白そうなこと、未知の領域に踏み込んだ方がいいと直感的に思ったので、僕はこれまでの快適な空間を全て捨て、新たな人生を送ることにしたのだ。

これは8ヶ月前の出来事だが、正直、大変なことはたくさんあった。

当初、やる予定だった事業が詐欺でなくなったり、住む予定の家がなくなったり、ルームシェアしていた相手が夜逃げしたり、親に100万円借金して生活を維持したり、それでも足りないからリボ払い+分割で支払いを未来に飛ばし続けたり、3ヶ月家賃を滞納したり、などなど。

まぁ、この8ヶ月間でいろんな経験をした。

コンフォートゾーンの外に出た時って、不安や恐怖が付きまとうし、「やっぱり、辞めておけばよかった」「なぜ、こんな決断をしたんだ」としばらくは未知の領域に踏み込んだことを後悔するような思考が行ったり来たりするのだが、背水の陣でそれらを乗り越えた先に成長がある。

稼ぐか死ぬかの二択を迫られたら、人は頑張るものだし、3年間実家でダラダラと何の負荷もなく生活していた僕でも余裕で頑張れた。

モチベーションなんて吹き飛んで体が勝手に動く。

そういう状態を作ることができて人間は成長し、次のステージにいける。

特に僕のように自分に甘い人間は強制的に快適な環境を壊さないと、人生は変わらない。どんなに素晴らしいノウハウや理論を教わっても快適な環境に甘えて、結局、何も変わらない。

最近、昔からの知り合いのナンパ師と話したのだが、彼にもターニングポイントがあった。高校でも大学でも一人ぼっちで友達もいない。女性と手を繋いだこともない。そんな正真正銘の童貞で人生が終わっていて絶望した時に、本気で変わらなきゃまずいと思ってナンパに踏み込んだそうだ。

絶望が転換期となり、希望を掴む原動力になったのだ。

結局、彼はナンパ師として大成功し、ナンパを通じて彼女も作り、何人もの女性を落としていた。また、ビジネス的にも成功したのだ。

これが普通の高校生活、大学生活である程度周りに女子もいて、モテているという快適空間を維持していたら、わざわざナンパ師になんてならなかっただろうし、ある種、コンフォートゾーンがなかったから行動できたのだろう。

恵まれている人、中途半端に生活できている人ほど人生が変わりにくい。

まだ今のままで大丈夫だというブレーキを心の中でかけ続けるからだ。また、わざわざ変わらなくてもそこそこ楽しい日常を送ることができるから。全てを失った時、あるいは自ら快適な環境を放り投げた時、本当の意味で人生は変わり始める。

僕はこのケッキング山田垢は3つ目だが、別に何度凍結しようが、失うたびに進化のきっかけをもらっていると思っているので、何も怖くない。失った直後は多少落ち込むが、すぐにこれは神様がくれた成長のための試練なんだなと切り替える。

快適な空間をぶっ壊し、精神を狂わせながら、不安と恐怖に挑み続けることで人生は変わっていくし、若い時にコンフォートゾーンを拡張しておくことで、30代40代になった時に常人には理解し難いくらいの資産を築けるのだ。資産とは金銭だけでなく、知識、経験、思考、人脈などありとあらゆるものを指す。

このどれだけ自分のコンフォートゾーンを壊すことができたかが成功者と一般人の差であり、同じ人間でかなりの差が開くのは快適な環境に「居続けているか」「壊し続けているか」の違いだと思う。

僕はその事実に気付いたので、今後は積極的にコンフォートゾーンの外に出て、いろんな種類のストレスと対峙していく。

生ぬるい環境でぬくぬく自分のできる範囲内の行動しか取れない人はまず、後先考えずにそのぬるい環境をぶっ壊すこと。いやでも成長するから。

これは早いか遅いかの問題であり、どこかのタイミングで誰しも決断を迫られる時はくる。全てから逃げた先は誰にも必要とされないまま老後を迎え、誰でもできる肉体労働でその日暮らしを維持するという地獄の日々が待ち受けているだけだ。

そして、その時にあの時に行動していれば、若い時に頑張っていればと愚痴を吐くのだろう。そういう人生が嫌なら、未来の快適を手にするために今この瞬間、快適な環境を破壊し、生まれ変わる決意をすることだ。

これが僕が思う本当の意味で人生を変える方法だ。

手段自体は何でもいい。

あとは背水の陣でやるだけ。

特殊なノウハウを知っても成功者からいい話を聞いてもどうせ成功しない。ぬるい環境が君の邪魔をするし、リスク0の状態じゃ、どうせ頑張れない。

得たいものが大きければ、それ相応のものを先に差し出すことだ。

僕はこれからも進み続けるし、行く末をこれからも投稿し続ける。
そんなケッキング山田のストーリーをお届けできたらなと思っている。


ここまで読んでくれてありがとう。


引用RTで感想くれたら嬉しい。
また、記事を書こうと思う。
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