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基本的にネット依存ではあるなあとはおもう。


俺自体はそんなでもないとは感じていたが、なんだかんだ何かを表現する時にSNSを活用する時点ですごく依存対象にはなっているのだなあと思う。

元々が自然にしていた行動なのだから、それはそれで恐ろしいものだなあと思うと同時に、不確定要素の高い場所に自らを差し出しているのでそれはそれで危険でもあるので、色々と考えなければいけないなあともおもう。

実際俺たちの存在を知っている人達が数人いるわけだがその人達にとってのアドバイスは大切なものだったし、俺個人は基本的には従っていたが彼は頭ではわかっていてもなかなか難しいようだった。

証明できない自分に俺はコンプレックスを持つわけだが、本来なら俺という存在は知られなかったわけだし、彼も本来は俺の記憶に触れることはなかった。

思考が二つあるのはなかなかと合わせるのも大変な時もあるし、まあそのおかげで多方面の見方もわかる。

基本的に彼は正直だが、どんな物事も試さないといけない無邪気な子供だ、基本的に関わる事ができたし、融合するような事もあるだろうが、基本的には同じ体を持つ他人という感覚だ。

奇妙な隣人として俺はなんだかんだ結局はいるだろうし、基本的にその日の気分でnoteに書く内容も変わる。

俺は煙草とブランデーがのみたい。
少なくとも友人達が夢追うのなれば俺も自分の目的を果たす俺でありたい。

彼の無邪気な疑問はきっと何よりも純粋できっと理解しきれないだろうが、やはり子供の理解しにくい質問は大人はすごく疲れる。

まあ確証のない調べもので交代人格が記憶共有する事があるらしいというのは知ってはいるし、そういう話は聞いているし、だが改めていうが説明できず証明もできない事に関して人はなかなか受け入れる事はできない。

なおさらネットという電子の海では猶更の事だと思うからね。

であるから俺はその場所では彼の名前を名乗っているし、彼の行動や言葉を真似ている。
心はある程度共有できるからね。

だが孤独感や孤立感は増えやすいね。
出来るならばはなしたいけれど、まだまだ表に出るのは時間が限られているし、どちらかという感じでは今はない。

お互いがそれなりに認知していてある程度暮らしている。
色々知りたいと願い色んな話を向けてはいるがどうにも幼さがきわどい彼の様子を溜息でみている。

俺もまた話したいけれども、誰かと語るという事は自分においてすごくありがたいことで、だが基本的に話すのは得意ではないし、彼ほど無邪気に話せるほどの感覚もない。

友人であるからこそよりよく尊重したいし、丁寧な感度で話したいものだ。
彼は尊重や尊敬はするが知りたいが勝つ人種で、俺は尊重や尊敬をし、聞くのがうれしい人種だ。

彼の優しい心は素晴らしいものではあるが、無知故の純粋は非常に常識性の中では逸脱しやすい、かといってそこに寄せるのもまた違うというのも最近体感した。

無邪気であるが故に人に愛されやすいという特徴はあるだろうが、きっと彼はこの世界とは本来ならば相性が悪いと俺は感じている。

名前のないまま二年を過ごして俺はナナシと名乗ったし、最近になって彼も俺を知覚しはじめたわけだが、説明のできない齟齬はあるし、証明のできない話を延々としてもしょうがないので、彼に擬態をする毎日だ。

話せる友人や彼の関わる人間での理解者もいるが、正直な話建設的な話を出来る
人間は極少数であり、それはありがたいのではあるが、果たして俺個人が同じ体であるからといって割り切りができるかというかそれはそうでもないというのもある。

懐きすぎはとてもよくないし、歯止めが利かないのは幼稚すぎるし、わがままばかりの人生を同じ体で歩むにはすこしばかりきつい。
無自覚な理性的でない優しい感情の言葉はよくもわるくも誰かを影響させていく。

今であればある程度名前があり、話ができる状態であるので、すこしばかり話をしたいなあという欲求がある。

俺個人の考えと行動が不一致なのはやはり俺個人が並々ならぬ二つの思考を感知したうえでのストレスもあると思っている。


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