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きっと人は文を書き続けるし、人は人が書いた文を読み続けると思った

AIが文を書き始めたとして、それ故に文を書くことを止めるだろうか?
と疑問に思った。

自分が文を書く理由

私は自分の感情整理の為に文字を書き始める。そしてそれを自分が好きな表現に細かく書き換えて、並びを変えて、自分の一番好きな文章を作り上げる。自分が読み返して、自分の感情が揺れる文章を書こうとする。
全部終わった後は誰かに渡すこともあるし、非公開のまま自己満足して終わることも多い。

そんな風に自分が書くときのことを振り返って「誰かに読んでもらいたい」というよりも自分が書きたいから書いているだなぁと腑に落ちたのがついこの間のこと。そんな理由で書いているのだから、AIによって大量の文がばら撒かれようときっと私は文字を書き続けるんだろう。そんなサンプルが少なくともここに在るのだから、きっと人は書き続けるというのは真なんだろう。

自分の読む文について

では、自分自身は人が書いた文とAIが書いた文、どちらを読むのだろうか
もっと正確に言えば
自分が文を読むとき、どんな風にその文を選ぶだろうか

「人は何を読むのか、選ぶのか」という一般論は私には難解すぎる。
だから自分ベースで考える。

遠い昔は日常で接する文字、文なんて身近にはなかった。
識字能力が一般化され、少しずつ書籍というものが身近になった頃であれば、興味のある書籍を読み切ることは可能だったかもしれない。
でも今のように本屋ができるほど書に溢れてから、今のようにネット上に沢山の文書が溢れてからは、全てを読むということは出来なくなってしまっている。

そんな大量の文の中からどうやって選んでいるんだろう。読みたいって何なのだろう。

まず一つ。関心のある人の書いた文。
ここでの「関心のある」とは、私の場合に限っては著名というよりは友人であったり、思考として面白そうな人をさす。文がその人となりを微かでも表していると思うから、小説でも、紹介記事であろうとなんでも読んでみたいと思う。

二つ目は、何かしらの感想文。
友人の感想文はその人なりも興味があるから読みたくなる。この人にとっての世界はどうなっているんだろう、そんな疑問を紐解くために読み続ける。
あとは赤の他人の感想文、これは自分の取りこぼしを見つめるために読みはするけど優先度は下がる。

次に、好きな文。私にとって感情を握りつぶされそうな世界がある文。
先に私の好きな文について整理すると、例としてミステリーを上げるなら、謎を解くことよりも謎を解く人が何故謎を解こうと思ったのか、何の為に、誰の為に、そんなところを想像し。感覚を共有して自分だったらどうするだろうと考える。他に道はなかったのか、あったとしてもあえてその道を選んだ理由は何なのか。そんな風に板挟みにされながら信念と正しさと何かを大切に想う気持ちが手に入ると、感情が揺らいでぐっちゃぐちゃになる。こんな体験が好き。だからそんな世界を構築してくれる文が好き。
そんな世界がある文も、好き。読みやすさや文体よりも、詰め込まれたもの。

次に、あらすじとか、人に薦められたとか。
結構優先度は低い。

次に、技術書etc。
何ならまとまっていればなんでもいい。雑食。


さて、ざっくり普段読むものを四種類挙げてみた。

最初の「関心のある人の書いた文」についてはイメージとしては友人の文という意味合いが強い。これはリアルの関係性が表に出てくるからこそ面白いし、自分のその人への先入観、感受性の違い、そしてその深堀の会話が可能であると尚よい。これは、人間が書いた文がいい。
将来AIがさも人間的な振る舞いをするようになったらわからないが。

二つ目の「何かしらの感想文」については、少なくとも私は人間だと自認していて、他の人間の価値感を知りたい体験を知りたいという意味で挙げたものだから、これも人間が書いた文がいい。
後半に書かれている赤の他人の感想については、将来AIがさも人間的な振る舞いをするようになったらその時は「人の感想文」と「AIの感想文」と分けて楽しむのかもしれない。

三つ四つ目はAIのものにとって代わろうと問題ない。情報収集や思考実験的に読んでいるからか、人間である必要がないという表現が正しいかな。

整理

何となくの分類ができて、自分の整理がついてきた。
自分は書きたいから書く。人の文は新しく作られ続ける。
その人となりを求める人がいるのなら、その人の描く文はきっとずっと読まれ続けるんじゃないかな。

後記

ご縁があってTRPGをやり始めました。
剥き出しの情緒をズタズタにされる喜び、その時の感情を書き起こす苦しみと創作することの楽しみを知ることができました。叫ぶような文章しか書けないけれど、それが楽しいから少しずつ続けていくつもりです。

さて、なんで本文のことを考えたかって言うと、職業柄AIとか触ることが多くて「創作とは」ということを考えてしまったからです。
私は小説家でもないし、技術的にものすごく強いわけでもないし、最新の動向を追っているわけでもない。それでもきっとAIの文が増える未来に備えて己を見つめなおす時間が必要だと思って。
「何の為に書いているのか、何の為に文を読むのか」を見つめなおした方が良いと思ってここまで書きました。

少なくとも2023/6/30 夕方の私は、そんなことを考えていたんだ。

おつかれさまでした。




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