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水樹奈々オタクが人生で初めて坂本真綾のライブに参加してきた話。

坂本真綾のライブ『LIVE 2022 “un_mute”』に参加してきた。
東京国際フォーラムで2日間行われるライブの初日公演である。

なお、筆者は友人に誘われて、坂本真綾のライブ初参戦だ。

筆者はふだん声優アーティストの水樹奈々について主に書いている。好きな音楽ジャンルは「日本語ラップ」ではあるが、ほかのアニソン、声優アーティストについても好んで聴いている。

そんな筆者が「プラチナ」や「トライアングラー」など超有名曲を除いて、まともに坂本真綾の音楽に触れたのは、2019年のアルバム『今日だけの音楽』がはじめてだった。

なんか評判いいから聴いてみるか」と何気なく聴いて、そのあまりのクオリティに衝撃を受けたことをよく覚えている。

以降、近年の作品から遡るようにして、坂本真綾のディスコグラフィをひと通り辿っていった。

その流れで、「誓い」という本人作詞作曲の楽曲に強く感動し、こんなnoteを書いたこともあった。

そういう経緯があって今回友人に誘われて、ほいほいと国際フォーラムまでついていったというわけだ。

そして、ぶっ飛んだ──。

まず、こんなこと言うと坂本真綾のファン、あるいは全国の声優アーティストオタクの諸兄に怒られそうなのだが、とにかく声がいい声がよすぎる

僕はこれまで水樹奈々をはじめとして、堀江由衣、田村ゆかり、スフィアなどたくさんの声優アーティストのライブに参加してきたが、「歌が上手い」ということはあっても、「声がいい」という感想を抱いたことがなかった。

もちろんみんな魅力的な声に決まっているのだが、わざわざそんな当たり前の感想はポップアップしなかったのだ。

しかし、今回の坂本真綾に関しては、わざわざそんな当たり前のことを再認識するほど、そしてバカを承知でそれを強調したくなるほど、とにかく声がよかった

声がもたらす圧倒的な多幸感
えげつないヒーリング効果
歌声を浴びるだけで日常生活のストレスやら汚れやらがすべて浄化されるような心地だ。

天から与えられたギフト」──坂本真綾の歌声を聴いていて、何度も何度もそんなことを思った。

またそれを受け止めるオーディエンスの空気感も大変よい。
年齢性別幅広く、平和な空気感が溢れており、ほかの声優・アニソン界隈とは一線を画すような雰囲気だ。
どちらがいいとかわるいではなく、明確に異なる空気感である。

僕のライブ、コンサート経験でいえば、いちばん雰囲気が近いのは『リトル・マーメイド』のフィルムコンサートだったかもしれない。断じて水樹奈々ではない。

また基本的には「着席」でライブを楽しむのもなかなかに新鮮。これまでライブはロック、ヒップホップ、アニソン問わず基本的にすべてスタンディングで楽しんできた。あるいは「ライブ」というより、「コンサート」なのかもしれない。

しかし、本編クライマックスのアップテンポな楽曲の連打で、じわじわオーディエンスが立ち上がっていく感じもまたよい。

そして、その上でひきつづき着席で聴く人がいることも、おのおの好きに音楽を楽しんでいる感じがして好感が持てる。

ということで総じて素晴らしいライブだったわけだが、せっかくなので、とくに印象になった楽曲についても触れておく。

どの曲も素晴らしかったが、「Waiting for the rain」「カザミドリ」「Hidden Notes」「レプリカ」あたりがとくに印象に残った。

そのなかで無理やりベストを挙げるなら、やはり「カザミドリ」だろう。もともと事前に聴きたい曲にもリストアップするくらい好きな曲だったが、坂本のクリアすぎる歌声に見事ぶち抜かれてしまった。

それにしても。

わかっちゃいたけど、歌詞が、歌詞がよすぎる――。
短いリスナー経験のなかでも、作詞家・坂本真綾の天才性にはすでに何度も驚嘆させられている。

ということで、最後に「カザミドリ」の歌詞のどこが好きかについて触れて、このテキストの〆とする。

カザミドリ(風見鶏)」とは建物の屋根などに取り付けられる鶏の形をした道具だ。風に合わせて動くことで風向きを知らせている。風向計の一種と考えてもらえればよい。

そこから転じて、状況に合わせてころころと意見や立場を変える人のことを皮肉って「風見鶏」と呼ぶことがある。

そういう意味でマイナスのニュアンスでも使用される言葉ではある。
しかし坂本はパタパタと揺れる風見鶏を眺めて、その意味合いを華麗にずらしてみせる。

変わることを恐れながら
ここに留まりたくもない

いつもとよく似た
静かな目覚め

坂本真綾「カザミドリ」1番サビより

ひとりぼっちは嫌なのに
ひとりでいかなきゃ

意味がなくて
寂しさに足が止まっても
まだ帰れないの

坂本真綾「カザミドリ」2番サビより

「カザミドリ」は歌詞全体を見ると明らかなように、「旅立ち」あるいは「ここではないどこかへ向かうこと」についての歌である。そしてそれは「変わること」という大きな命題へと抽象化されていく。

そのうえで、1番、2番サビとも”対立するふたつの立場の間で揺れ動く人間心理”を「風見鶏」に仮託して歌っていると見ることができそうだ。

変わりたくない。
しかし、このままでいいとも思っていない。

ひとりぼっちは嫌だ。
しかし、ひとりで旅立たなくてはいけない。

人間とはそもそも矛盾を抱えた生き物である。
好きだからこそキツく当たってしまう。
そんな思いを抱えたことがある人も多いだろう。

そしてそんな矛盾こそが、「人間らしさ」の一翼を担っている。
一貫した存在ではいられない人間の弱さ。脆さ。
まことに残念ながら、それが人間を人間たらしめるコアなような気さえする。

人間が根本的に抱えた矛盾。
坂本真綾の歌声を聴いていると、それを優しく肯定しているように思えてならない。

僕たちはこれからも社会という名の突風に吹かれながらも、AとBの間をパタパタと格好わるく揺れるのだろう。それが、それこそが人間の業であり、「生きる」ということの避けがたい本質なのかもしれない。

そんなことを「カザミドリ」を歌う坂本真綾を生で観ながら思いました。

素晴らしいライブでした。
ありがとうございました。

(終わり)

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