29歳。いつの間にか僕は「出会った当時の水樹奈々の年齢」になっていた。なってしまっていた。
1993年3月✕✕日、筆者が生まれた。
1980年1月21日、水樹(近藤)奈々が生まれた。
僕が水樹奈々にハマったのは2009年10月のことである。
高校2年。新型インフルエンザの影響で延期となっていた修学旅行。10月になって実施された北海道への旅から帰ってきた直後に、僕は水樹奈々に魅了された。
おかげで人生ではじめてできた恋人には一瞬でフラれた。それほど水樹奈々は深く、一瞬で、僕を"狂わせた"のだ。幸か不幸かその病は2022年現在も絶賛継続中である。
きっかけはクラスメートから借りた1枚のCD。『THE MUSEUM』と題されたCDのパッケージ。そこに彼女はいた。真っ白な空間に佇む真っ白なジャケット姿━━それが現在にいたるまで、僕の人生でもっとも重要な存在でありつづける「水樹奈々」との出会いである。
当時、水樹奈々は西武ドームで声優アーティスト初の単独ライブを成功させ、飛ぶ鳥を落とすほどの勢いであった。その威名は、大阪の端っこに住む童貞高校生の耳にも届き、(僕にとって)運命的な出会いをもたらした。
アルバムに収録されている「Crystal Letter」のMVに魅了され(つまり最初は顔ファンである)、僕の人生は決定的な方向にねじ曲がった。高2の10月──16歳のことである。水樹奈々は当時29歳だった。
16歳の童貞高校生と29歳の声優アーティスト。
「16」と「29」。
ひと目惚れに近い出会いをしながら、しかしいっぽうで、クソガキそのものだった僕から見た水樹奈々は「年上のお姉さん」以外の何者でもなかった。なんせひと回り以上も年上である。バイトもしていない高校生にとって、アラサーは親や親戚以外ではなかなか出会う存在ではない。
たいへん失礼な話で恐縮だが、当時の僕は本気で「来年1月に水樹奈々が30歳になったとき同じ気持ちを彼女に抱けるだろうか」と本気で心配した。そこから10年以上もファンをやりつづけるのだから、ほんとうにバカな心配である。しかし、バカはバカなりに切実な”危機感”を抱えていた。
ときは流れて現在──。
2022年8月16日。僕はいまこのテキストを書いている。
気づけば働きはじめてそこそこの期間が過ぎて、年齢は29歳になった。
いつの間にか、16歳の高校生が出会った「当時の水樹奈々」の年齢に追いついた。追いついてしまった。
いまの僕はなにをしているか。
もうおわかりかもしれない。
29歳になった僕は16歳のクソガキのときのテンションそのままに━━いや、なんならそれ以上のテンションで水樹奈々を追いかけつづけている。彼女は最近、結婚して1児の母になった。水樹奈々は42歳になった。
「16」と「29」。
「29」と「42」。
その間に水樹奈々は東京ドーム、QVCマリンフィールド(現:ZOZOマリンスタジアム)、横浜スタジアム、そして阪神甲子園球場とスタジアムクラスでのライブをつぎつぎに成功させてきた。自身の悲願でもあった「紅白歌合戦出場」も果たし、後続のアニソン、声優アーティストたちの道を切り拓いてきた。
人気は多少落ち着いてきたものの、現在も夏のライブツアーの真っ最中。コロナ禍でひさしぶりの全国巡業ではあるが、精力的に活動している。
ちなみに、今週末の名古屋でツアーファイナルを迎える。
そして僕は7月16日から開催されてきたツアーの全公演に参加している。いわゆる、”全通”というやつだ。もちろんファイナルの名古屋もコロナでぶっ倒れないかぎり、駆けつける予定だ。5都市10公演。僕は水樹奈々と一緒に全国を旅してきた。
このご時世に推しのライブのために全国を飛び回ることは、人から見れば社会の敵と映るかもしれない。まっとうな意見だと思うし、とくに反論はない。それでも僕は水樹奈々のライブがあるかぎり、全国どこでも参加する心積もりでいる(沖縄はさすがに遠慮するかも)
先週の土日は仙台でライブがあった。
今回のツアーではもっとも少ないキャパシティのハコで、そのぶん演者と客席の物理的距離も近い。アットホームな環境下での素晴らしいライブであった。
しかし、バカみたいな顔してライブに参加しているとき、僕の脳裏にはひとつの疑問がちらついていた。それは今夏のツアー中、僕をずっと苛みつづけてきた言葉だ。
すなわち──「僕はこんなことをやっている場合なのだろうか」。
水樹奈々は「夢」を歌うアーティストだ。
20年を超す歌手としてのキャリアのなかで、手を変え品を変え「夢は叶う」と歌いつづけてきた。
それは水樹奈々が「声優」と「歌手」というふたつの「夢」を掲げて、そのどちらをも叶えてきたキャリアと無関係ではない。そしてその両方で━━あるいはその両方の相乗効果でもって、驚嘆すべき成功を遂げている。
そういうわけで、水樹奈々は「努力すれば夢は叶う」と本気で信じているし、詞世界にもそれが濃厚に反映されている。ときに聴く側が胸焼けを起こすほどに、水樹奈々はリスナーの背中をバシバシと叩く。
僕には「夢」がある。それは「小説を書くこと」だ。
より正確にいえば、「小説の新人賞を受賞してデビューすること」だ。
しかし、この夢を大学生のころから10年以上も抱えているが、いまだに叶ってはいない。
だからこそ、僕はいままでこのnoteのなかで、水樹奈々の「夢」についてのメッセージに、愛憎なかばする激烈な反応を返してきた。
「夢を叶えた人間」は「夢を叶えていない人間」からすれば、あまりに眩しく、ときに妬ましい存在なのだ。
だから僕は、「夢は叶う」という言葉に対して冷静ではいられない。
その証拠というかなんというか、僕が書いたすべての記事のなかで、もっとも「いいね」がついているのは、「水樹奈々よ、あまり「夢は叶う」と歌わないでくれ、頼む。」という、そのものズバリすぎるテキストである。
(リンクを張っておくが、とくに読む必要はない)
しかし、なんのかんの言いながら、僕は水樹奈々からのメッセージを受け取り、僕なりの歩調で「夢」に向かって進みつづけてきたつもりだった。
推しが掲げる「夢は叶う」というテーゼを嘘にしないために、かならずや小説を物してやると意気込んてきた。
しかし、もう29歳である──。
水樹奈々はそのころ、西武ドームを独りで埋めていた。
いまのお前は何をしている??
もちろん、水樹奈々と僕は違う。
そもそも僕は音痴なので歌手を目指していないし、中学高校のクラス演劇では棒読みすぎて笑われたレベルだ。
しかしながら、僕もそろそろ自分の「夢」のために覚悟を決めていい年なのではないか? もうとっくにそうすべき年齢だったのではないか??
だとしたら、だとすれば━━。
へらへらと推しの尻を追いかけて、全国を行脚している場合ではないのではないか??
泣く泣くライブをあきらめて、どこか遠くで今日も客席を沸かせている水樹奈々に想いを馳せながら、自分のやるべきことのためにパソコンの前に座っているべきなのではないか??
自分のクソみたいな筆力に涙しながら、それでもキーボードのまえにかじりついているべきなのではないか??
いいのか?
━━お前はほんとうに、それでいいのか??
ライブでへらへらしてるだけでいいのか??
それは水樹奈々が歌う「夢は叶う」を根底から裏切る行為なのではないか??
「夢は叶うなんてのは成功者だから言える妄言だ」とお前は言った。水樹奈々の歌に励まれながら、心のどこかでそう思っていた。
しかし、お前はそう言えるだけの努力をしたのか??
そういう文句はぜんぶやり切ってから言うべきなのではないか??
お前にはまだその資格すらないのではないか??
お前はすぐに言う。簡単に言う。
「水樹奈々を尊敬している」だの「水樹奈々の生き方に影響を受けている」だの。
そんなもんはぜんぶ嘘だ──。
ほんとにそうなら。ほんとうにそうなら━━。
いまここで泣き言をキーボードに叩きつけてるヒマがあったら、一文字でも小説を書くべきなのではないか??
水樹奈々のライブに”全通”しながら。
水樹奈々の歌を、声を、姿をいちばん多く見ていながら。
お前は水樹奈々がいちばん言いたかったことを、「聞こえないフリ」していたのではないか?
「見て見ぬフリ」していたのではないか?
いつからそんな浅知恵を覚えた? 自己防衛のための小細工を弄するようになった?
お前はほんとうは──。
水樹奈々を何ひとつ見ていやしないのではないか──??
それは、あまりに卑怯ではないか??
重篤な裏切りではないか??
お前はあと半年ちょっとで30歳になる。
クソガキだったころに出会った水樹奈々の年齢を追い抜く。おめでとう。これは心からの皮肉だ。
お前はそれでいいのか??
いまのままでいいのか──??
今週末の土日、名古屋で2日間ライブがある。前述したようにツアーはここで幕をおろす。僕はその公演に参加するべきかどうか悩んでいる。
いや、ちがう──。
悩んでいるフリだけして、「苦悩」という名のポーズだけをとり、けっきょく僕はのこのこ名古屋へと向かうのだろう。東海道新幹線に乗り込むのだろう。
そして、2日後の公演が終わったあと、「水樹奈々のようにがんばる!」などと言ってみせるのだろう。性懲りもなく。何ひとつ学ばず。
いいのか、それで──?
お前はいい加減に変わるべきなんじゃないか??
(終わり)
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