見出し画像

言葉は呪縛で、言葉は救い

前回のnoteを読んでくださった方々、ありがとうございます。

「音楽文」の方は無事に年内に完成し、掲載もしていただけました。
今回は投稿から掲載まで数日あったので、もしかしたら不採用かもしれない…と少し不安になったりもして。
投稿したあとは恥ずかしさや怖さもあって、でも掲載されなければそれはそれで不安になって、掲載していただけるとやっぱりうれしくてホッとする… っていう。
掲載していただくと毎度「うううありがとうございます…!」という気持ちになります。

amazarashiの「未来になれなかったあの夜に」という曲について書いています。大好きな曲です。
こちらにリンクを貼りますので、もしよければ…

未来になれなかった夜、その先へ


この音楽文を書いている中で頭に浮かんだ言葉があるのですが、それが今回タイトルにした「言葉は呪縛で、言葉は救い」というもの。

新年早々、重い感じのするタイトルですかね?
でも、最後には少しあったかい気持ちになってもらえたらいいな、なんて。


もし、「あなたはどんな性格ですか?」と尋ねられたとして、これを読んでいるあなたは何と答えるでしょうか。
いま思い浮かべたそのワードは、もしかしたら他人に言われてきた言葉だったりしないでしょうか。

「やさしい」「おもしろい」「面倒見がいい」
「まじめ」「社交的」「ポジティブ」etc.
(↑私のことってわけじゃないです)

幼い頃の記憶がしっかりあるわけではないので証明しようがないけれど、親や周りの人たちに言われるうちに自分でもそう思うようになった的な部分もあるんじゃないかなって。

自分という人間を形づくる要素はいろいろあると思うけれど、そのうちの一つに「言葉」があると思うのです。
誰かに言われてきた言葉、本やネットなどで目にしてきた言葉、自ら口にしてきた言葉、文字にしてきた言葉…など。

言葉には、不思議な力があると思います。
誰かのほんの些細な一言が、どんな災難からも心を守る盾になる。
その一方で、その些細な一言に縛られ本心に蓋をして自分さえもうまく騙していたりもする。
ちょっと怖い例だと、言葉による洗脳なんかもありますよね。

人の心を縛ることも、守ることもできる言葉。
そんな、私にとって呪縛でもあり救いでもある言葉のエピソードをいくつか、今回は書いてみようと思うのです。


①「ゆっくりでいいよ」

私は高校を卒業後、地元の大分県を離れて大阪の専門学校へ入学しました。

入学してすぐ、先生との個人面談があったときのこと。
「あなたを一言で表すと?」
そう尋ねられて、「鈍い(のろい)です」と答えた私。

「え?脆い?」と聞き返され、もう一度「のろい、です」と答えると、
「なるほど、◯◯さんはゆっくりなんだね」とその先生は言いました。

私が自分のことを「のろい」と言ったのは、昔から「鈍くさいなぁ」とか「マイペースやなぁ」と言われたり、仲良くしていた子に「トロいからあだ名はトロね」なんて言われたりしていたからだと思います。

周りに度々言われるうちに、「自分は人より遅いんだ、そういう人間なんだな」と気付かされ、自分でも認めるようになっていったのです。

しかしその先生は「のろい」というネガティブ寄りな言葉を即座に「ゆっくりなんだね」というややポジティブに聞こえる言葉へと変換してくれたのでした。

面談の最後に、もしも自分が学校を辞めたくなったとして、そんな自分へ宛てたメッセージを書いてください(もしも辞めたいって言ったときにそのメッセージを見せるため)と言われて、私はなんて書こうかなぁとその場でじっくり考えだしました。

その様子を見た先生は笑いながら
「◯◯さんは自分のことをよく分かっているんだね」と言いました。
「私ゆっくりなんですって言って、ササっと書けたらどうしようかと思った。笑」って。
次に面談を待っている人もいたので、結局私は廊下に紙とペンを持ち出してゆっくり書かせてもらうことに。

そのときから、ことあるごとに先生は私に
「ひとちゃんはゆっくりでいいからね」
と言うようになりました。

いつしか私はそういうキャラクターとして、他の先生にもクラス内外の学生たちにも受け入れられ、「ゆっくり」という性格を愛してもらえるようになっていました。
自分にとってどちらかというとマイナスの面が大きかった部分を、「素敵な個性」として見てもらえたのです。

「ゆっくりでいいよ」という言葉に、私は何度も救われました。
でも、心のどこかで僅かに反発心のようなものがあるのも分かっていました。

それが決定的になる出来事がある日起こります。
私は当時ビジネス街のパン屋さんでアルバイトとして働いていたのですが、レジ打ちを任されるようになって少し経った頃、ついに昼のピーク時にレジを担当する機会が訪れて。
うまく捌けずどんどん長くなっていく列にパニックになっている私を見かねて、先輩が「代わるよ」とレジに入り、私は別のポジションへ行くことになってしまいました。

そのとき、「ゆっくりでいいよ」という言葉が頭に浮かんで…
ふわっとやさしく私を包み込もうとするその言葉を振り払い、

「ゆっくりで、よくなんかないんだ。ゆっくりじゃダメなんだ…」
泣きそうになるのをぐっと堪えて繰り返し自分に言い聞かせました。

「ゆっくりでいいよ」
とてもうれしくて、あたたかかった言葉。
わたしを包み込んで、守ってくれた言葉。

でも、それに甘えてばかりいられないときもある。
ゆっくりが迷惑になるときも、成長しなきゃいけないときも、やっぱりある。例えばそう、今だ。

そのときは、「ゆっくりでいいよ」という言葉が痛くて、少しばかり恨めしくもありました。

だからと言って「ゆっくりでいいよ」という言葉や、それを言った先生を否定することはできなかった。
その言葉に救われたのは、事実なのだから。
感じた温かさは、本物なのだから。

※余談ですが、「ゆっくり」ってキャラで自分が認知されてることを知ってしまうと、周りの目が気になって素早く動きづらくなるみたいなとこあります。笑
私も走るし、焦るし、早口になることもあると思うし…
基本ゆっくりでも、自分がゆっくりだと分かっている故に早め早めにと行動して、結果ものすごくリアクションが早いこともあります。多分…
そういう意味でもたまに「ゆっくり」という鎧?を脱ぎたくなることもありますが、多分脱ごうと思って脱げるものじゃないんだろうな…。
というか、そういうことじゃないんだろうな。


②人と比べなくていいよ

これも、専門学校に入学してすぐの頃①とは別の先生が言った言葉です。

「みんな目が爛々としてるね、どうかその目の輝きを失わずにいてほしい」
など、これからの未来に希望を抱く学生たちに向けていろいろなお話をしてくれた先生。

その中で放った一言
「みんな、人と比べなくていいからね」

あまりにも、さらっと。
うっかりしていたら聞き逃すんじゃないかというくらい、なんなら先生自身も言ったことを忘れているんじゃないかというくらい、さらっと言い放った言葉。
でも私の心はそれをがっちりキャッチして、お守りのように大事にしようと思いました。

この言葉のおかげで、私は学生時代をとても安定したメンタルで過ごせていたと思います。
ちなみに通っていたのは音楽の専門学校で、私は歌とギターを専攻していました。
ハッキリ言って歌もギターのレベルもそんなに高くない私(まわりは凄い人だらけ)ですが、それでも卑屈になったりひどく落ち込んだりすることなく、「わたしは、わたし」という感じで穏やかに過ごせていたのです。

それはきっと①で書いたように私の個性を認めてくれる仲間がいたからでもあると思いますが、
「人と比べなくていい」という先生の一言の力も大きかったと思います。

人と自分を比べることで生じる暗くどろどろした感情とは無縁でいられたのです。途中までは…
実は一度、その先生の授業中に号泣したことがあります。

私は専門学校の2年間、(一応)無遅刻無欠席でした。
私にとってその学校は楽しくて楽しくて、大好きな先生や仲間に会えるのがうれしくて、だから行っていたに過ぎないのですが、ある日そのことを先生に褒められました。

「中には休みがちな生徒もいる。普段の授業には出なくて、コンテストのときだけ出てきて賞をもらうような人もいる。
でも、学校に毎日来るという当たり前のことができるのは、実はすごいことなんだ」

…と、だいたいこんな感じの内容だったと思います。

単純に褒められてうれしかったし、そっか当たり前のことができるってすごいことなんだ…と言葉通りに素直に受け取ってしまった私。
今思うとちょっと浅はかだったなと。

私は「休む」ということを知らなかっただけなのです。
学校が楽しくてしょうがなかった専門学校時代はともかく、小学校〜高校生時代に学校で嫌なことがあったときでも、学校を「休む」という選択肢が私の中にはなかった。

少し話が逸れてしまうけれど、例えば頭が痛いとき。私はよく、痛いな〜と思いながら耐えてしまう。
夫に「薬は飲んだのか?」と訊かれてはじめて「薬を飲む」という選択肢があったことを思い出すのです。

それくらい、私にとって「学校へ行く」というのは無意識レベルでとっている行動でもあったのです。

でも先生に褒められたことで、このまま学校に通いつづけて頑張っていれば、いつか休みがちな人よりも成果が出せるときがくるんじゃないか、という希望を抱いてしまったのです。

しかしそんな希望を打ち砕く出来事が起こります。

学内では年間通して様々なコンテストが行われていて、私は自分の分野にかかわるコンテストにはなるべく応募していました。

あるとき、私と 後に夫となる人物(同じ学校だったのです)は何度目かのボーカルコンテストへ向けて練習に励んでいました。

ボーカルコンテストというのは、自分で選んだ既存の曲(カラオケ音源)に合わせて歌うという、いわゆるカラオケコンテストに近いものです。
予選で選ばれた者だけが本選で歌うことができます(レコード会社の人などが審査員として訪れます)

夫が選んだ曲は、私が「歌ってほしい」と言った曲でした。
夫の声質や雰囲気、歌詞などが合っていると思って勧めた曲です(ちなむと、RADWIMPSの「夢番地」)
本選で歌っている姿が見たくて、応援していました。
と同時に、私も自分の曲の練習をしていました。

予選の結果発表の日。
夫は、本選への出場権を手にしました。
私は、ダメでした。

自分なりに頑張って頑張って本気で挑んだ分、ショックは大きかったです。
でも、私はいつものようにお守りの言葉を取り出して自分のこころを落ち着かせました。

「人と比べてなくていい」

私だってよく頑張ったよ、頑張ったことは無駄じゃないよ、次またがんばろう…!と。

けれど、心の片隅でひっかかっていました。
2年生になってから、学校を休みがちになっていた夫。
相変わらず毎日学校へ通っている私。
先生は褒めてくれたけれど、でも、コンテストで重要なのは学校に休まず来てるかどうかではないんだ。当たり前だけれど。
そう、当たり前だから。私ももっと頑張らなきゃ。

そして、件の先生の授業にて
「みんな、予選の結果どうだった?」

その一言で、わたしの中で何かが弾け飛びました。
堪えきれず、号泣しました。

今まで自分を守っていたものが、ポロポロと剥がれていくような感覚。

なんでなんでなんで泣いてるんだろう?
夫のこと、応援してたのに。
夫が本選に行けて、うれしいのに。
あぁ、でも私も行きたかったなぁ。頑張ったもんなぁ…
わたし、もしかしたらちょっと浮かれてたかな?
先生に褒められて、自分にも可能性があるかもって。学校を休みがちな人にだって理由があるだろうし、学校休んでいるからって頑張ってないわけじゃないだろうし。
立場が違えば私だって、そうだったかもしれないのに。

涙のワケもよく分からないまま泣いて、その後どうしたのか記憶がないけれど、クラスメイトが背中をさすってくれていた(ような気がする)ことはほんのり覚えています。

「お守り」さえ大事にもっていれば自分は無敵な気がしていたけどそうじゃない。
「お守り」は万能じゃないこと、自分のこころは脆いということを知りました。

今までだって本当は、悔しかったんだ、苦しかったんだ、不安だったんだ。
ごめん、ごめんよ、目を背けてきて。

でも「お守り」は手放さないことにしました。
私は今まで先生の言葉に守られてきた。その事実をなかったことにはしたくないから。

「自分は自分」と自信をもって心穏やかにいられることも大事だけれど、
時には誰かと比べて落胆したり、憧れたり、悔しさや挫折がバネになることもあります。
多分、どっちかだけだと上手くいかなくて、大事なのはそのバランスなんだと思うのです。

これは10年ほど前の話ですし、今は「休む」ことや「逃げる」ことを肯定する声に支持が集まる時代になってきていると思います。
そもそも「学校へ毎日行くこと」は「当たり前」で「褒め称えるべきこと」なのか、その是非についても様々な意見が飛び交いそうですよね。
先生もその頃とは考えが変わっているかもしれない。私も昔に比べればだいぶ、休んだり逃げたりすることも覚えました。

今でも先生の言葉は私にとって「お守り」ですが、しがみ付きすぎない適度な距離で私を守ってくれていると思います。


③あなたに合った場所があるはずだから

これは、私が大阪で一人暮らしを始めて最初に勤めたバイト先(お惣菜屋さん)での言葉。

親からの仕送りはなかった(というより進学を反対されていたので、金銭的に援助を受けないことを自ら条件に出して進学を許してもらった)ので、生活費もろもろ自分で稼ぐために引っ越してすぐ仕事を探しました。

家の周辺を散策していたときに見つけたいい感じのお惣菜屋さんと、「アルバイト募集」の張り紙。
私は小学生の頃から料理が好きだったので、調理系のそのバイトに興味をもち応募しました。

でも、私はそこを3ヶ月にも満たないくらいで「クビ」になってしまいました。
原因は、私がいつまで経っても作業スピードが上がらないことと、ある日決定的なミスをしてしまったから。
「申し訳ないけど、もう今日限りで。意味、わかるよね?」
そう言われて仕事を失いました。

今になって思うと、なかなか厳しいところでした。
厳しいというか、あんまり良い雰囲気ではなかったかな。バイトの人たちは優しかったけれど、社員さんたちが結構高圧的な感じだったので。
バイトの日はいつも朝から気が重かったです。

自分なりに一生懸命やっているつもりではあったものの「アホ」とか普通に言われたし、他のバイトの子と比べられたりとかも。
でも、当時はそれくらい当たり前なんだと思っていました。社会は厳しいものだ、これくらいで心折れてちゃダメだ、と。

特に印象に残っているのが、お客さんに試食を勧めるよう言われたときに私、緊張して固まってしまって。全然声が出なくなってしまって。
それを見て社員さんが笑っていたこと。

後日、その日いなかった別の社員さんもその話を聞いて「え〜 見たかった〜」って面白そうに言ってるのを見たときはさすがに心が凍りました。
が、家で練習(イメトレ)しておいたのでその日は固まらずに、笑顔で、やり遂げることができました。
褒めてもらえるかな?と思いきや
「なんだ、できるじゃん」ってがっかりされてしまったのですが。

当時は私も今以上に世間知らずだったので黙って耐えていましたが、もし今似たような環境で働いている人がいるのなら、ちょっと疑ってみてもいいかもしれません。
逆の立場だったとして自分はそうするか?と問うて答えがNOなら特に。
そのままそこに居つづけてもいいのか、と。

そんなバイト先ですが、感謝していることもあります。
それは、クビを言い渡されたその日に言われた
「あなたに合った場所があるはずだから」という言葉。

作業は遅いしミスもする、迷惑かけてばかりの私だったけれど、それでも「あなたなんてどこ行っても無理」とは言われなかったこと。
うちには合わなかった。でも、あなたにも合う場所がどこかにはあるはずだ、と。そう言って送り出して(?)もらったこと。

その後、私はすぐに次のバイトを探しました。
幸い前述のパン屋さんですぐに働けることになったのですが、その職場には本当に恵まれました。

仕送りなしの学生でありながら、生活に困ることなく暮らせていたのは本当にそのバイト先のおかげです。
当時の大阪で時給860円くらいなので決して時給が高い方ではありませんが、それでも生活費、学費を賄い貯金までするのに十分なほど稼げていました。

パン屋なので朝が早く(ホールスタッフでしたがそれでも7時くらいから勤務できたしラストも21時くらいまでだったかな)
授業が昼からの日は朝入って、授業が夕方くらいに終わる日は夜入って、休みの日にはフルで入って…というようにとても融通が利いたのです。

お惣菜屋さんのときのような高圧的な人もいなくて、精神的にも安定していました。

もしお惣菜屋さんのバイトをあのまま続けていたら、心か身体、もしくはその両方を壊していたかもしれないし、そうなれば学業にも身が入らなかったかもしれません。本末転倒です。
シフトも希望していたほど入れなかったので、金銭的にも苦しくなっていたかもしれない。
それでも当時の私なら「私の頑張りが足りないからだ、もっと頑張らなきゃ。ここで辞めたら成長できない。認めてもらえるように頑張ろう」…などと思い詰めて、自ら「辞める」選択もできなかったかもしれません。
そういう意味では、早い段階であちら側から切ってくれたことに感謝すら覚えます。

パン屋さんでは、専門学校を卒業するまでずっとお世話になりました。
2年ほど前にお店は閉業してしまったのですが、閉店前に最後にパンを買いに行ったときも覚えていてくれて、あたたかく迎えてもらえてうれしかったな。

ちなみに、パン屋さんのバイトを辞めるときにお店の人たちから手紙をもらったのですが、それを数年後に読み返したら、思わず笑ってしまいました。
何人かの人に「◯◯さんは最初はマイペースすぎて心配したけど」と書かれていたのです。
そうか、私って…そんなになんだ…。笑

申し訳なくもあり、でも、それでも一緒に働く仲間としてマイペースすぎる私にも根気強く指導してくださってたんだな… とありがたい気持ちになりました。
私がいることで、何かひとつでも職場にとっていい影響があったかな。何か返せていたかな。応えられていたかな。そうだといいな。

お惣菜屋さんでの一件依頼、私は意識的に調理系の仕事を避けるようになりました。
好きなので、求人を眺めていてもやっぱり惹かれはするのですが、仕事にするには向いてないんじゃないかとブレーキがかかるのです。
家でゆっくり好きなように作るのが向いてるんだろうな、と結論付けました。

でも、私はいま調理の仕事に就いています。
保育園で子どもたちの給食やおやつを作っています。
きっかけは、生活が厳しくて働こうにも娘の預け先がなく、託児所付きの仕事を探したことでした。
調理か… と思ったけれど、二の足を踏んでいる余裕はなかったのです。

最初はとても不安でした。
また、数ヶ月で辞めてしまうんじゃないか。
迷惑をかけてしまうんじゃないか… と。

でも、今のところ私はとても居心地よく働けています。
運がよかっただけかもしれない。というかそうだ。
でも、「あなたに合った場所があるはずだから」というのは、きっと本当なんだと思うのです。

世の中は広くて、そのどこかには自分を必要としてくれる人や、自分の力を活かせる場所があるはず。
心を殺さず、自分らしくいられる場所があるはず。
狭い世界で頑張っても頑張っても出口が見えなくて心がバキバキに折れることもあるけれど、でもまだ諦めなくてもいいんだ、と。
そのことを、私に教えてくれた大切な言葉です。


言葉は呪縛であって、救いでもあります。
だけど、縛るのも味方にするのも自分次第。

尊敬する人や大好きな人から受け取った言葉は特に大切だけれど、時に振り払う勇気がいるのかもしれない。

守ってもらってばかりではなく、時に一緒に戦ったり、信じながらも振り回されすぎず。
そういう、ちょうど良い距離感で「言葉」と付き合っていきたいな、などと思ったりしています。


ちなみに私が自分を「のろい」とネガティブ表現するようになった経緯ですが、親に否定ばかりされ貶されて育ったわけではないと思う…と一応フォローを入れておきます。
特に母は褒め上手だなぁ、と今でも思うくらいですし。
まぁいろいろあったとしても、私がわりとおめでたい思考なので忘れてるだけかもしれないけれどね。笑

ただ、親がどうだったからとか関係なく、
自分の子どもたちにはなるべくポジティブな言葉をかけるよう、心がけたいなとは思います。

あ、これって今年の抱負かな?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?