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I'm here(ここにいる)


娘が通う保育園では、年中・年長さんクラスになると朝の出欠のお返事を「I'm here」と英語で答えることになっている。
今では、幼児期から保育の中に自然と英語を組み込んでいる園もめずらしくないんじゃないかな。

「I'm here」=「私はここに居ます」

私は園の給食をつくる人なので、毎朝そんなやりとりを聞きながらその日の作業にとりかかる。

「I'm here」って、なんだかいいなぁ。

「私はここに居ます」
元気でも、そうじゃなくても、ただここにいるよという表明。
みんながただそこにいて、受け入れられている空間があるということに安心する。


「I'm here」には、単に「ここに居ます」という意味以上に味わい深い意味が秘められている(場合もある)のだとか。
それは、「I'm here……」の「……」にあたるところに目を向けてみると見えてくる。

「〜to listen to you」なら、「ここで聞いているから(話してね)」
「〜to help」なら、「助けになるよ」
「〜for you」なら、「あなたのためにそばにいるよ」

といった具合に。

「私はここに居ます」と伝えることは自己のための表明だけでなく、他者に寄り添う気持ちの表明でもあるんだね。

誰かがそばにいる、誰かがそこに居ると知るだけで、ほっと心がほぐれることがある。
noteや、ブログ、Twitterのタイムラインもそう。
今日も◯◯さんいるな って、ただそれだけなんだけど。
みんないろいろ抱えながらもそこにいて、いつも通り過ごしていることに勝手ながら安心したりする。


ちなみに英語での出欠の返事には、「I'm here」の他に「Present」と言う場合もあるらしい。読みは「プレゼント」
そう、あの贈り物のプレゼント。

プレゼントには「贈り物」という意味だけでなく、「今・現在」とか、「存在する」という意味もあるんだそうな。初めて知ったけど素敵だなぁ。


ところで、アニメ版アンパンマンに登場するドキンちゃんにおかれましては、毎度毎度アンパンマンに「出たな!バイキンマン」と自分の存在には一切触れられず物語が進行しそうになってもいじけず、
「ドキンちゃんもいまーす!」と陽気に自己を主張する積極性やポジティブさはとても清々しく朗らかで、見習いたく存じます。

🍞


時々、度々、自分という存在が、ちぎれて消えてしまいそうな感覚になることがある。

あなたの「普通」に当てはまれない自分。
故にあなたを傷付けつづけてしまう自分。
傷付けないようにと無理をする度、ちぎれていく自分。
自分って何なんだろう?と、存在を見失いかけることもある。

私が私のままあなたの側に居ることは許されるのかな。
私が私のまま、他者とのかかわりの中で生きていくことはできるのかな。
むずかしいのかもしれないけど、諦めたくないと思っている。


自分が迷子になったら、ときどき声に出してみよう。心の中で唱えてみよう。
元気でもそうじゃなくても、何か出来てもできなくても。意味があっても不明でも。
今日も「I'm here」=「私はここに居ます」と。


ここにいて いつかこぼれおちたときは
このうたが手を伸ばしている
きらめく光を追いかけてきたよ
まぶしいけど ほら

ここにいる 同じ形を持ち寄って
朝が来るのを待っている
きらめく 光を追いかけてきたよ
まぶしくても手を離さないで

(Here/Homecomings)


私にとって、「文章を書くこと」が「I'm here(ここにいる)」の証明にもなっています。

今日も居てくれてありがとう。

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