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「コーデされても無理だった。ポイントは再現性と感動」最速でおしゃれになる道をゆるゆる歩く方法

前回のあらすじ

「着ていく服がなかとです」といったら、ユニクロで一式揃えられて、富士急ハイランドに行った、わい。めっちゃ寒かった。
おしゃれな先輩にコーデされ、少しは服装に気を使うかと思ったのだが・・・・

というわけでNazyです。

さて! というわけで、ユニクロでコーデされたわいだが、その後、いっこうにファッションに見向きもしなかったのだった。
なぜなのか!? 

なにがかっこいいのかよくわからなかった

いや! 本当、申し訳ない! でもファッションに興味がないと、どれがどうかっこいいのかわからないんだよ!

いや、他人がカッコええとかそうじゃないのとかはなんとなくわかるけど、
自分がどういうカッコしたらいいのか、というのはわからないねん。まじで。

まったくの余談だが、上司が土曜出勤(部の研修)の際の私服出勤の際に、グレースウェット上下で来た時は、「you're freedom」とおもった。

結局、なにを着たらいいのかわからない

で、多少「お! ええやん」とか「これでいいのかな?」ともし、おもったとしても、自分で再現できないと意味がない。

いや、だって、その時のコーディネートをずっとするわけにはいかんやん!
毎回、この服とこの靴とこのボトムスとって買ったとしても、「どうしてこうなっているのか」がわからないと自分ででけへんねん。

できないのかよ!

と思うかもしれないが、できたらしているはずなのだ。

結果、それしか着ないというこれまたオシャレとは(正確に言えばオシャレを楽しむ)のとは別になってしまう

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引用:https://bit.ly/32Gz5xz

なぜか、というと、まったくの自論になるのだが、
メンズは服に対して、ドラクエの装備的な概念を持っているような気がするねん。

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引用:https://bit.ly/2q440Xe

いや、女子のいう「化粧は心理的武装」とかいうことではなく、もっと単純に、
ほんま単純に、
強い武器を装備して、攻撃力アップ! 強い防具を装備して、防御力アップ!
最強の武器と防具を装備して、強くなる!!! 的な。

だから「かっこいい服」があって、それを着ると「かっこよくなる」みたいな。

コーデも着こなしも関係ない! かっこいい服を着るとイコールでかっこよくなる。
そして、高い服はかっこいい!(高い武器がだいたい攻撃力が高いことに起因する)
だから多分、高いのに服を着てもカッコよくないと「なんでだ!」とかなるし、高いのにわけわからん服があると「なんでこれがwww」みたいに思うんでないのかな。とかとか。
MBさんがどっかで 男性は女性と違って「着回す」という概念がない。だから、一点豪華主義(わかりやすいブランドアイテム)になりやすい、っていってたのはなるほど。とおもった。
※ミモレの記事かと思ったが違った(https://mi-mollet.com/articles/-/16689?page=2)

なんか、メンズは「これが! 俺の 最強の時計だーーーーー!!!!」

みたいの好きじゃないですか? いや、ぼくは買えないんでわからないですけど。女性のブランド好きとは別の意味のベクトルな気がするんですよね。

まぁ全部経験則でもなんでもない自論なんですが。

で、なにがいいたかったのかーーー・・・というと、カッコいい格好というのはカッコいい服を着る、というイコールだとおもっちゃってて、
ドラクエの装備のように アイテム単品の数値の足し算引き算みたいな。
※ドレカジのバランスを考える時にはドレス・カジュアルのバランスを考えますが、それはTPOに合わせたチューニングみたいなもん。

なので、最強の装備が「これ」って固定になっちゃうし、「じゃあこの防御力の高いジャケットをきとけばいいか」ときとくと途端にバランスが崩れるとか。

そんな感じだと「楽しむ」ってことにはならないし、「ごく普通」もどうしたら普通かがわからんなる。

多分、たまーに「旦那さん改造計画」みたいなのでコーデされても、次の週にどうなっているのか、、、とか思うやん。

そして露頭に迷い、オシャレは縁遠いもの。ってことになっちゃうんでないのかなぁ。

せめて、コーデされて「感動」があれば、違うのかもしれない。
「おおお! こんな変わるのか!」とか自分自身の心を揺さぶられるものがあったら、その感動をもう一度! と必死で模索するかもしれない。けれども、そういう体験がないと、他人にコーデされても、(そしてだいたい、そういう場合、ごく普通の格好をさせられるので)続かないと思うねん。

そこで登場するのがMB理論!!!!! 
再現性があり、簡単に(たまに簡単じゃないし、事故るけど)、そして、自分自身に「おっ!」と思える、といううまい切り口!さすが!

正解だけ渡されても、なんでそうなるのかわからないと、いつまでもわからない
かといって、ゼロからだと、試行錯誤に燦々辛苦の道のりで途中で果てる。

効率の良い勉強法で、回答を先に見て、解き方を学ぶってのに似ているかも。

感動と再現性。どっちも大切。そこから開ける道もある。

ーーーーーーーー最後に自分の好きな話ーーーーーーーー
「天才と凡人」 夢枕獏著「獅子の門 玄武編」序章より


「どのような世界にも、天才というものがいる。空手の世界にもだ。すぐに技を呑み込み、足も高くあがり、技のコンビネーションも素晴らしい……」
「はい」

「しかし、君も知っていようが、往々にして、天才とは、大成しないものだ──」
「───」
 彦六は、無言でうなずいた。
「天才には、感動が無い」
 赤石は、きっぱりと言った。
「どんな技もすぐに呑み込んでしまうからだ。それが天才の足元に口を開けている落とし穴だ──」
 言ってから、赤石は彦六を見た。
「ええ」


「わたしは、何人もの門弟を見てきて、そう思う。努力しない天才よりは、努力する凡人が勝るのだ。これほどという天分に恵まれた者が、五年後、六年後には、同時期に入門したただの男に抜かれてしまっているのを、何度も見てきた。何故なのだろうか。どうしてなのか──」
「───」


「ただの男には、感動があるからだよ。回し蹴りひとつとってもそうだ。天才は、すぐに覚えてしまう。何週間か、何日かで、驚くほど高く足があがるようになり、一日に百回か二百回も練習すれば、その技を自分のものにしてしまう。しかし、ただの男は駄目だ。二ヶ月で天才が通り過ぎてしまう場所を通り過ぎるのに、一年も、二年もかかる。時にはそれ以上もだ。高く足のあがった、 回し蹴りを放つだけで、何千回何万回以上もただ同じことを繰り返す。天才と、同じ蹴りを放つという、ただそれだけのことのためにだよ──」
「はい」
「ある時、ふいに、足があがる。それまでと同じ場所に当たっているはずなのに、これまでとはまるで違う感触のものが、その蹴りを放った瞬間に、全身を貫くのだよ。これだ、と思う。ああ、これだと思う──」
 赤石の声が、やや高くなっている。


「その時の感動の深さが、おそらくは、その空手家の一生を決めてしまうような気がするのだよ」
「──」
「その蹴りの感触を忘れないために、何度も何度も同じことを繰り返せるかどうかなんだ。ただの男は、天才が一ヶ月で覚えてしまう蹴りを、一年も二年もかかって覚える。そして、覚えたら、それを一生忘れない。なあ、彦六。空手だのなんのと言ったって、所詮は素手で人を倒す技術だ。人を倒すのに、百や二百の技を知っていなくたってかまわないんだよ。強力なローキックがひとつ、強力な右のストレートがひとつ、そのふたつだけでだっていいんだ──」


 赤石は、口をつぐんで彦六を眺めた。
 彦六は、無言で、赤石の次の言葉を待った。
「空手家なんぞと言ったって、初めてブロック割りをした時のあの感動を、一生覚えていられるかどうか、根っこは、そんな単純なところにありそうな気がするよ──」 

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MBさん: 7:3の男。

MBラボ
いまだによくわからないサードプレイス
https://lounge.dmm.com/detail/723/


KnowerMag
MB氏のブログ ドレカジのバランスが書いてるhttp://www.neqwsnet-japan.info/?p=773


最後まで読んでくれて thank you !です。感想つきでシェアをして頂けたら一番嬉しいです。Nazy