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goodfellas TOKYO #12

代官山debrisで開催された『goodfellas TOKYO #12』があまりにもあまりにもあまりにも良かったので、興奮が冷めないうちに感想を記録しておきたい。

※音楽にまったく詳しくないので所々間違ってるところはあると思うけど、気づいたら優しく指摘してください。

隠し扉の先にあるミュージックバー『Débris 代官山』

本棚に見せかけた隠し扉を開けると、8畳ほどの空間が広がる。
普段は『P.B Restaurant』という中華粥と薬膳カクテルを楽しめる隠れ家バーで、音楽イベントが開催される時はテーブルを取っ払ってダンスフロアに変身する。

室内に入ると、パロサントの香りが鼻をくすぐる。
パロサントとは、スペイン語で「聖なる木(Palo Santo)」という意味の香木で、空間を浄化する効果があると言われスピリチュアルとの親和性が高いものだ。
私はアンビエントやトランスといった変性意識状態に導いてくれる音楽が好きなので、この香りを嗅いだ瞬間このイベントは「当たり」だ、と確信した。

民族楽器とエレクトロの融合『Goodfellas TOKYO』

『Goodfellas TOKYO』は、REO MATSUMOTO、蜻蛉-Tonbo-、miffrinoの3人によって構成されるユニット。
ハンドパン、フルート、ベースなどの伝統的な楽器と、シンセサイザーの電子音が融合したハイブリッドなスタイルで魅せる、ダンスミュージックトリオだ。

第12回である今回は、「Cosmic」「Tribal」「Dance」をテーマに、3人のDJを加え『Débris 代官山』にて開催された。

蜻蛉 -Tonbo-

やたら配線が伸びた触手みたいな機材はモジュラーシンセというらしい。
竹製の横笛はバンスリといい、インドやバングラデシュ発祥の木管楽器……らしい。

モジュラーシンセとフルート、ボーカルを組み合わせた唯一無二のパフォーマンスが「松果体に効く音楽」として人気を博しているアーティストだ。


「goodfellas TOKYO、二度とない今」
ラップ調のリズミカルな語りからライブが始まる。
神秘的な笛の音に、ざわついていた室内が静まりかえる。

パイプから撒き散らされる煙のように不安定な笛の音。
霧深い森の湖面を揺らす静かな波のような、狼の遠吠えのような響き。

ライブハウスの好きなところは、音を「感じられる」ところだ。
イヤホンで聴くサブスクミュージックは耳で聴くものだけど、ライブハウスで生の演奏を聴くと、音が空気を震わせてゆらぎながら迫ってくるのが「見える」。

"step in a jangle"
蜻蛉さんの声に導かれ、だんだんと意識が拡張されていく。

"breathing breathing(深く呼吸をして)"
パロサントの香りを深く吸い込むと肺の内側がドロドロに蕩けるような気持ち良さ。
香りが全身に充満して、内臓が溶けて混じり合い、身体中を満たす生温い水となる。
身体を揺らすのに合わせて波のようにちゃぷちゃぷと揺れる。

「松果体に効く音楽としてやらせてもらってます」
皮膚という境界がなくなり、空間に溶けていく。
どこまでもどこまでもどこまでも広がってゆく音。

DJ SAMRAIT

ダブテクノ(Dub techno)というジャンルがあるらしい。

深く霧がかったリバーヴやエコーサウンドには、どこか自然的で宇宙的な広がりのある美しい印象を受けます。
ボーカル抜きのトラックに様々な空間系エフェクトをかけたのがレゲエにおけるダブの発祥だと言われています。
反響を重視し、テープにトラックを一度流してホワイトノイズを作り出す手法や、ディレイを幾つも重ねるような巧妙なトリック

https://0-signal.com/2018/12/28/dubtechno/

なるほど……?
霧がかかったようなエコーや反響を重視した広がりのある音のことを指しているっぽい??

詳しいことは分からないけど、とにかく気持ちよくて瞑想的で深い精神世界に誘ってくれる音だということは感じ取れた。
Goodfellas TOKYO #12のテーマが「Cosmic」「Tribal」「Dance」というだけあって、部族の無骨な雰囲気や宇宙的な広がりのある音に酔いしれる。

目を閉じて音楽に身を任せると、南米の部族の儀式に参加している気分になる。
湿度の高い夜の森の空気の肌触りや、土を踏み締めて踊る男の足が瞼の裏に鮮明に浮かぶ。
力強い重低音、流れ星のような高音。

嘲笑う精霊の声のようなエフェクトが繰り返される度、どんどん深い場所に誘われる。
身体から魂が抜けて、上へ上へとのぼってゆく。
月に近づくにつれ、夜空の冷たい風が頬を撫でる。
踊っていた仲間たちが遥か下へ 足が着かない高揚と恐怖。

たった1時間ほど音楽に身を任せただけで、遠い異国を旅したような深い満足感と疲労に包み込まれた。

DJ SARRELANGUE

DJ SARRELANGUE(サレランゲ)はメキシコから来日したDJ
DJに詳しくない上に海外の音楽事情も知らないので、どんなすごい人なのかは分からないけれど、とにかくとんでもない音だった。

音の密度が凄い。

なんかテクノっぽい電子音(テクノとハウスの違いも分からないので実際なんなのかはよくわかってない)に、色々な環境音が複雑に重なりあい、金屏風のように華やかに響く。

ダイスカップの内側にサイコロがぶつかる音。
深海で弾ける泡の音。
ワニや鷲の鳴き声。
大きく口を開け咆哮するライオンの声。
荘厳な銅鑼の音。

たくさんの音が洪水のように与えられる。
多様な音が重なり合ってひとつの音楽に結び付いている様子は、多国籍の旅人が行き交う乱雑な砂漠のマーケットのような寛容さ。

情景が浮かぶような環境音→単調なリズムの繰り返しが腹の底に潜む野生を引きずり出し、身体が勝手に揺れ出す。

だんだんと曲が移り変わり、すべてが溶けた混沌のような音に回帰する。
古事記では陸が生まれる前のこの世は全部ドロドロした海だったというけれど、そんな感じ。
音に思考が溶かされ、原初の海に還っていく

普段私たちは、知識や経験や偏見がドロドロ混じりあった脳から社会の基準に照らし合わせて表出する思考を選び取っているが、そんな規範が外れて言葉を獲得する以前の脳の状態に戻っていく。

それは人間も同じで、私も他者も動物も植物もすべて繋がっていて、泥のような海から表出する一部分に過ぎないことを実感する。

音楽という変性意識への旅

本当にとんでもなく最高で、ライブハウスから出た後は言葉が全部溜息になってしまって一言も喋れなかった。

いい音楽は、身体を構成する分子を分解して再構成するような素晴らしい体験を与えてくれる。
現代社会に適応して生きるために言葉や常識や偏見を獲得していくうちに、動物だった頃は当たり前に持っていた野生を失い、目に見えない世界は身近なものではなくなってしまった。
音楽に身を委ね、何もかも忘れて踊る行為は、身に着けた自我が消え向こうの世界を旅する「死と再生」のプロセスだと私は思う。

社会で暮らすうちに身に付いた重苦しい自我を脱ぎ捨て、また新しく産まれ直すために、私はこれからも音楽を求めてライブハウスへと向かうのだろう。

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