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【今更?】今更ながら、自己紹介

今更感、すごいんですけど。

アロマパルファンとか、パルファニストとか、
空間演出アロマとかはお話ししてきたのですが、
七瀬葉月として自己紹介はしてこなかったな
と思いまして。

学生時代は、中学まではテニス部、
高校は茶道部、文芸部に所属。
茶道部は部長、文芸部は副部長でした。

テニスは父が好きで、小学校の頃から
やっていたのですけど。
今思えば、テニス、好きじゃなかったんですよね。
ゲームを見るのは好きでしたが、
自分でプレイするのは嫌いだったのです。
それでも、父に言われるまま中学まではテニス部に。
ただ、もう高校ではやりたくないなと思っていたところ
国語の先生からもう一人の友人と共に、

文芸部を復活させてくれないか

と打診されまして。
元々書くことは好きでしたので、
友人を部長、私が副部長で、部員集めに奔走し、
結果、めでたく文芸部が復活。

1年の頃は、いろんなことにチャレンジしたくて、
文芸部の他に、茶道部、コーラス部に所属していました。
コーラス部では、今ではとても出せませんが
ソプラノ担当でした。
高音、得意だったんですよね。

茶道部については、
高校生になったら、茶道部か、華道部か、弓道部に
入りたいと思っていました。
日本の伝統に触れてみたかったんですよね。
私の高校には茶道部がありましたので、
よし、やってみよう!と入部届を出しました。

文芸部は1年、2年と副部長で、
茶道部は2年の時に部長に任命され、
1年間部長としていろいろと頑張りました。
とても楽しかったですし、いい勉強をさせてもらえたと
思っています。
何しろ、極度に人前に出るのが大嫌いだった私が、
茶道のお点前では、率先して練習してましたから。
茶道部の顧問の先生から、

葉月さんはものすごく楽しんでお点前をしているのが
みていてわかるわね

とお褒めの言葉をいただいたりして。

ただ、茶道部部長としての活動が忙しくなったので、
コーラス部は退部して、茶道部と文芸部だけに
絞りました。

文芸部では、主に「詩」を担当していました。
将来の目標は「イーリアス」や「オデュッセイア」のような
長編の詩の物語を書くことでした。

でも「詩」=「うた」。
難しいんですよね。
ただ散文を描いただけのようになりやすいので、
国語の先生に相談してみたら、
短くてもストーリー性のあるものを書いてごらん、と。
高校の3年間は、詩を書くことに夢中になっていました。

放課後は、茶道部。
帰宅後は、文芸部の原稿書き。

高校の部活はとても楽しかったです。

高校のことばかり書いていますが、
実は私、小学校と中学校の思い出がほとんどありません。
記憶がない、と言ってもいいでしょう。
原因は簡単。
いじめられっ子だったんですよね。
仲間外れにされて、ひとりでぽつねんとしていました。
私自身にもよくない部分があったのでしょうが、
一人っ子で、人との付き合いがよくわからなかったのです。
勝負事が嫌いで、鬼ごっこや缶蹴りといった遊びも
嫌いでした。
もっと言ってしまえば、じゃんけんすら嫌いでした。
人と競争することも嫌いでした。
なので、運動会、体育祭もあまり好きではなかったですね。

要するに、バカだった。

周りの人全員に気に入られようと思ってしまい、
そこに歪みが生まれ、
結果誰からも相手にされない状態だったのです。

高校時代は部活は楽しかったですが、
やっぱりクラスの中では、仲間外れでした。

七瀬はうちのクラスにいなくていいよ

と、面と向かって言われましたっけ。
だからクラスにいるのは辛かったですが、
部活が楽しかったので、無事高校を卒業できました。

そんなわけで、成人してから同窓会のお誘いとかありまして、
一度だけ出かけたのですが、
友だちの顔を見ても、誰が誰だかさっぱりわかりませんでした。
クラスメイトの名前なんてすっかり忘れていますし、
顔もほとんど思い出せません。
なので、同窓会はその1回だけで、
あとは出席する気もありませんでした。

ここで、ちょっと前に戻って、生まれてからのことを。

私は、1/1生まれ。

人からは「縁起の良い子」と言われ続けていましたが、
本人は「運が悪い」と思っていました。
「正月生まれ」が嫌だったのです。

何しろ、クリスマスプレゼント、お年玉、誕生日プレゼントが
一緒になって1つしかもらえなかったのです。
他の人は、ちゃんと3回もらえるのに、
なんで自分は1回しかもらえないのか、と親に文句を言いました。
小学校にあがる前に、サンタクロースは両親だと気づいてしまっていたので、
尚更でしたね。

星座は山羊座。
血液型はA型。
つまり典型的な融通の利かない不器用者です。
ある意味神経質でもあるし、コツコツ型でもあるので、
何かをするときには、ひとつひとつ確認しないと気が済まない方。
あまり細かすぎると疲れるのですが、
歳を重ねて少しは気を抜く方法も覚えたかなという感じです。

子供の頃は、髪が本当に短くて(それが母親の方針だったのです)、
ロングヘアに憧れていました。
お正月に絣の着物を着せてもらっていましたが、
その時に髪を結えないのが、残念で仕方ありませんでした。
成人式には振袖を着て、自分の髪で結ってもらう!と決め、
高校に入ってから髪を伸ばし始めました。
私は髪が伸びるのが速かったようで、
20歳になる頃には、膝の裏くらいまでのウルトラロングヘアに。
これなら結える!と成人式に臨んだわけですが、
ここで、ショックな出来事が。

すみません、長すぎて髪を結えないので、
背中の真ん中あたりまで切ってもいいですか?

なんですと!?
髪が結えない!?

今思えば、いっそのこと平安時代のようなお垂髪のようにしても
よかったかなと思うのですが、
その時は「結えない」という一言で、ショックではありましたが、
あっさりと切ることを了承しました。
まず「結う」ということが大前提だったので。

でもおかげさまで、とても素敵に結っていただき、
成人式の写真は宝物のひとつです。

そして、香りもの(薫りもの)が好き。

小学生の頃でしたでしょうか。
ポプリをいただいたことがあって、それがとても良い香りで、
自分でも作れるということを知って、かなりはまりました。
みかん、レモン、グレープフルーツなど、皮をうすく切って、
乾かして、クローブと混ぜただけのシンプルブレンド。
柑橘類とクローブは合いますしね。

元々寝つきの悪い子供だった私は、
ポプリの本で知った、ホップ(ビールの材料ですね)を使ったポプリが
お気に入りでした。
ちょっと苦味のあるような香りですが、寝つきが良くなるので、
しばらくはそれで眠っていました。

高校時代は、古文の先生と仲良くなって、お香を焚くようになります。
その頃から、お香には、白檀や沈香などの他に、ローズ、オーシャンといった
現代の香りもたくさん販売されていました。
でもやっぱり白檀、沈香、伽羅など、古来からの香りに惹かれました。
香炉も集めたりして、茶道部のお部屋の床の間に飾ったりもしましたね。

さらに香りについては、専門学校のときに友だちに連れて行ってもらった
香水専門店で、初めて自分の香水を書いました。
母がシャネルNo.5を持っていたのですが、
学生の私には、ちょっと大人すぎて。
初めての香りは、キャシャレルのアナイスアナイスです。
とても可愛らしいフローラル。
そこから、私の香水好きが始まりました。

今までで一番好きだった香水は「レボリューション・ア・ベルサイユ」。
有名な「バラ・ベルサイユ」の妹版です。
けれど、このレボリューションは、すぐに廃番になってしまいました。
蜂蜜の入ったフルーティフローラル、といった感じでしょうか。
甘さが引き立つフローラル、ですね。
甘く、優しい香り。どこまで行っても優しさが残る感じ。

その後いろいろと香水を使いましたが、
このレボリューション以上に好きになれた香水はまだありません。
それでもよく使う香水は、ゴルチエ、ウルトラ・バイオレット、
ロリータレンピカ、クリーン、ブルガリあたりでしょうか。
廃番になっていますが、男性化粧品のアラミスから出ていた
レディース用の香水も好きでしたね。

つらつらと書いてきましたが、長くなってきましたので、
一旦ここで切ります。
また近いうちに、自己紹介その2を書けたらと思います。

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