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【小説】一体いつから大人なの

「どうすれば大人になれるの?」

 そう尋ねると、「コーヒーが飲めるようになったらね」と笑いながら母は答えた。
確かに大人はよくコーヒーを飲んでいる。漫画の世界でも、ドラマの中でも大人はみんな黒くて苦い液体を飲んでいたかもしれないと、子どもながらに納得した。

 まだ小学生だった私は、それからあまり好きではないコーヒーを飲むようになった。
 砂糖もミルクもたっぷり入れた甘ったるいコーヒーは、もはやコーヒーなんて呼べるものではなかったのかもしれない。もしコーヒーであったとしても、それは母の言っていたような大人のコーヒーではないだろう。
いくら砂糖やミルクを足して甘くしても、甘さの奥にあるコーヒー独特の苦みはどうしても感じ取ってしまう。それでも私は背伸びをし、コーヒーを飲み続けていたのだ。
 思い返すと、なんて単純な子どもだったのだろうと思う。

 しかし、私は早く大人になりたかったのだ。少なくとも好きではないコーヒーを我慢して飲むくらいには。早く成長し、大人になり、あの窮屈で居心地の悪い家から母を連れ出し逃げたかった。



「大人って何だろう?」

 高校のパンフレットを開きながらそうつぶやくと、友人は「成人したらじゃない?」と間延びした声で言った。
 じゃああと6年もかかってしまうのか。なんて当時は思っていたが、実際6年なんてあっという間に過ぎていった。

 ただ、当時の私にとって6年は長すぎる期間だった。6年の間に母が疲れ切ってしまうかもしれないと、焦っていたのだ。私はまだ幼すぎる。何もできない自分がもどかしかった。


 私がコーヒーを飲み始めたあのときから、状況はあまり変化していない。まだ、コーヒーも苦手なままである。
 ああ、早く大人になりたい。



「いったいいつから大人なんですか」

 そう尋ねたのは、高校二年生の秋のこと。確か、担任の先生と二者面談をしていた時だ。

 高校二年生に進級すると同時に、私の周りの状況は大きく変化した。あの家から母とともに脱出することができたのだ。

 母は私が思っていたより強く、賢かった。高校への通学に支障がないくらいの距離に引っ越し、二人で暮らし始めた。引っ越した当日、「いろいろ我慢させちゃってごめんね。無理させちゃってたね」と母は私を抱きしめた。目からは涙がこぼれ落ちていた。
 気を遣わせないよう、あの家では何も気づかない子どもの振りをして過ごしていたつもりだったのだが、母にはお見通しだったのだろう。「大丈夫だよ、無理なんてしていない。だから泣かないで」と、私も涙をこぼしながら言った。

 母との二人の暮らしは楽しかったし、順調だった。
 母に嫌味を言ってくる祖母や叔母がいない生活は、まさに私が手に入れようと思っていた生活そのものだった。きっと彼女たちは私たちが出ていったことで、さぞかし清々としているのだろう。母も私も前より笑顔が増えた。

 ただ、同時に私は早く大人になる意味を失ってしまった。ずっと大人になりたいと願っていたのだが、その理由がなくなり、急いで大人になる必要がなくなった。

 でも、私はもう高校生。世間から見ればほぼ大人と同等なのだろうし、大人になる準備をはじめなければならない。

 私は「大人」というものをよくわからないまま、急いでそれを手に入れようとしていた。急いで手に入れる必要はなくなったのだが、「大人」についてはよくわからないままだ。
 そのままで大人になれるのだろうか。このままでは自分はいつまでも大人になれないのではないか。そもそも、いったいいつから大人になれるのだろうか。
 そう思い尋ねると、先生はしばらく考えた後こう答えた。

「自立をすることができたら大人だと思うよ。経済的にも、精神的にもね。きちんと責任感を持ち、自分で生活ができるようになることも大事だけど、他人とうまく付き合っていくことも必要だよね。これができるようになったら大人なんじゃないかなって先生は思っているよ。」

 なるほど、確かにそうかもしれない。今まで形にこだわっていた部分があったが、自分の内面の成長が大人に近づくための一歩なのかもしれない。
 そう考えると、私は段々と大人に近づいているのではないかと思いホッとした。

 そのあと進路や成績について少し話し、二者面談は終わった。私は先生にお礼を告げ、どこかすっきりとした気持ちで教室を出た。

 学校から出ると外はすでに暗くなっており、冷たい風が吹いていた。学校から駅までは歩いておよそ15分。駅に着いた時にはすっかり体が冷えてしまっていた。
 何か温かいものを買おうと駅の自動販売機に向かい、小銭を何枚か入れてホットコーヒーのボタンを押した。
 コーヒーはまだ好きになれていない。ただ、その日飲んだコーヒーはあまり嫌な感じがしなかった。


「私はもう大人なのかな」

 朝焼けに包まれたベッドの上で私はそうつぶやいた。

 昔よりはいくらかマシになったのだが、私はいまだにコーヒーが苦手である。もう砂糖もミルクも入れずに飲めるようになった。しかし、いまいち美味しさが分からない。
 きっと、昔の苦い思い出がよみがえるからだろう。それでもコーヒーを飲み続けているのは、長年の習慣というよりは私のつまらない意地のようなもの。

 高校を卒業した現在、私は奨学金を借りながら大学に通っている。勉強は嫌いではなかったし、大学に行った方が将来の選択の幅が広がると思ったからだ。大学に通いながら塾でアルバイトをする日々は、忙しい時もあるが何より楽しい。

 時々、アルバイト先の塾の生徒を見ていると、「私はあの時望んでいた大人にもうなれたのだろうか」とふと考えることがある。

 20歳の誕生日や成人式を迎えた日、周りの大人たちには「大人の仲間入りだね」といった言葉をかけられたのだが、いまいち実感がわかないのだ。
 母はいまだに自分を子ども扱いするし、自分もそれに甘えてしまうときもある。母にとって私はいつまでも子どものままなのだろうか。それに、精神的に少しは成長したと思うが、まだ私は学生の身分。経済的に自立しているとは言えない。

 あの時ほしいと願っていた「大人」というものを、今の私は手に入れることができたのだろうか。

 隣で寝転がりながら本を読んでいた彼には、そんな私のつぶやきが聞こえたらしい。彼は私の言葉を拾い、読んでいた本から隣にいる私の方へと目線を動かした。

「大人だと思うよ。しっかりしているし、きちんと自分のことを考えている。立派な大人だと思うな。」

 彼が笑いながら言葉を放ったその瞬間、私はようやく大人になれた気がした。
 ああ、私は誰かに「大人」と認められたかったのだ。ただ形式的なものでなく、身近の、自分をよく知る人物に。
 自分で気が付かないうちに、私は確かに大人になっていたのだ。そして彼に言われたことで、大人であるという自覚を持つことができ、はっきりと大人になることができた。
 心の奥底で自分が無意識に望んでいたものを、やっと理解できた気がする。

 どこかそわそわとした気持ちで「そっか、ありがとう」とつぶやくと、彼は冗談めかしく言葉をつづけた。
「それに大人じゃないと俺が困る。俺、子どもに手を出した犯罪者になっちゃうよ。」
 その顔は至ってまじめのなのだが、口調はどこか軽い。そんな彼の様子が何だかおかしくて、思わず笑みがこぼれた。

 温かく優しい朝はもうじき終わりを告げる。彼はベッドから起き出し、いつものようにキッチンでコーヒーを作り、私に手渡した。

 マグカップに注がれた温かいコーヒーはほろ苦く、いつものコーヒーと同じ味だった。
 けれど、いつもと違うことが一つ。自然と自分の口から「おいしい」という言葉がこぼれ落ちたのだ。

 その日、私はコーヒーのおいしさを確かに感じることができた。

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