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夢と知りせば2−2咲くと見しまに「平安神宮」

入学、進学、卒業、引っ越し。 わたしにとって桜は、始まりと終わりの象徴だ。いつだって春は人生の節目と重なっていて、未来に対する期待と、過去に対するさみしさが混濁している。特に去年は大学合格に引っ越しと、人生で最大の変化があったものだから、例年にも増して穏やかな心境ではいられなくって、毎日バタバタと走り回っていた。もっと心に余裕を持ちたいわ、ゆっくり桜を鑑賞したいわ、なんて思っていたけれど、やっぱり今年もわたしは落ち着きがない。桜を見るために、今日もこうしてカメラを持って外に

    • 「夢と知りせば」2-1春の盛りに「哲学の道」

      忙しさというものは、五感を鈍くするから、いやだな、と思う。 1年前のことをふと思い出し、わたしは読んでいた本から顔を上げた。窓から差し込む春の日差しが部屋の中を白く光らせ、わたしの体すらも、その光の中に沈ませようとしている。四角い窓からは今にも透けてしまいそうなほど儚げな水色の空が広がり、悠々と泳ぐ魚のように、白い雲がたゆたう。読みかけの本にしおりを挟み、うんと伸びをしてから腰を浮かせた。体に取り巻くまどろみを振り払い、テーブルの上にあるカメラをつかんで首に下げる。先につい

      • 「夢と知りせば」1-29いつしか桜「無鄰菴」

        春の足音が日に日に近づいてくるのを感じるのが、すき。 太陽光のやわらかさだったり、頬を撫でる風のさわやかさ。花の香り、小鳥のさえずり、コートを脱いだ体の身軽さ。もうずいぶんあたたかいですねぇ、そうですねぇ、っていう、クリーニング屋さんでのやりとり。こたつや毛布をしまいこんで、窓をちょっぴり開けちゃって、遠くに見える山々の鮮やかさが増していくのを、心ゆくまで眺めてみる。ブーツはもう靴棚の中、カイロは一番奥にしまって、パステルカラーの服を取り出しちゃったりなんかして、どうしよう

        • 「夢と知りせば」1-28咲きて散りなば「宝ヶ池公園」

          「梅がきれいな場所?」 わたしの質問に、間崎教授はそれまで読んでいた本から顔を上げた。 3月初旬。晴れ、時々、曇り。冷たい冬の気配が少しずつ薄まり、太陽のあたたかさをより一層感じられるようになった、春の始まり。 教授室で掃除を手伝わされていたわたしは、「そう!」と大きくうなずいた。机に積み上げられた本を、1冊ずつ棚に戻していく。かれこれもう30分ほどこの作業を行っているのに、なかなか終わりが見えない。なぜ春休みなのにこんなことをしているのかというと、答えは簡単。たまたま

        夢と知りせば2−2咲くと見しまに「平安神宮」

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        • 夢と知りせば 第1章
          29本
        • マリーについて
          5本

        記事

          「夢と知りせば」1-27いづくに鬼は「吉田神社」

          それは、寒さ極まる2月3日のこと。 後期の試験がすべて終了したら、待ちに待った春休みの始まりだ。大学生の春休みは2月から3月と、夏休みと同じく約2ヶ月ある。春、という名前はついているものの、冬の寒さは今がピーク。こたつで丸くなってぬくぬくと過ごしたいところだけれど、わたしは今、大学の図書館にいる。レポートを書くために借りた本の返却期限が今日までだったことを思い出したからだ。 無事に本を返却し、乗ってきた自転車にまたがった。びゅう、と呻く風の冷たさに、五臓六腑までぶるぶる震

          「夢と知りせば」1-27いづくに鬼は「吉田神社」

          「夢と知りせば」1-26雪ふりて「金閣寺」

          ピピピピピ、と、銃弾のように鳴るアラーム音で、わたしは勢いよく上半身を起こした。 時計を見ると、時刻は午前7時半。冬の朝、いつもならば布団から出るのに最低30分はかかるのだけれど、今日だけはそういうわけにもいかない。冷えた室温に身震いする暇もなくベッドから飛び降り、勢いよく窓のカーテンを開ける。曇った窓の一部分をきゅっきゅっと手で拭いて、じっと外に目を凝らすと、見慣れた景色がどこもかしこも真っ白に染まっていた。 寝起きのゆるんだ表情が、みるみるうちに興奮へと塗り替えられて

          「夢と知りせば」1-26雪ふりて「金閣寺」

          「夢と知りせば」1-25若菜摘む「上賀茂神社」

          年が明けたばかりの1月7日は、空が生まれたてのように青く澄んでいた。 「あけまして、おめでとうございます」 上賀茂神社の鳥居前で新年の挨拶を交わすと、身も心もきゅっと引き締まったような気がした。昨年の春に出会ってからもうすっかり見慣れた間崎教授の顔も、年が明けるとまた初対面のような、新鮮さと気恥ずかしさを感じる。ちょっと会わないうちに、前髪が少し短くなった。新しい年を象徴するように、混じり気のない新鮮な風が、時折冷たく頬に刺さる。だけど目の前のこの人は、寒さなんてちっとも

          「夢と知りせば」1-25若菜摘む「上賀茂神社」

          「夢と知りせば」1-24望月の駒「渡月橋」

          常寂光寺から離れるにつれ、道行く人の数はどんどん増えて、忘れかけていた喧騒が、じわじわとわたしたちのまわりに満ちていった。 びゅう、と頬を引っ掻くように、冷たい風が吹きつけてくる。ぴりっと刺すような痛みを感じて、わたしは思わず首を縮めた。どれだけ着込んでいても、ずっと外を歩いていると寒さに負けてしまいそうになる。胸の中心はこんなに熱く、早くシャッターを切りたいと燃えているのに、やはり体温はするすると抜け出ていくものだ。寒いなぁ、と、誰に言うわけでもなくつぶやいたら、途端に息

          「夢と知りせば」1-24望月の駒「渡月橋」

          「夢と知りせば」1-23冬ぞ寂しき「常寂光寺」

          冬は、ちょっぴり苦手だ。 朝起きるのは億劫だし、外は寒いし、静電気は起きるし。それに何より、目に映る景色がどこもかしこも灰色で、なんだか物悲しい感じがするから。 春の華やかさがすき。遠くからでもぱっと目に入る桜の絢爛さ。夏の、光の眩しさがすき。水面が宝石のように輝くから。秋の紅葉がすき。赤と黄色のグラデーションを見ると、日本の美しさを感じられるから。 別に、冬がきらいなわけじゃない。父と一緒に、何度か雪景色を撮ったことがある。冬の、あの透き通るような青空に白さが映えて、こ

          「夢と知りせば」1-23冬ぞ寂しき「常寂光寺」

          「夢と知りせば」1-22逢はで果つべき「祇王寺」

          12月に突入すると気温はさらに下がり、朝起きることがどんどん億劫になっていった。 京都に来て初めての冬。実家のある名古屋も相当寒いけれど、京都は「底冷えする」と言われるように、手足の先から寒さがじわじわと体に浸透し、ぬくもりを奪っていくようだ。 去年のこの時期は、毎日毎日気を張り詰めて朝から晩まで受験勉強をしていたせいか、あまり寒さは気にならなかったのだけれど、ひとり暮らしのさみしさも相まってか、暖房だけではどうにも寒さが紛れない。なるべくむだ遣いをしないよう心がけていた

          「夢と知りせば」1-22逢はで果つべき「祇王寺」

          「夢と知りせば」1-21月影の「知恩院」

          太陽が西の空に沈み切ると、あたりは黒いベールをまとったように暗闇に包まれ、代わりに、半分に欠けた月が黒い海を漂う船のように浮かんでいた。 風が吹くたびに寒さが肌の奥まで浸透して、ぶるり、と身震いした。今日は、光明院、竹情荘、それに、雲龍院。どれもこれもさっき行ったばかりなのに、ずっと昔のことみたい。太陽と月が入れ替わると、記憶に区切りがついてしまうのかしら。夜は、夜という独立した一つの世界のよう。空も、建物も、人でさえも、昼間とは違う顔をしている。 河原町で軽く食事を済ま

          「夢と知りせば」1-21月影の「知恩院」

          「夢と知りせば」1-20雲の波立ち「雲龍院」

          ぼんやりと、空を見上げた。 光明院にいる時は絵の具で塗り潰したように青一色だったのに、今は分厚い雲がぬぅっと現れて、まるで空を飛ぶ大きな龍のよう。 わたしは先ほど抱いた違和感を消し飛ばすように、次はどんな場所なんでしょう、とか、どこも紅葉真っ盛りですね、とか、小さな子供のようにしゃべり続けた。教授は教授で、紅葉は年によって色づき具合が違うから、とか、毎年どこに行こうかすごく悩むんだ、とか、他愛もないことを水の流れのようにさらさらと話して、そうしているうちに、歩調がどんどん

          「夢と知りせば」1-20雲の波立ち「雲龍院」

          「夢と知りせば」1-19音のかそけき「竹情荘」

          少し寄りたいところがあるんだ、と教授が言うので、わたしはおとなしく、眠たげに揺れるその背中についていった。 光明院から徒歩1分。寒さに身を縮める暇もなくたどり着いたのは、秋の賑わいの中にひっそりと佇む、隠れ家のような建物だった。一見、純和風の家なのに、ステンドグラスの窓はどこか西洋的で、もう100年以上前からそこにあるような、それでいて真新しいような、過去と現在の狭間に建っているような感じがした。玄関先にあるもみじが、灯火のようにぽっと色を添え、歓迎するように震えている。

          「夢と知りせば」1-19音のかそけき「竹情荘」

          「夢と知りせば」1-18虹たちわたる「光明院」

          秋が深まった11月某日、午前8時。京阪出町柳駅の改札前で、わたしはそわそわしながらとある人物を待っていた。 11月の京都といえば紅葉。普段は強引に間崎教授から呼び出されることが多いのだけれど、今回ばかりはお互い利害が一致し、どちらから誘うわけでもなく、もみじ狩りに行くことを約束していたのだ。 本日は快晴。昨夜まで降り続いた雨の影響もなく、空は透けるように美しい秋晴れだ。赤いニット帽をすっぽりと被り、首には白のマフラー。防寒性ばっちりのコートに動きやすい運動靴、重たい機材の

          「夢と知りせば」1-18虹たちわたる「光明院」

          「夢と知りせば」1-17文かく我れは「知恩寺」

          手作り市、という単語を初めて聞いたのは、確か7月頃だった気がする。大学のすぐ近くにある知恩寺で毎月15日に開催されるフリーマーケットのことで、その名の通り手作りのものばかりが売られているらしい。 「また今度、時間あったら一緒に行こうよ」 文学部の友人であるみっちゃんの言葉にわたしも勢いよくうなずいたのだけれど、試験期間が近づいていたのでその月は行けず、そのまま夏休みに入ってしまったため、結局約束を果たせずにいた。 まだ単位が揃っていない1回生のわたしたちは、講義がぎゅう

          「夢と知りせば」1-17文かく我れは「知恩寺」

          「夢と知りせば」1-16君があれなと「チェルキオ」

          構内に茂る木の葉が徐々に色褪せ、1枚、また1枚と風にさらわれていくのを、講義室の窓からぼんやりと眺めていた。 10月になった途端、気温は大して下がっていないのに肌に感じる風は冷たいものに変わって、朝や夜は少し寒いくらいだ。半袖から長袖にすっかり衣替えして、目に映る景色も少しずつさみしいものに変わっていく。季節の境目の時期はなんとなく物憂げで、わけもなく気だるくて、心の根底にある義務感だけで、かろうじて体を動かしている。最近のわたしは、そんな感じ。 長い長い夏休みが明け、後

          「夢と知りせば」1-16君があれなと「チェルキオ」