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私にはなぜ記憶力がないのか

昨年の後半期、ずっと私の頭を悩ませてきたのがこのタイトルだ。

幼稚園の記憶や、そのとき感じたことまでかなり鮮明に覚えている人もいれば、(わたしのように)思い出に残る記憶や、衝撃的で心を揺さぶられた経験とかしか残っていない。ましてや幼稚園のころの記憶なんて写真でしか覚えていない。

割と、前者か後者で二極化しているような気がする。

前者だったら自己理解深められそうでなんかいいなって思う。自分は幼少期からこれこれこうしてきたからな〜今もこうなのか。だとか、あの時母に言われたこの一言が今の自分を知らず知らずのうちに形成したのか。とか。

なんかうらやましい。

たくさんの記憶がなくなることってちょっと悲しい。

私は昔だけじゃなくてつい数ヶ月前の記憶も鮮明に覚えていないことが多い。なんでこれしたんだっけ、ここにいったんだっけって時に、一緒にその場にいた友達に聞くことで思い出すことが多々ある。

これには3つの仮説があって、一つには、前頭葉?海馬?とか記憶力を司る場所の発達が記憶力いい人と比べてしてないってのも一つだと思う。

二つ目は、たぶん昔のことや、前に起きたことをそんなに思い出さないから定着しないんじゃないかって。「余韻に浸る」っていうのは例えば楽しかったディズニーから帰ってきた時によく感じることだけど、それも当日の夜で終わってしまう。昔の写真を振り返ることはたまにあるけど、写真としてそれを眺めるだけで、詳細を思い出そうとしない。「今が楽しければそれでいい」「いかに今この瞬間を楽しむか」っていう割と今にフォーカスする刹那的価値観を持っているから過去はあまり顧みないのかも。

三つ目は、わたしが論理よりも直感で何かを決定することが多いから、出来事と出来事の結びつきが少ないこと、かな。例えば「最近ハワイにめっちゃ行きたくて、でもコロナでいけないから、沖縄でバカンス気分を味わおう!」ではなくて、「あ〜〜なんかそろそろ沖縄行きたいなあ〜」ってこんな感じ(笑)言葉で説明できる論理ではなくて、言葉にはできない「感じたもの」に置き換えられることが多いから、記憶に残らないのだと思う。

もちろん記憶ないといっても全てを忘れるわけじゃなくて、楽しかった記憶は、例えば「〇〇旅行楽しかったなあ」ってのはぼんやりとした楽しいキラキラしたイメージとして頭の中にはあるのだけれどね。



そう。それに関連して、「過去の記憶がないこと」「過去を振り返ることをあんまりしないこと」がどういうメリット、デメリットあるのか考えつくだけ書いてみました。

メリット:嫌な記憶を思い出さない、引きずらなくて済むこと。

デメリット:色々経験したのに忘れてしまったことを自覚すると悲しい気持ちになること。必要な時に思い出したいことを思い出せないこと。自己分析が上手。反省して次に繋げることが苦手になる。

あれ。メリット少ない…


例えば旅行とか、非日常的な事すると特に、頭がぼーっとして、理解する力よりも感じる力が過敏になる気がするのだけど、自分の中に残しておきたいものに出会った時に、すぐにカメラを構えて写真を残すためにぱしゃぱしゃ撮るんじゃなくて、頭の中にこの景色、今感じて見ているこの景色を留めようって努力してみようかと思います。

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