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葡萄狩り

暑さにやられて堕落しきった夏の、冷房の効いた部屋。ソファで横になったまま、ギリギリ届くテーブルに置かれた果実に手を伸ばす。模擬果実狩りだと言い訳しながら、長期休暇気分の25の夏。

食べることが好きな母と妹と、例に漏れず食いしん坊に育った私。夕食の後は決まって「デザート!」と妹か私のどちらかが口を開く。文句を言いながらも用意してくれた果実を手に、1番嬉しそうなのは間違いなく母だった。桃が1番ずるい。包丁で綺麗に整えられて、皿には雑多に乗せられたそれらを台所から現れた母は片手に持ち、もう片方には種のまわりに残った果実がしっかりと握りしめてある。ちょっとだけ残しておいてと言われて姉妹は無我夢中でありつくが、私は母が握りしめた種の方が欲しかった。桃は皮との境目が1番美味しいのだ、などという情報はどうでも良かった。ドーナツの、見えない穴まで食べたくなるのと同じで、丸く完成された魅惑の果実の1番中心を独り占めしてみたかった。

初めて葡萄狩りに行った幼い頃。そのまま食べていいと言われて、水でさっと洗っておそろおそる口にする。喉を通り抜ける果実は、あっさりと自分の体に溶かされていく。ずっと欲しかった、丸く完成された1番中心の濃縮まで。自分の手でつかみとり、そのまま口にする感覚のなんとも言えない浮遊感。端的に言う、夢を見ているようだった。でも、少し怖かった。

自分で台所に立つようになってから、何度も果実を手にして、独り占めしたり、誰かと分けたりした。でも絶対、真ん中だけは渡したことがない。自分で手にした魅惑の丸の、中心の、奥深く。そこに何があるか、未だに分からないけれど。

多分、初めて真ん中を口にした瞬間に知ってしまった。手を伸ばして掴むことの尊さと悦びと、そこに隠れている確かな責任。手にしたものの悦びと外側の尊さに惑わされてはいけない。中心にももしかしたら何かある、見逃してはいけない、なんて。

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。