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2022

文章を書くことを始めたのはいつだったか、もう覚えていない。小学生の頃にはすでに新聞の投書欄的なところに文章を送って、掲載されるともらえる図書カードを持って本屋に行くのが好きだった。本名で載る欄に出すようになってから、当時の彼の母親が「載ってるね」と気付いてくれていたらしい。恥ずかしかったけど、嬉しかった。
ずっと、どうして「書くこと」が好きなのかを明確にしてこなかった。グレーなままの方がずっと好きでいられる。わからないものも、そのまま持っておく強さも存在するからこそ。でも、それが改めてクリアになった1年だったのでふりかえりもかねて残しておこうと思う。

結論、ありとあらゆる手段で“会話”をすることが好きだということだった。映画も誰かによる問だし、音楽も美術品も、デザインも。鑑賞という行為は見えない誰かとひっそりした“文通”にきっと近くて、知らない誰かと会話できる可能性のあるものに自分は心が躍るらしい。

あらゆる音楽の響きの中には未来から循環的に逆行して届くメッセージがある、と菊地成孔は深夜ラジオでこう言った。

あらゆる音楽の響きの中には、未来から循環的に逆行して届くメッセージが含まれている。端的に初めて聞いた曲であれば、それが千年前の曲であろうと、その音楽が未来から少しずつ流れてくるし、何百回何千回聞いた曲でも未来からの時間の流れは必ず含有されている。
粋な夜電波第170回 - 菊地成孔

このラジオ音源をいまだに聞いている。聞き続けて思っただけか、はたまた気づいただけなのか分からないけれど。会話は必ずしも、目の前にいる人とのみ成立するものではない。ありとあらゆるコンテンツと触れて、鑑賞して、仕事をして、改めて感じた。過去に作られたものは、過去の時間のみが含有されているわけではない。触れた瞬間から個々人の中で再生される現在と未来との融合が起こった瞬間に新しい価値が生まれる。だから救われる。芸術、ほんと最高だな。

どんな人にも平等に分かりやすく届くからこそ、スポーツが好き。努力99%だから駅伝が好き。なり上がれる、からアイドルが好き。小さい頃からエンタメと芸術に生かされてきた謎のこだわりがまったく無駄ではないことを、いまやっと肌で実感しているよ。ハイコンテクストなものの天才性に毎度絶望はするけれど(楽しくてやってるのでよい)

経験の順番に優劣なんてない。何がかっこいいかをちゃんと見極めて、次の年もしなやかに生きる。会話という名の概念変化と取捨選択を、これからも守るために“仕事”をしようと思う。

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。