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鉄の腕

バーにある大きなテーブルの角に陣取ると、向かい合って右手と右手をがっちり握り合う。相手の冷たい手のひらと指の一本一本を感じる。左腕は背中に回す。こっちの腕は使ってはいけない。右手と右手の真剣勝負。


3、2、1、誰かがカウントすると一気に全身に力が入る。重い。相手の腕は私の2倍の太さはあるし、平べったい私の胴体に対し、彼女の円筒状の胴体には力がみっちり詰まっているようで安定感がある。みんな私が負けると思っているだろう。

ぐいっと右方向へねじられそうになり、右手首がぐにゃっとそり返る。

「手首をしっかり立てて!」

誰かの叫ぶ声が聞こえ落ち着いて手首に力を入れる。慎重に、慎重に。正直一瞬で負けると思っていたけれど、まだ負けていない。手首が捻られている時は肘から折り返されてしまいそうだったけれど、手首を丸めるようにすると肩にも力が入り固定される。互いの握り拳の位置がイーブンに戻る。

両足をしっかり床につける。身体全体を使わないとこのまま腕をもってかれてしまいそうになる。腕相撲って腕の力だけで闘うんじゃないんだ。見ているだけではわからないけれど、自分の身体を使ってやってみると気づくことがある。何か力を入れるのにコツがありそうだ。とにかく体勢を整えるために腹筋に力を入れないと、と考えていると

「あっ」

と言う間に一息で右側へ落とされてしまった。

さすが姉妹で小さい時から腕相撲をしてきたと豪語するだけのことはある。強い。でも少しわかった。これなら勝てる、という根拠のない確かな自信が湧いてきた。腕の力だけじゃ勝てないから、全身・全体重を使わなきゃ。あとは勝つ、その一瞬に全神経を集中させること。集中力を高めると、人間思っても見なかった力が発揮されるものだ。


たった一戦交えただけで全身がほかほかし湯気があがる。曇ったメガネを外し、セーターを脱ぎ、腕をまくる。めちゃくちゃ本気になってるじゃん!とみんな笑うが、当たり前だ。遊ぶ時は真剣に。力は弱いけれど、負けるのは嫌い。


2戦目、左手と左手をがっぷり組み合う。右手を静かに背中へ回す。集中。

3、2、1、掛け声とともに一気に全身の筋力を総動員する。左手から肩までは一体化したひとつの器官となる。決して肘で回さず、肩から腕全体を使い相手の腕を巻き取るようにして、押す。腰を起点として体全体を捻るようにして全体重を乗せ左肩をさらに押し込む。両足は軽く開き、地面に沈み込むように、頭は前へ倒し重心を両足の中央へ落とす。

相手の左手がやや右方向へ崩れる。絶対に、勝てる!

「ふんぬああああああああー!!!」

力が入ると、自然と言葉にならない声が上がる。一気に体重をかけ、押し込む。
相手の押し返す力に一瞬肘が浮くが、構わず肩を入れ上体を捻り崩すようにして全体重を乗せ、倒し切る。




腕相撲が全身の筋力を使う競技だとは知らなかった。2日経っても、いや2日経ってますます筋肉痛が酷い。腕が上がらずコップを持つ手が震えている。身体を動かすたびに肩と首と背中の筋肉に鈍く響くし、足もだるい。あれだけ肘を支点にしないよう気をつけていたのに肘の内側が痛い。


2戦目が終わったあと、歓声とともに、あまりにも必死の形相で奇声を上げ、汗だくだくになった私の様子に笑い声が上がったが、不思議とこういうのは恥ずかしくない。くだらないことほど全力でやるから面白い。


そういえば感染症が流行ったり、外出禁止になったりで、こんなふうに大勢で集まって遊ぶのは久しぶりだったなと思うと、腕の痛さも微笑ましい。人間と人間が実体を伴って集う時間の余韻が響いている。


友達の誕生日、生まれて初めて腕相撲をした。
腕相撲はフランス語でBras de fer、鉄の腕と言う。


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