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読書記録

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#海外文学のススメ

2023年を読書でふりかえり

すっかり遅くなりましたが2023年を読書でふりかえり。去年は大当たりで、面白い本とたくさん出会えた1年でした。noteに感想を書けなかった本の中から特に印象に残った何冊かをご紹介。 ジャック・ロンドン 『マーティン・イーデン』 直立できる分厚さ。指の置き場がないくらい紙の端っこまでビッチリと文字で埋まったページ。これは読むのに時間がかかりそうだなあと、おっかなびっくり手に取ったのですが、なんのその。面白すぎて止まりません。一冊の本を読み切れるかどうかって、分厚さや物語の長

過去と現在と未来を同時に経験するヘプタポッド

人生の選択をするとき、未来に重きを置きすぎるのは危険な甘い罠なのではないか、ということを考えていたときに、一冊の本のことを思い出しました。 折に触れて思い出す一冊というのがあります。それは決してお気に入りの本ではないけれど、なぜかあるワンシーンが頭のどこかに引っかかったまま何年も色褪せなかったり、読みながら疑問に思ったことの答えが出ずに頭の片隅に置かれているものだったりします。 テッド・チャン著『あなたの人生の物語』もそんな本のうちの一冊です。本書を読んでいない方でも、映

アントニオ・タブッキを2冊、須賀敦子さんと

須賀敦子さんの翻訳は、翻訳的なノイズが全く感じられず、驚くほど滑らかでした。 本を開いている間、小さな小石に躓くようなことがなく、すーっと小説の世界に引き込まれていきます。外国語から日本語に直された文章を読んでいるのだと読み手に気づかせません。 これまで須賀敦子さんのエッセイを好んで読んできましたが、翻訳されている作品を読むのははじめてでした。エッセイを読んでいるとその聡明さと静謐な文章力に憧憬の念を禁じ得ないのですが、翻訳もまた一等、格別でした。 須賀敦子さんのファンな

人が集まり社会が生まれ、分裂する 『蠅の王』

ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』といえば、子どもたちが無人島に漂流する物語。しかし子どもが主人公の話なんだなあと、ほのぼのした気分で侮っていたら、思いがけない徹底した残酷さに目を離せなくなる一冊でした。 特に、これでもかと畳みかけるように悲惨になっていく後半戦は、人間なら誰の中にでもある獣性や心の些細な動きが綿密に描かれていて、本を置くことができずに一気に読み切りました。 無人島というゼロの状態から人間社会が形成されていく普遍的な様子が、少年たちの心の機微を掬い上げ

”現実”とは一体なんなのか 『モレルの発明』

アルゼンチンの作家ビオイ・カサーレスの『モレルの発明』は、町山智浩さんが『去年マリエンバードで』の映画解説で紹介していて知った小説です。 『去年マリエンバードで』は我が人生でその美しさに最も感銘を受けた作品であり、しかも世界で1番難解な映画のひとつとも謳われています。そんな作品に影響を与えた小説が『モレルの発明』なのだとか。これは読まないわけには行きません。 一読目では、どうしてこの小説が『去年マリエンバードで』に繋がるのかが分かりませんでした。どちらかというと映画『イン

『東京モンタナ急行』は永遠に

図書館よ、ありがとう! 古本屋さんに行く度に探していたけれど見つからなかった、リチャード・ブローティガンの『東京モンタナ急行』。 そうだ、見つからない本があるときは図書館に行けばよいのだったと思い出し、予約しました。他館の書庫にあったのを取り寄せてもらいました。 そうそう、図書館ってこういうときのためにあったんだ。本屋さんに並んでいない本も、絶版の本も、インターネットの古本屋さんでは価格が高騰している本も、図書館は保存してくれていて、誰でも借りることができる。本は書庫で静

初めてミシェル・ウェルベックを読むなら 『地図と領土』

間違いなく現代フランスで最も著名な作家のひとりであるミシェル・ウェルベック。しかし私の中ではどちらかというと筆者のスキャンダラスなイメージだけが先行してしまっていて、今まで著作を手に取ることがありませんでした。 読まず嫌いはよくありません。 フランスで最も権威のある文学賞、ゴンクール賞を2010年に受賞した『地図と領土』は、筆者の煌びやかな名声に負けない確かな読み応えのある一冊でした。 主人公は若きアーティストのジェド。とある作品がとある人物の目に止まり、一躍時代の寵児と

ブローティガンの見た東京

ブローティガンは日本に来たことがあったと聞いた。彼が見た東京はどんな街だったのだろう。どうやら『東京モンタナ急行(The Tokyo-Montana Express)』という彼の著書に東京のことが書かれているらしいのだが、Amazonで見てみると八千円もしてちょっと躊躇してしまう。Kindle版は無料なのだが、電子書籍は好きじゃない。フランス語版ならパリで簡単に手に入ったのだが、でも英語の本をわざわざフランス語で読むくらいなら原書で読みたいと思って買わなかった。そして原書がま

村上春樹とブローティガンと原書の楽しみ

リチャード・ブローティガンと言えば『アメリカの鱒釣り』。昔々、恐らく「村上春樹が影響を受けた〜」という文脈で紹介されていて知ったのだと思う。 詳しい内容は覚えていないのだけど、とにかくよく分からなくてお手上げだった、小説というよりも詩のような作品だった、という記憶がある。 以来ブローティガンの作品を手に取ることなかった。 ところが先日Y2Kさんのnoteで、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』はブローティガンの『西瓜糖の日々』に影響を受けているかもしれな

哀しいめぐりあわせ 『ハツカネズミと人間』

ジョン・スタインベックの作品の中でも一際短い、わずか150ページほどの作品です。初スタインベック。これなら読めるだろうと手に取りました。 初めはいかにも"翻訳"されている文章に硬さを感じましたが、次第に登場人物それぞれの人柄や顔形が浮かび上がってきて、愛着が湧いてきます。 小柄で鋭く口は悪いけれど面倒見の良いジョージ。純粋なのだけど頭の回転のひどく悪い大男のラリー。昔のアメリカ映画に出てきそうな短気でガサツなカーリー。片腕の老人キャンディと老犬。馬に蹴られたせいで背中の曲

何も起こらないことの残酷さ 『タタール人の砂漠』

アニメを見ているときや漫画を読んでいるとき、主人公や主人公の親友ではない脇役の人たちはこのファンタジーな世界の中でどんな生き方をしているのかな、とふと考える時があります。 主人公は生まれつき特別な能力を持っているか特別な家系出身だったり、突然冒険の旅に出ることになったり、彼の人生にはドラマチックな展開が立て続けに起こるのだけれど、そうじゃない人たちは何をしているんだろう。 『タタール人の砂漠』の主人公ドローゴは絶対にアニメや漫画の主人公にならないタイプです。普通なら目にも止

『日の名残り』人生とは取り返しのつかない時間の重なり

カズオ・イシグロ著『日の名残り』は、長年豪邸に仕えた執事が短い旅に出る中で過去の思い出を振り返る一人称小説です。 あらすじを読んだ時は正直あまり惹かれませんでした。ところが読み始めてみると、これがもう読むのを止められないくらい面白い。小説の主題や時代背景に興味がなくとも、書き手が素晴らしければこんなに面白い小説になるものなのかと圧倒されました。 同じく一人称の独白で書かれた『わたしを離さないで』でも、一人称ゆえの情報と客観性の欠如がこれほど小説を豊かにするものなのかと、筆者

『恥辱』転落する人生の痛みと可笑しみ

ジョン・マクスウェル・クッツェーは南アフリカ出身の小説家。2003年にノーベル賞を受賞しました。今回読んだ『恥辱』は1999年に発表された長編作でイギリスのブッカー賞を受賞しています。とても読み応えのある作品でした。 『恥辱』J・M・クッツェー 舞台はアパルトヘイト撤廃後の南アフリカ。主人公は52歳、離婚歴有り、最近は老いを感じ始めたもののこれまで女性に困ることはなかった大学教授のデヴィッド。週に1度女を買うことで満足していたが、ある日教え子の女学生と関係を持ったことで人

『文盲』生き抜くために綴る外国語

『文盲』は、世界的ベストセラー小説『悪童日記』の著者でハンガリー人作家のアゴタ・クリストフの自伝。母国語ではなく、亡命先で学ばざるを得なかったフランス語で執筆していることで知られています。 アゴタ・クリストフは21歳のとき祖国のハンガリーからスイスへ亡命し、難民として暮らすこととなります。スイスへ逃れついた時、フランス語は彼女にとって未知の言語でした。彼女は成人してからフランス語を学び、フランス語で書き、そして『悪童日記』はフランスの出版社から出版され、ベストセラー作家とな