この秋(と呼ぶには暑すぎるけれど)、“二つの発見”があった。
一つは、アルバート・アインシュタインがノーベル賞を受賞したのは、実は相対性理論ではなく、「光にはそれ以上分割できない最小単位の塊(光量子)があるという光量子仮説」(ニュートン10月号)の功績によるという事実。
もう一つは、アインシュタインがノーベル賞受賞の報せを受け取ったのは、日本郵船が所有する「北野丸」の船上で、シンガポールから香港、上海を経て神戸に着く直前のことだったという事実である。
神戸着が1922年11月17日で、その日本到着「寸前」に電報で知ったと、アインシュタインは書き残している。
それを教えたのは、今年8月に発刊された『アインシュタインの旅行日記 日本・パレスチナ・スペイン』(アルバート・アインシュタイン著 草思社文庫)だった。
科学者を身内に持つ以外に、科学者の日常に触れる機会はなかなかあるものではない、と思うのだ。
功績や人柄は、メディアを通じて、が専らだろう。
フィルターを経ていない、いわば装いのない素の日常と言動に触れる機会はそうそうないはずだ。
日記を紐解く醍醐味はそこにこそある、と思える。
『アインシュタインの旅行日記』は、あくまでも旅行中の日記であり、そこには、公開する予定がないことを前提として記されたはずの率直な心情が綴られている。
ズバリ、好みだ。
ちょっと若作り?(それがそもそも旧いのだが)な言い回しを用いれば、「どストライク」な一冊に心が躍った。
収録されたニールス・ボーアへの私信からもうかがえるが、アインシュタインとてやはり「ノーベル賞」という評価を意識していたのだ。
だからこそ、10月7日にマルセイユから乗船した北野丸での船旅は、11月17日、神戸に到着するまで、受賞の報せに焦がれた航路であったのではと、想像も膨らんだ。
そして、受賞が決まったことを意識しての日本上陸であると知って紐解けば、歴史のなかにアインシュタインという個性が立ち現れるのではないだろうか。
すなわち、この旅行日記、そして日本での旅路におけるアインシュタインの眼差しに「意味」を感じることができるのではないだろうか。大挙して押し寄せる日本人の聴衆、科学者、そしてメディアに対して彼は何を観て、何を感じたのか。
人は何を観るのかにこそ、個性が顕れるものではないだろうか。
だから常に、相手が知っていることではなく、相手がどう思うか、を聴くことに心を傾けてきた。
受賞を知った直後のアインシュタインの日本旅行、そしてパレスチナ、スパインへと続く彼の視線は紛れもなく、科学者の日常、それもノーベル賞受賞の報せを受けた直後の日常として、大変に興味深いものだった。
興味深く感じさせる理由は、彼が科学者であると同時に、大変に鋭く豊かな民俗観を持ち合わせた人物であることを納得させるからである。
つまり、この日記に記された日常の風景から、アインシュタインという「科学的偉人」の人間性が浮かんでくるではないか。
一見、備忘録のような旅程の連続性のなかに、土地と人間を見逃していないことがよくわかる。
関心は、建築物にとどまらず、風景や自然、植物に及び、その中に、随行する人々の個性がしばしば散りばめられるのだ。
へえーと、アインシュタインとは、相対性理論の数式ばかりがその尊顔と重なっていたけれど、こんな目線、視点、そして人間性だったのかと想像させる。
旅行日記は当然ながら、アインシュタインの個性がストレートに映し出されたものだった。
もちろんその意味は、決して美談ばかりではありえないという含みも込めて、である。
彼は遺伝的特性に対して時に極めて現実的であり、共同体と社会性について時に辛辣であり、時に楽観的であり、矛盾を胚胎していると評価されてもおかしくはない社会観をも垣間見せる。
しかし、それも含めて、この現代社会でなお最も著名な人物の一人である彼の、一般には浸透しきっていない実像であり、人格であるとも映るのだ。
本書には大変に丁寧な「歴史への手引き」という、いわば解説が“同梱”されているが、まずは日記そのものを斜め読みし、その後に「歴史への手引き」をめくり、その後にもう一度、日記に戻るべきかもしれない。
すると、そこにはかの偉大な科学者が、我々、一般市民と同じ地平に降り立って現れ、その言葉の一つ一つが「熟れた魅力」を放ってくるはずだ。
そこに、科学という世界が拡げる精神の豊穣さを感じずにはいられない。
一世紀を経て、アインシュタインの「心」に触れる幸せをも。
そして、懐かしさをも。
かつて、アインシュタインが晩年を過ごしたプリンストンは「ガーデン・ステート」と呼ばれるニュージャージーの美しい街だった。
プリンストンの図書館にあの文献が、あの史料がとなれば、ルート95を飛ばし、ニュージャージー・ターンパイクを駆け、ボストンとプリンストンの間を幾度も往復した。片道500キロ程度は若い頃には、苦もなかった。
どうしても空腹に耐えられなくなれば、ジョージ・ワシントンブリッジを渡ったハドソン河畔にあったヤオハン(今はもうない)で日本風の弁当を買って、また車を飛ばした。
パリダカ気分で走破した末の、原典のなかの一文、一節を確認した時の幸福感といえば、後の人生においてそれを凌ぐものはいまだにない。
学ぶことに飢えていた時の旅路に、苦しさなどはなかった。
…ああ、若さっていいな…若い時の勢いってもうないな…健康な体っていいな…
しかし、横着な僕の野暮な旅路には、当時の日記などは存在しない。
今日、プリンストンに本を返しに行った帰路、豪雪のニュージャージー・ターンパイクでスリップして6回転した。その時、後続のトラック運転手がヒゲを撫でながら、オーマイ~と叫ぶその口元がスローモーションのように目に焼き付いた。
そんな当時の記述は僕には残っていない。
『アインシュタインの旅行日記』(草思社文庫)は、はからずも、切ない郷愁まで呼び起こした。
嬉しい一冊となった。
ネット記事もいいけれど、手触りのある紙だからこそ沁み入るものがある。余韻の残る言葉がある。
日記には、いまだ知らぬ、見えぬ、心に触れる醍醐味があるのでは?
本書にご関心のある方はこちらからぜひ。
https://www.amazon.co.jp/文庫-アインシュタインの旅行日記-日本・パレスチナ・スペイン-草思社文庫-4-1/dp/4794227396/ref=sr_1_1?crid=3D3LRJ8KY5WLV&dib=eyJ2IjoiMSJ9.dCGXUwHDN4EhqvmxJNwd1REGeSGV-zXYHMF-g7cEZIH2fNDFhmycPoU37fBZTh8sJYg3yq2s56W12j5f17H89XuiGysb3A80uo-QKTV-Y64n5xIlhubsG_HRat5WJQNZB9P1TOk8xc56uk5IpbvxBoSZYmy3dqrg7YIBtcDuvCUDswkkKEoVR3rpG7FbDGh4.5NFdclGkE0NMMTC5EUYyx7wac-cn8YdKrvfzHOmetoo&dib_tag=se&keywords=アインシュタインの旅行日記&qid=1726480637&sprefix=アインシュタインの%2Caps%2C154&sr=8-1