映画「クルエラ」感想レボ

映画「クルエラ」見てきました!ネタバレ感想3700字です。
アニメの方の元作品を強く意識しつつも斬新で、何より「あの悪役も実は…」ではなく、あくまでヴィランとして描き切った脚本がとても素敵でした。

鑑賞前に「奇抜でハイセンスな衣装と最高の音楽、イカれた天才女二人のぶつかり合い。犬はひどい目に遭いません!」という感想を拝見していたんですが、まさにその通りでしたね。

特にのちのクルエラとなるエステラを演じるエマ・ストーンさんの”エステラ”と”クルエラ”の切り替わりと推移が本当に見事でした。二重人格とは違う、一人の人間でありながらも「思いやりを優先したいエステラ」と「自分を優先したいクルエラ」二つの要素が混在していて、今はどっちが優位なのか、どっちの気持ちから起こった行動なのかがその表情や仕草ではっきりと解るようになっていました。

ストーリーについて
まずは子供の頃から並外れたセンスと、他人はおろか時代にも噛みついていく反骨精神を持つエステラが唯一の家族だった母を失い、ストリートチルドレンとして成長していく前半部分。
「自分の過失で母が死に、ストリートチルドレンになる」という過程は正直「あ、お馴染みの「このヴィランが悪に染まったのはこんな悲しい出来事が…」みたいなヤツかな?」と一瞬思いました。しかし、同じくストリートチルドレンとして描かれていたジャスパー&ホーレスとの自然な出会いや、「盗みのために変装用の衣装を作ることでデザイナーとしての下地を独学で得る」という、彼女の才能と才能だけではない実力の土台を見せる見事な布石になっていたと思います。
あと個人的に気になったのが、学校で彼女を目の敵にする男の子とケンカになるたびに校長室に呼び出される場面。相手の男の子にペケが付けられるところは一度も見られませんでしたね。これは単なる尺の都合なのか、当時の男性優位社会を現しているのか…

百貨店の最底辺スタッフから一流デザイナーの弟子になるまで。
百貨店清掃スタッフのエステラ、ホントによく頑張りました。ファッションに関わりたいと色々打診しようとしては歯牙にもかけられない日々、ほぼ脊髄反射で反撃に走っていた小学生時代を思えば本当に辛抱しました。それだけファッションデザイナーへの憧れと亡き母への気持ちが強かったんだなと思うとグッときますね。
何かあるたびに愛犬バディと寄り添いながら噴水で母に語り掛けるエステラ、そして常にカップは二つ。「ロンドンについたら最初に噴水を見て紅茶を飲もう」と言っていた母の言葉が今でも残っている、最も「エステラ」を強く感じるシーンだと思っています。
そしてトップデサイナー バロネスとの出会い。酒の勢いで百貨店のディスプレイを自分好みに、奇抜に改造してしまったエステラのセンスを即決で雇う判断力と佇まい、常に自分を頂点とし、自分に絶対の自信を持つ姿はまさに天才のそれでした。「9分仮眠するわ」といて薄切りのキュウリを瞼に乗せて横になるシーンがちょっとシュールでしたが、「10分ではなく9分=その1分で成せる何かがあると思っている」所もまた凡人とは違うということなのかな…と思わされました。
キュウリはアレでしょうかね、確か「昔キュウリは高級品だったから、貴族のアフタヌーンティー1段目には必ずキュウリのサンドイッチがあった」という話があったので、「未だ高級品のキュウリを美容のためにあっさり使えてしまう権力と財力、そして美へのこだわりの持ち主」ということでしょうか。キュウリが高級品だったのはいつ頃までだったんだろう。

エステラからクルエラへ
バロネスは母の死に関係している、母を殺したのは自分の過失ではなくバロネスの故意だった、エステラの実母はバロネスの方でそれ故に母は殺された。と真実が明らかになっていく毎にバロネスは憧れから敵へ、エステラはクルエラへと変貌し、エステラの才能が叩き付けるように披露されていく、一部重くなる部分はあれどなんとも華やかな展開でした。
颯爽と現れては去って行くことでバロネスの面子を潰しつつ話題を総ざらいしていくクルエラのドレスと演出は毎回茶目っ気と悪意を感じる奇抜なものばかりで、まさにヴィラン!と思わせる毒気を含んだ爽快感が実に見事です。
そしてバロネスによって窮地に立たされ、出生の秘密を知った後、作中では最後となる噴水を訪れるシーン。いつも一緒に来ていた愛犬バディも紅茶もなく、噴水に腰を下ろすこともなく「今でもママが好き」と残して去って行くエステラ。
バロネスが仇だと知った時から既に、彼女はエステラからクルエラ優位へと変わってはいました。けれどこの場面は更に「きっとこれが彼女が人生でこの噴水を訪れる最後の瞬間」であり、復讐を誓った時とはまた違う「心の中の”エステラとして大事な部分”をクルエラに渡してしまった」と強く感じさせる、序盤の「クルエラが出てきたら「貴女の出番はないわ。バイバイクルエラ」ってする」という表現の意味をもう改めて考えさせる印象的な場面でした。

待ちに待ったバロネスとの最終対決。
本当に素敵でした。ストリートチルドレン由来のスリの腕を生かした作戦に母が死んだ時の様子を強く意識させつつクルエラ優位の空気を作るセッティング、そして何より「クルエラがヴィランだからこそ勝てた」と今までの要素を余すことなく盛り込んだと思える勝ち方で、大満足です。
ヒーロー側であれば「相手の改心を信じて一杯食わされそうになるが、これまでの行動や人徳が功をそうして助かる」あたりの展開が多いイメージですが、クルエラは「相手が絶対に悪意を持った手を打ってくると信じ、その対策を整える」というあくまで悪役の思考に則った作戦勝ち。ナイスヴィラン。
そして法的にエステラはバロネスによって殺害されたことになり、彼女はクルエラとして生きていく。
ラストの段階では優位性はクルエラにあれどまだエステラの要素は所々残っていました。ここからアニメ作品への、完全なるクルエラに繋がっていく過程を考えるとすっきりとした終りでありながらも一抹の哀愁がありますね…
もちろんアニメと完全な整合性があるわけではないと思いますが、ジャスパー&ホーレスを家族と呼んだり、ネックレスを飲み込んだ犬を殺さずに排出されるまで待ったり、何よりバディという愛犬を大切にしていたのに…という気持ちが拭えません。爽快感のある結末と、うっすらと寂しいような余韻を残す、そんな作品でした。


キャラクターについて
ジャスパー&ホーレス
所々アニメのおとぼけっぷりを思わせるクルエラ一味の泥棒達。ストリートチルドレンとしてエステラと共に生き延びる家族という立ち位置が新鮮でした。それ故にここからただの子分になってしまうのか?と思うとちょっと悲しい。
印象的だったのが、二人のエステラとクルエラへの態度の違いですね。
「いつもエステラを気遣ってなるべく味方でいようとしていた」ジャスパーと「割と早めに音を上げていた」ホーレス、けれどもラストのエステラの葬式(偽装)で泣いているホーレス。単にホーレスのお間抜けにも見えますが、ジャスパーは「あくまでエステラが主体、クルエラはモード切替のようなものと捉えていて、葬式を茶番だと思っている」、ホーレスは「エステラとクルエラを別々に捉えていて、彼女はもう”エステラ”には戻らないと考えている」ようにも思えました。実際はどちらも正解であり間違いと言えるのでしょうが、そうした捉え方の違いもまたエステラとクルエラの在り方に深みを与えているのかなと感じます。

バロネス
ストーリーの感想でも書きましたが、決断の速さとものを見通す目から常人ならざるものをひしひしと感じさせる、天才の名にふさわしいキャラクターでした。
身分的には伯爵(だったかな?)夫人のはずなのに一挙一動がガチャガチャしてて雑なのも周りの目を気にしない独特さがありましたね。

ロジャーとアニタ
最初はアニメとは違う立ち位置に見えましたが、ラストではアニメ通りに近い人物像や住環境を見せてくれて、ここから繋がっていくんだな…と感慨深くなりました。しかしまさかポンゴとパーディタがチンギスの子供というか、クルエラから贈られた設定になるとは…

犬達
ひどい目に遭ってなくてよかった…可愛らしい動きに泥棒補佐としての見事な活躍、エステラとクルエラの違いと推移、クルエラの理性を解りやすく見せてくれる優秀な役者さん達でしたね。
物思いに耽るクルエラを愛犬バティが少し遠巻きに見るシーンも「あぁ、本当にクルエラ優位になってきているんだな」と思わせてくれて、そうした細やかな表現が素敵でした。
けれどもバディとウインク、チンギスをはじめとする3匹のダルメシアン達は今後どんな経緯でクルエラの元からいなくなっていくのかをつい考えてしまってちょっと寂しい…

アーティ
女性的な動きとクルエラの良き理解者たるセンス、茶目っ気たっぷりな人物像ととても魅力的でした。
彼も元作品にはいなかったので、どういう経緯で袂を別ってしまったのかとつい考えてしまってちょっと寂しい…

この記事が参加している募集

#映画感想文

68,495件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?