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20230709「君たちはどう生きるか」観てきました

久しぶりの宮崎駿作品
前情報もなにも入れず、フラットな気持ちで観ようと心掛けました。
以下、宮崎駿監督を「ぱやお」と呼ぶ部分がありますが、お許しください。

とにかく泣いた。過去一で泣いた。
感想の結論としては「ぱやおの作品・キャラクターが異世界転生した世界で行われている生前葬に立ち会わせていただいた」という気持ちだった。

後半、石が破壊されたあたりから「ああ、これって生前葬なんだ」
「参列させていただいてるんだ。ありがたい」と涙腺が崩壊して、
そこから、エンドロールにかけては
とにかく「まだだよ、ぱやお」「逝っちゃだめだ、ぱやお」
「ぱやお、逝かないで」「また、えがいてよ」「ここからだよ」と、
とにかく涙が止まらなかった。
映画館で声をあげて泣いてしまいたいほどに、泣いた。

とにかく泣いたので、映画が終わって、周囲の観客の「意味が分からなかった」という声が理解できなかった。こんなにすごい作品なのに、どうして
伝わらないのだろう。
「わからなかった」と言っていたのが、一人二人ではない。
そして、60代くらいのご夫婦も言っていた。
歳を重ねていても、理解に苦しむ内容だったのだろうか。

私はつい先日コルクマンガラボ専科で「萌え型」「排出型」を学んだ直後だったので、これは「排出型」に大きく舵をふった作品だなと感じた。
なので、「排出型」の私はすごく琴線にふれ、おそらく「萌え型」を期待して観に来ていた観客は「意味不明」となったのだと思う。

では、記憶の限り最初から感想を追ってみよう。深く考察は入れない。

最初は昭和の戦時中から始まる。
階段を駆け下りるところあたりで
感想「もののけ姫っぽいな」
火事や母親がなくなるシーンで
感想「火垂るの墓を思い出し、ああ、ぱやおはやっぱり高畑さんに憧れがあるのだろうか」
ところが、展開は田舎の洋館に疎開するので、違和感を感じる。
感想「ずいぶんライトな方向にふったな」
おばあさんたちがたくさん出てくる。
感想「なんとなく…ラピュタと千と千尋を思い出すぞ…」
不思議な建物が出てくる。
感想「あれ?これは千と千尋を思い出すぞ…」
おばあさんのうちの一人が若くなる。
感想「あれ?これは魔女の宅急便を思い出すぞ…」
ここまでくると、確定である。
「あ、これってぱやお自身と創作物が自分の作品に異世界転生してる感じなのかな」
そう思うと、画面に出てくるものがどれなのかをあてながら観ることができる。全然飽きない。とてつもなく楽しい時間だ。
小さな穴から主人公が顔をのぞかせ、上を見るシーンなんかラピュタじゃん!ってなった。とにかく、ぱやおの好きなものが全部異世界転生して再現されている。
そうしているうちに、宮殿の柱が出てくる。
私は、自分の夢の中でその場所に行ったことがあったので、「あ、あそこか」と瞬時に判断できた。
でも、普通の人はわからないかもしれない。なんで「柱」?ってついていけないのかもしれない。

この場所は、私の夢の中では「生死の境界線」だった。
私の夢の中では、柱から出て、光を浴びると砂になって死ぬ。
最後まで生き延びれば、昇天することができる。
昇天とは、夢分析では「自己の再生」を意味する。

なので、次期王に名乗り出ているインコが
「お前たちは残って生きろ。ここから先は俺だけが行く」と
覚悟を決めるシーンは
生死を超える場所だからだもんな。と理解できた。

そして、屋敷に住む小説家の先生が登場すると
感想「ああ、ぱやおか」と。
映画を見ている時点でわからなかったのが「13」という数字。
観ながら勝手に思ったのが、ぱやおの作品世界の崩壊が
表現されているのだろう。でもなぜ13?と。
帰ってきて、wikiを見て、「作品数」というのがわかってすっきりした。
そして、広間にぽつんとデスクがあるあたりのシーンはエヴァの
ゲンドウを思い出した。宮崎駿監督もなんとなくだけど、シン・エヴァに
影響を受けたのではないだろうか。
シンジに肩をたたかれるゲンドウが連想された。
シン・エヴァを見た時にポニョを思い出した。
巨匠と巨匠が相互で感応しあっているように感じた一瞬があった。
それはさておき、
ぱやおの世界が崩れる時間が迫っている。
大好きな世界に包まれて、守ろうとしてきた世界が自分の寿命によって崩壊する。子孫に継いでくれと頼むが、断られる。
そうなると、もしかすると主人公は宮崎吾朗氏だろうか、見ているわたしたちだろうか、と思い直したりもした。
石の崩壊は、ラピュタの飛行石を連想させた。
「ああ、崩壊してなお、空を飛び続けるのだろうか」と。
そうして、屋敷は崩壊し、ぱやおの世界は閉じる。
もうこの辺では完全に涙腺崩壊である
自分で作り上げてきたもの、大事なもの、大好きなもの、葛藤しながら制作し続けた姿勢。それでも、終わりは来るのだという、終末期の切なさ。
引き継がない子孫。
この気持ちは何なのだろう、今考えてもまだ明確な答えは出し切れていない。やるせなさも残る。答えは出ないまま、ずっと考え続けることなのだろう。
でも、わかるのはクリエーターである私はきっと作り続けるいうことだった。
ポニョでは、主人公はあちらの世界に行って楽しく暮らすエンドだが
今作は主人公は現実に帰る。異世界にいた生物は、現実のものとして
生まれ変わり、主人公を囲む。
主人公を誰と想定するかによって感想は違うかもしれない。
でも、これってそういうことよねと。私は思う。

お話はブツリと終わる。子孫がどうなったかなどは必要ないのだ。
そこから先は子孫の物語なのだから。
でもあっけなくて、「萌え」を要求していた観客は「なんじゃこりゃ」と
思ってしまったのかもしれない。
私はこの辺で泣きじゃくって「まだだよ、ぱやお」「逝っちゃだめだ、ぱやお」「ぱやお、逝かないで」「また、えがいてよ」
「これを描けたのなら、ここからだよ」と思ってた。

エンドロールは青空だった。とてもとても青い地球の象徴、青。
ここに生まれて、そして描いて描いて描いて死ぬ。
青空を眺めながら。
私は基本的に音楽は「歌詞」を聴く(人によってはメロディーを聴く)。
でも、もう今回は歌詞を聴く暇がないほど「ぱやお、逝かないで」と
叫びまくっていた。それほどに心が奪われた。

宮崎駿監督、まだ、えがいてください。ずっとずっと待ってます。
本当に素晴らしい作品をありがとうございました。




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