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学級経営の三本柱

お正月に格付けチェックを見ていた時のことです。何十万円の楽器達と何億円の楽器達を聞き分けるというものでした。
私にはそうした素養は全く無いので、分からなかったのですが、ピアノをやっていた妻は、一通り聞いて「絶対B。低音が違う。」と言い切るのです。
そんなことあるか?と思いながらテレビを見ていると、なんと正解。
しかも、解説で「低音が違う」も言うではないですか。

わかっている人というのは、理解の解像度が高いです。
楽器で言えば、高音域、低音域をどのくらい聞き取れるかで楽器が見えてくるそうです。

ポイントを明確に持って理解していると、そこは揺るぎないコツとなり、判断基準になり得ます。

学級経営する上でも、同じことが言えます。
ポイントを明確に持って理解していると、そこは揺るぎないコツとなり、判断基準になり得ます。

自分の思考を整理するためにも私の学級経営の柱を三つ書き出してみることにします。

①個の繋がり
②授業への熱中
③考える力


以下に各項の詳細とその具体的アプローチについて書き記します。

①個の繋がり

集団は個の集まりです。子ども同士にせよ、教師と子どもにせよ、個の繋がりが学級を円滑にしてくれます。
まずは、教師と子どもを意識したいです。
子どもと教師の1対1の関係です。
その子が「先生は自分をちゃんと見てくれている」と思ってもらえるような関係性です。
そのためには、いかに教師がにこやかに、言葉をかけられるかが大切だと私は思っています。

不機嫌が許されるのは赤ちゃんか天才だけ

上機嫌のススメ/齋藤孝

齋藤孝の名著「上機嫌のススメ」の一節ですが、教師にも当てはまります。
教室で子どもたちは、基本的にはなんの文句もなく学校に来て教師の話を聞きます。教師がどう教えるかによってその反応が変わるわけですが、あろうことかその指導によって教師が不機嫌になることがあります。
プロとしてお金をいただいて教壇に立つ以上、子どもたちの不平不満も、保護者の意見もある程度は受け止めねばなりません。(度を超えたものは別として)
受け止めるからこそ、相手との信頼関係が築かれていきます。
聞く力は聞いてもらう力に支えられています。人に聞いてもらうからこそ人の話を聞けるようになるのです(参考文献「聞く技術聞いてもらう技術」)。
声をかけるために聞く。そうすることで教師と子どもの関係性を少しずつ作っていきます。

そして、教師と子どもの一対一の関係ができると、子どもの繋がりを作りやすくなります。
教師が仲介役となって子どもたちをつなげることができます。
例えば「繋がることの価値」を子どもたちに話したときに、教師と子どもの繋がりがあると子どもたちにも響き、意識できるようになっていきます。例えば私はこんな話をします。

学校は「仲良く」するためにきます。仲良くとは、単にベタベタくっついていつでもどこでも一緒にいる、遊ぶ、ということではありません。お勉強するときに協力できること、これが仲良くです。体育で誰とでもペアになれる。お隣と相談といったときにすぐに話せる。協力して掃除できる。こうしたことを「仲良く」といいます。

こうした話を、例えばグループ学習の前に入れることで、子と子の繋がりを円滑にすることができます。そしてそれは、教師と子の繋がりができているとより響きます。

②授業への熱中

学級経営に欠かせないものです。学校で多くの時間を授業として過ごします。ここに熱中できないと大きな学習意欲の低下を生みます。世間で話題になる「静かな学級崩壊」の原因はここであると私は思っています。
熱中とはそこに集中し、次々やりたい!となる子どもたちの姿です。この熱中にはいくつかの鍵があります。それは次のようなものです。

1.わかるできる
2.自分で選べる
3.評価をもらえる

意欲は「わかるできる」に支えられています。もしくは、「わかりそうできそう」です。
ヴィゴツキーの発達の最近接領域でも説かれるように、ギリギリ手が届くところに学びがあるからこそ成長できます。

引用:https://learn-tern.com/proximal-development/

そうして、成長に手が届くことを重ねた子どもがもっと大きな目標を目指していけるのです。

そのためには、易から難へ課題を移行していくこと、基礎基本となる子どもたちが考える足場を準備することなどが必要です。

例えば、算数では多くの教科書で例題→類題→練習問題という並びになっています。
例題や類題で解き方の手順をおさえるからこそ、練習問題にチャレンジできます。
少しずつ簡単なところから手を離していくことで熱中は生まれます。
教科書がそもそもそういう仕組みになっています。
だからこそ、教科書の問題の順序というのはかなり大切であるのです。

また、自分で選択することも熱中を生みます。
自分が選んだものはそこにこだわりが生まれるからです。
それは与えられたものとは大きくことなります。
自己選択学習と呼ばれるものもありますが、そこが重視されるのはやはり子どもたちの意欲につながりやすいからです。

そして、「評価」。
学校だからこそ、この評価をすることができます。
丸をもらえるからこそ意欲が湧いてきます。
丸とは、赤ペンで丸することでもあり、先生からの「頑張ったね」という声かけでもあり、友達からの「すげぇ!」という声でもあります。
つまり、他人からのフィードバックを評価と考えています。
様々な形で正しい努力に正しい評価がなされることによって子どもたちの意欲はぐんと上がります。

③考える力

「人格の完成」が教育の目標ですが、そのために必要なこと、いえ、最も必要なことは子どもたちが独立して考えられる人間になることであると私は思っています。

近年、主体性を重視されるようになりました。
個別最適化や協働学習を重視されるようになりました。
そこの根底には、自ら学ぶ人間、自走する人間になってほしいという思いがあります。学習指導要領でも何度も「学びに向かう力」についての記述がなされています。

なんのために学ぶのか。
なぜそれをするのか。
どうしてそれはしてはいけないのか。

ダメはダメと伝えるのが大切な一方で、なぜダメなのかを伝える必要もあります。
「やりなさい」という言葉の裏にどれだけの意味を伝えられているか。

言われたからやる。

ではなく、

必要だと思ったからやる。

という子どもたちに育っていってほしい。
そうした子どもたちが育ってくるとクラスは自走し始めます。
担任がおらずとも回っていくようになります。

わざわざ立ち止まって、子どもたちに思考の時間を与えるのは正直、手間です。
「いいからやりなさい」と言う方が早い。

しかし、そうして1学期や2学期に立ち止まった分、彼らの力として確実に身についていきます。
すると、ふとしたところで思わぬ成長を見せてくれます。
後からぐんとスピードが上がったりします。

学級の成長

教室は、比例のようにまっすぐ右肩上がりでは伸びていきません。

加速度的にどこかのターニングポイントでぐっと急激に上がります。

もしくは、階段のようかもしれません。
しばらく伸びは全く感じられないけど、急にぐんと上がる。

教える側は辛抱強く待たねばならない時が多いです。
これは受け売りですが、「教諭とは教え諭す者である」のです。
子どもの小さな成長に喜び、辛抱強く成長を心待ちにする"頼もしい身近な大人"でありたいです。
やがて小さな芽が出てきます。
それは明日かも来月かも来年かも分かりません。
でも、きっと教師が今、目の前の子ども達を精一杯温かく受け止め、小さな成長を喜ぶとは、彼らの未来に繋がっていきます。いえ、必ず繋がります。
子どもたちの未来をつくるのが教師の仕事です。
先行投資しようじゃないですか。
それこそ、教師という仕事の魅力であるのだと私は思っています。

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