美しく汚い矛盾を愛し憎む
もう何もかも嫌になった、
月イチか週イチか、もしかしたら毎日のように、もう何もかも嫌になってるかもしれないけれど、今わたしはもう何もかも嫌になっている。
とても寂しい。何で寂しいと感じるのだろう。
何が不満なんだろう何が足りないんだろう。
分からないけれど、とても寂しい。
窮屈なくらいの愛に飽き飽きしていた癖に、その窮屈さが恋しくなっている自分が、憎い。
自由なのって結構辛いの、ルーザー
そろそろ2ヶ月を迎えようとしているか、本気でダイエットを始めようと決めた日から5〜6kg落とした。
今となっては食べようとしてもすぐにお腹いっぱいになってしまうし、満腹になる感覚が怖くて酒以外のものがあまり摂取できない。
でも今日、久しぶりに
何も考えずに白米を思う存分食べようと思った。
その気持ちが大切で、「これだけにしよう」じゃなく、好きなだけ食べようと思って詰め込んだ。
結局、100g食べれたかどうかくらいしか食べられなかったけど、何も考えずに食べられたから美味しくて幸せだった。
だけどそのあと待っているのは、
虚無感と後悔、だけなんだよね、結局。
その瞬間満たされてもすぐにすり減ってしまう満足感。充足感。やっぱり食べなければよかったという気持ちだけが残る、人間という生き物が
嫌いだ。嫌いで仕方ない。
でもわたしは人間で。人間の女という生き物で。
人間と関わって、人間がいないと生きていけなくて、だから寂しいって気持ちも生まれたりして。
だから人間という生き物が好きで好きでどうしようもないわたしだっているんだよ。
この記事?
きっと読んでくれている人には伝わっていると思うけど、何も考えてないよ。全く一切一ミリ足りとも何も考えずにただただ文字を打ち込んでいる。
350mlのハイボールは秒で無くなり、
カロリーはある癖に何の栄養もないけれど
今のわたしが際限なく摂取できるエネルギーは酒だけだから今も飲み続けている、朝でも夜でも仕事中でも飲み続けている。
根っからアルコールが染み込んだ身体、
意外と嫌いじゃないし、こんな自分は大っ嫌いだ。
ねえ、わたしって生きてていいんですか。
その答えは分かっている。
生きてていいよ。それ以外、あるわけない。
いや、「生きなければいけないよ」、かもしれないな。
死ぬことは贖罪にならないし、わたしがいなくなることによって少なからず悲しんでくれる人がいることも分かってる。分かっている。でもそんなことだってどうでもいいんだ、よくはないけれど。
これからの人生が、全て償いだと
この前にも書いたし
常にそう言っているのを知っている人もいるかもしれないけれど、わたしの中にはそういう気持ちがずっとずっとある。
誰かの人生を"滅茶苦茶"という程に変えたことはきっとない、いや、あるか、あるな、ごめんなさいありました。あったけれど、それはわたしだけが悪いわけではないしその人の自己責任でもあるからそういうわけじゃない。
そういうわけでもないけれど、でもそこまでじゃなくてもわたしは、被害妄想でなく周りの人に迷惑をかけ続けて生きてきた。
それは元家族にかもしれないし、クラスメイトだった人だったかもしれない、インターネットでしか繋がっていない人にかもしれない、とても仲良くしてくれていた友達だった人にかもしれないしわたしを愛してくれた人にかもしれない。
人間って、誰だって生きていたら周りに何かしら迷惑をかけるものだ。
わたしは自分が大切だと思っている人にかけられる迷惑だとか裏切りみたいなものに対して、そんなこと多分これまでの人生で無かっただろうなって今思い出そうとしても思い出せないくらい頓着がない。
きっと、わたしに対して「迷惑をかけた」と思って生きている人もいるのだろう。単純に本当に迷惑をかけられたことなんてなくて、そんな人いないのかもしれないけれど。
そんな感じで、わたしが「迷惑をかけた」と思っている人達も、今頃そんなこと、そうやって忘れているのかもしれない。でも、やっぱりこういうことに関しては受け取り手の気持ちが大切なわけではないよね。
えっと、"こういうことに関して"というのは、例えば誰かを傷つけたとき、もっと具体的に言うと友人や恋人に嫌な思いをさせたときなんかに、行動を起こした側より受け取り手が「嫌だな」と思ったらそれは謝るべきである、ということとは違うよねという意味なんだけど、伝わるかな、まあ伝わらなくてもいいや、今は。
ああ何が書きたかったんだろう。
何も書きたくなかったし、何かしらを書きたかった。何かしらを吐き出したかった。それだけだ。
キャスとかスペースなんかで言葉を発したら少しは気持ちが楽になるかなって思ったけど、そもそもわたしは喋るのが苦手だし、何となく今はnoteだなって思ってこれを書き始めた。
だからテーマも着地点もない。
ただ寂しかったの。わたしが今思っていることとかわたしが今ここに存在することを誰かに共有してほしかったの。それだけなの。
でも、全員、わたしの存在なんて忘れてほしいの。わたしはここから消えてなくなりたいの。
出来損ないの欠陥品、それも超一流の。
そのくせ、一丁前に人間のフリして寂しさを感じたりするの。
ふざけてんじゃねーよ、
自己肯定感のジェットコースター。
何が「自分が嫌い」だよ。
お前、自分のことが一番大好きで自分のことが一番大切じゃねえか。
他人のことなんてクソどうでもいいと思ってるじゃねえか。自分さえよければそれでいいって思って生きてるじゃねえか。嘘ばっかついてんじゃねーよ。
そんな自分が死ぬほど嫌いなの。
人に優しくありたい。だって、大切な人、大好きな人、優しくしてくれる人、みんなみんな、わたしなんかに関わってくれる全ての人が愛おしくって有難くって仕方ないんだもん。
美しくて優しくて、汚くて冷たいこの世界。
愛しくて憎らしくて、大好きで大嫌いな人間。
生きたいと思ったことはないけれど、生きなければいけなくて、死にたいとばかり思っているけれど、死のうとはしないわたし。
矛盾だらけでいいんじゃないですか。
白黒ハッキリさせたい、どちらかに自分の在り方を決めたい、右とか左とか肯定とか否定とか、そんなくだらねえ、いつどんなキッカケで変わるか分からないものに重きを置いて自分の新しい可能性を潰していかなくっても別に、
生きていたら考え方も在り方も変わっていって当たり前だし、そんな自分を許してあげたって、そんな誰かを許してあげたっていいんじゃないですか。
"変わらないカッコ良さ"は
確かにあると思うんだ。
突き通す自分自身があるカッコ良さ。
でも、それだけがカッコいいものだとは思わない。
"変わっていくことを受け入れるカッコ良さ"
だって絶対にあるんだ。
これは、10代くらいのわたしにはきっと理解できなかったことだと思う。今だからこそ思う。
人間の矛盾は気持ち悪いし、綺麗だよ。
だからさ、わたしよ。
そしてこれを読んでいる誰かよ。
死にたくっていいから、矛盾だらけでいいから、頑張ろうって思ってるのに頑張れてないと思っていても、今日やろうと思っていたことが出来なくっても、決意したことがブレても、
今日を生き延びていることを褒めてあげようよ。
そんで、
「ああ今日もダメ人間だったな」
つって酒飲んだり薬ぶち込んだり寝腐ったりしながら、
「ああ今日も生きてるだけで偉かったな」
って、そうやって、何とかかんとか毎日をやり過ごしていこうや。
そしたらゴールなんてそのうちすぐ来るよ。
ね、だから、だから、わたしも皆も。
今日がどんな日でも100点満点。それ以外の点数なんか生きられてる時点で、ない。
まあ、仮に自ら死を選んだとて、今まで生きたんだから100点満点だ。
みんな偉い、わたしも偉い。
ああもうこの記事も終わってしまう。寂しい。寂しさでどうにかなってしまいそうだ。
全部壊したい、身体中を傷だらけにしたい、薬をありったけ飲んで訳が分からなくなりたい、でも出来ないからさ、今のわたしは
この記事は自傷行為だよ
ここまで付き合ってくれてありがとう。
お前らのこと、別に好きでも嫌いでもないけど、愛してるよ。
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