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病名のないわたしが見てる世界

「起床」
爆音でおジャ魔女どれみの曲が流れてて、「あぁ同居人がアニメ見てるんだなあ」と思いつつ起きたら「いや、見てないけど」と言われ、幻聴だったらしいことに気づく。
こうして今日も始まるわたしの世界。
なんとか水を飲んで、ベッドに戻る。お布団の中しか安心できる場所はない。
手が震えて暑くて寒くて、「死にたい」って気持ちでいっぱいいっぱい。
同居人にお薬を飲ませてもらって、ご飯とハイボールを作ってもらい、やっと布団から出られる。
外には夜しか出られない。
たまに調子がいい日は太陽が出てても大丈夫。ちょうど今の季節は、朝の散歩が気持ちいい。疲れるから少し歩いて帰ったらすぐに寝てしまう。
人が多いのは苦手。
でも、「こっちを見て悪口を言われてる」みたいなのは一切なくて、ただただ普通の日常を送ってる人やお仕事を頑張っている人と同じ空間にいる自分が惨めで、現実が怖くなって家から出られなくなる。


「わたしに病名はない」
しいていえば「うつ病」と診断されているけれど、8年くらいかな、通ってる医者に自分の症状を不眠程度しか言っていない。
何も言わなくても薬をくれるから、それだけの理由で通っている。
本当はもっとちゃんとしたところを探すべきなんだろうけど、ちゃんとしたところの予約は何ヶ月も待たないといけないし、そもそも外に出るだけで精神力を消費するのに初対面の医者と喋るなんて「本当にギリギリ」の状態じゃ無理だ。ついでに、何ヶ月も先の予約をとっても、その日が外へ一切出られない日だったらまた数ヶ月後へ先延ばしになる。
結果、とりあえず薬だけ、をずっと続けている。


「つけられた障害名もない」
ただ、自己分析になるけど何かしらの人格障害はあるんだと思う。昨日笑って喋って仲良くしてた彼氏が今日憎くて仕方なくってめちゃくちゃに殴ってたりする。
そのときの気持ちは、そのときの自分の中では正当化されているんだけど、そのときにしか分からないから今書くのはちょっと難しい。
愛しいからこそ憎いのかな。分かんない。


「不眠と過眠」
起床から、次を書こうとしたけれど、わたしの生活リズムは滅茶苦茶で
丸一日寝ている日もあれば丸一日起きてる日もあるからどこを抜粋しようかと。
不眠と過眠、両方が定期的に来る。
基本的に不眠で、眠剤を飲まなければ2~3日起きてるんだけど、過眠期は20時間くらい寝てる。生理のときの眠さが一生続く感じ。
これが結構困りもので、だから昼職に就くのが怖いっていう一番の理由かな。
眠剤とコンサータと低容量ピルである程度調節はできるし、昼職をすることによって生活リズムが整って自律神経も元通りになるのかもしれないけれど。何年と続けられたことがないから分からない。

寝てる日は寝てるだけだから、起きてる日のことを書こう。
感情の浮き沈みがジェットコースターすぎて、今度は元気な日と病んでる日、どちらを書いたらいいのか更に分からない。


「元気な日は世界中キラキラしてる」
多幸感に満ち溢れてて、明日はこれをしよう!なんてこともポジティブに考えられるし、抑えきれない衝動で色んなことを突発的に始めたりする。よく分からない買い物をする。とにかく誰かと話したくって、月の半分、毎日、別の男といたこともある。
一番厄介なのは、スケジュールを詰め込むこと。そのときは出来ると思ってるの。
そして、その波が終わって、残るのは無理やり詰め込まれたスケジュールと、何で買ったのかもよく分からないもの、要らない男の連絡先、好きな人にほど嫌われてる自分。
元気が終わりかけの頃、「やばいかも」と思い出したらそのときはくる。


「起き上がれない」
世界が真っ暗になる。明日、寧ろ今日が見えない。連絡が返せない。布団以外全部怖い。
自分が「元気なとき」にしてきた全部に後悔する。全てが嫌になって、消えたいとしか考えられなくなる。
死にたい、消えたい、でも自殺なんてめちゃくちゃ気力の要ることも出来ない。
そして冒頭に戻る。
安定剤が効いてきてようやく起き上がれるようになり、ご飯を少し食べて、ベッドに戻る。返せる連絡を返して、ツイッターを見て、そのままもう一度寝るときもあれば家の中でならアニメや映画を見れたりする日もある。
外へ出るのは、たまに深夜のコンビニに行く程度。晴れてるかどうかすら知らない。

時間は何もしなくても経っていく。
家賃とか、光熱費とか、食費とか生活費とか。
何もしてなくても支払いはしないといけないのに、「元気な日」のツケも残ってたりする。
このまま働けない日が続いたらどうしよう?
その不安感が余計に働けない自分を作っていく。不安感から飲む薬、お酒、何もかもが怖くて怖くて怖くて怖くて。
同居人とか物とかに八つ当たりして、家の中すら居心地が悪くなってまた布団に閉じこもる。


「今、わたしは、甘えてるだけなのだろうか」
怖いという気持ちの裏側にいつも潜んでいる感情。甘えてるだけに決まってる。甘えられない状況なら外に出るはずだ。病気のフリしてれば甘えてたって許されるから病気らしい振る舞いをしてるだけだ、と。
例え「そんなことない、ゆっくり休んだ方がいい」と誰かに言われても、これはわたしが言わせてるだけだ、言ってほしいと思って動いてるだけだと思ってる。
こうして文章に書き起すと、ほんとに全てをネガティブに捉えてるんだなあということに気付いたりするものだね。


「死ねないから生きてる」
死にたくない、とは思ってない。出来れば死にたい。この世に未練が一切ない。これから先、生きていても、いいことより悪いことの方が多いに決まってる。
でも、何に不満があるわけでもない。
頑張れない自分が大嫌いなだけなの。
ここまで書いてやっと正気を取り戻し始めた。どれくらいの気持ちだとしても、わたしと仲良くしてくれていたり好いてくれている人がこれを読んだとき、悲しくさせてしまったりするのかもしれない。
いや、今更か。今までも散々、そうやって、取り返しのつかないくらい、傷つけてきて今更だけど。
ごめんなさい。
こんなわたしは嫌われて当然だ。


「こういうときのこういう気持ち」
わたしはこんな記事、出したくなかった。
ニュアンスが難しい。もっとちゃんと、小説を読んでいるかのように、物語として成り立ってるように書けるのならば、この内容でもよかったんだけど。
殴り書き。
最初の記事もそうだったけど今度は更に酷い。
後味の悪さったらない。


「でも、それが」
今のわたしは、過眠期で鬱期で、デパスだって一瞬も効いてくれない、自分レベルでいえば10で死ぬとしたら8くらいに危うい。
その状態を、その感覚を
そのまんま文章に残そう、と思った。
醜くてごめんなさい。今心が辛い状態の人が、引きずられて余計に辛くなってしまったらごめんなさい。やっぱり出さなければよかった。でも出さないと今後何も書けなくなってしまう気がした。
存在意義?
私的事情。
誰のため?そんなのあるわけない。
関係ないけど、今後オンライン遺書って感じになっていくんだろうね。久しぶりにペンで字を書くと、ノート一頁分書き終えてもないのに手が疲れて力が入らなくなってびっくりしちゃった。


「就寝」
夜、寝る前になるとまた幻聴と幻覚が始まる。
ただの雑音が自分を罵倒する声に聞こえる。いないって分かってる人が視界を通り過ぎる。
夢と現実の区別が、最近どんどんつかなくなってきていて、だから本当に言われたことなのか夢の中で言われたことなのかも確認を取らないといけないし、前の日の細かい記憶がないことも多いからフォロー0、フォロワー0のツイッターアカウントが命綱になっている。
ただのメモより、ツイッターのがアプリ開いて書くことを思い出す可能性が高いし、呟いた時間も分かるから便利。

寝たり、起きたりを繰り返して
また明日が来る。
もう言い訳はしない。これがわたしです。
生きてるわたしがいる世界です。






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