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誰にも頼まれていないのに「優勝」してしまった。

誰にも頼まれていないのに、勝手にボディメイクのコンテストに出ることにした。
誰にも頼まれていないので、報告義務もなければ、結果が出なくても怒られることもない。
誰にも頼まれていないので、辛くても誰のことも恨めないし、辛くならないように目標の中身を変えてもいい。

大会に出ると決めてから約2ヶ月。
私はもはや「優勝」している。

ちなみに本番はまだ1ヶ月後である。
でも誰がなんと言おうともはや「優勝」しているのだ。
ちなみに、私が出る大会『SUMMER STYLE AWARD』(サマースタイルアワード、以下サマスタ)の、ビューティーフィットネスモデル部門のトップ選手を貼っておくので、興味がある方はぜひ見てみてね。(本物の優勝者)

とりあえず登る山を決めた

大会に出ようと決めたきっかけは、いくら自己流で食事管理をしても理想の体に近づかないことへのジレンマからだった。(このあたりのボディコンプレックスについてはちょこちょこ呟いたりしているのでまたまとめるとして)

それもそのはずで、平日はほぼリモートワークで運動時間も少なく、土日はサーフィンをするけどその分お腹が空くのでしっかり食べるし、お酒も飲む。
適量ならさして影響はないというが、飲み始めたらとことん!が当時の私で、次の日二日酔いになって昼まで寝て過ごすということもしばしばだった。

そこで思い立って、酒量を減らし、パーソナルジムに通い始めても、なかなか結果が出ない。今振り返ると、「減量」のための食事の考え方と、筋肉をつけるいわゆる「増量」のための考えがごっちゃな毎日になっていたので、基本キープ(たまに増)みたいな日々だった。

これはいっそ大会くらいの大きな目標を決めて、いやでも人にステージ上で見られるというプレッシャーを与えることが必要なのではないか。
「大会で勝つために何が必要か」という1本の軸に沿って日々を過ごすことで、自分の中で今まで断片的に仕入れてきた情報が統合されるのではないか。
そんな理由で、私でも出られる大会を探し始めた。

結果、辿り着いたのが上記の大会。ビキニより、ワンピースタイプの「モノキニ」と呼ばれる水着がかわいい!お腹が隠れるから、下腹がなかなか減らない私でも出られそう!という、わりと軽い理由だった。

めちゃくちゃ自己が統合された感覚

この決断からおよそ2ヶ月半。
私が手に入れたものは優勝のトロフィーでも賞状でもない。

・「持って生まれたもの」への感謝と誇り
・できないと思っていたものの習慣化
・自分の本来の性質への気づきと受け入れ

いやこれ、割と最強じゃない?
というわけで、まだ大会本番すら迎えていないくせに、めちゃくちゃ自分のことが大好きになってしまったわけであります。

もちろん、大会で勝つために必要なレベルにはまだ遠いし、できる限り近づこうと努力しつづけているわけですが、そこでの評価にかかわらず、大会を目指すという「旅」が自分に与えたものがあまりに大きく、勢い余ってこんなnoteを書いている。

①自分が「持って生まれたもの」への感謝と誇り

この種類のコンテストは、いわゆる、「体の美しさ」を競う場所。
肩や背中、くびれといった評価基準を見たす体をトレーニングと減量によってつくりあげ、その仕上がりを審査員によく見せるためのポージングを練習する。
いかに満点に近づけるか、という戦いなので「逆にコンプレックスが強くなるのではないか」という心配も最初はしていた。
もちろん、「もっとくびれが出るように背中を鍛えなければ」とか、「これくらいの体重と体脂肪を目指さなければ」みたいな目標はある。
しかし加点のためのボディメイクをするなかで「元々の自分の体の特徴、強み」も、明確に見えてくるのだ。

私の場合は、足の形と長さ。
これは本当に、自慢でもなんでもないのですが(ちょっと自慢かも、えへへ)、割と小さい頃から身内だけでなく、友人や周囲の人から褒められ続けてきたところ。

まっすぐで、長さもまぁまぁあって、足首がキュッとしまったこの足の形は、おばあちゃん、お母さん譲りです。
初めてポージングを習いに行ったトレーナーさんに
「ななこさん、足めっちゃきれいですね!これアピールしていきましょうね!」と言ってもらって、なんだか泣きそうなくらい嬉しかったのです。
お母さん、わたしをこの体に生んでくれてありがとう。
そんな気持ちでいっぱいになりました。
(この体をステージでお母さんに見せたいというのも目的の1つに)

他にも、減量するにあたっての食習慣に無理なく順応できているのも、
小さい頃から栄養バランスを考えた食事を作ってくれた母のおかげで、遡ると看護士として地域の栄養指導をしていた祖母のおかげでもある。
素材を味わう食事を幸せと感じられる価値観を育んでくれたことに、感謝もした。

②自分にはできないと思っていたものの習慣化

今、私は毎朝40分以上の有酸素運動(後半から×2回になった)と、週4,5回の筋トレ、それに加えてポージング練習が日課になっている。
正直どれもこれも、大会出場を検討してから一番気が重かった。
わかりやすいので有酸素から説明する。

スタート:「平日は忙しくて、有酸素運動できない」と言っていた私
→トレーナーさんから毎日朝30分の有酸素が命じられる
→Youtube見ながらだったら意外とできた!
→なかなか減らないので40分に増やすことになる

この時点で無理だと思ったけど、やるためにどうするかを考えるように
→朝6時台に起き始める
一時期しんどくなって、無理にしなくていいか、自分に優しく〜とか言い始めるも結局罪悪感から逃れるためにやる
モチベーションに左右されない習慣化の完成!

第二のスタート:減りが悪くなってきたので1日に40分を2回に
→いよいよ無理だと思う
→でも1日やってみる(お散歩でもいいからね)
→1日の中の有酸素チャンスを見つけるようになる
(買い物を遠くに。聞くだけでOKな会議で画面オフしてバイク漕ぐなど)
モチベーションに左右されない習慣化の完成!(2回目)

それに加えて、今はポージングやストレッチなども1日のなかに組み込まれている。
その分、1日の中の無駄な時間はかなり減った。
時間はつくるものってガチやんな。

習慣化の流れもまとめてみたので別途。

③自分の性質への気づきと受け入れ

これ、個人的に一番ウケたんですが、
私ね、アスリートになりたかったみたい。
昔からアスリートってかっこいいなって思ってたけど、
本気で目指すなんてしてこなかったし、
勉強と仕事で生きていくと疑わなかった(し、実際にはそれで食べていく毎日は変わらない)んだけど、
仕事で出会うアスリートや、彼ら彼女らを支える専門家の世界に憧れは常に持っていて、リスペクトはもちろん、その境地に辿り着けないという自分へのガッカリ感、悔しさ、もどかしさを常に持っていた。

私はよく「本番のある世界」という言葉でアスリートの日々を表現する。
一瞬でしかない本番のために日々を投げ打ち、どんなに練習でいい成果を出しても、その日発揮できるかできないかで勝負が決まるアスリートの世界。
その日に照準を合わせて準備し、終われば少し解き放たれまた次の目標に向かう。

失敗が怖い私は、いつしかこういう機会を遠ざけるようになっていた。
だけどいつだって憧れていた。

大会では、私は「選手」と呼ばれる。
11/5という日のために、体を鍛え、コツコツ減量をし、少しずつ苦手を克服しながらポージングを修正する日々を送っている。

いつかゆりさんとのコーチングセッションで、「短距離ランナー」というワードが出てきたことがあった。
短距離ランナーのようにガーっと集中して働いて、あとは自分の好きなことをする、というメリハリのある生活を送りたい。
そんな「アスリート的なマインドで」みたいな表れ方だったが、
まさかリアルにフィジカル的な意味でアスリートのような日々を送るとは。
ここに辿り着いたとき、ゆりさんと爆笑してしまった。

文章を書いたり企画をしたり、PCを武器に働いて、自己肯定感とかポジティブなマインドとかを得たくていろんな方法を取り入れてみたりしたけど、
私が一番素直に努力できて楽しめるのって、フィジカルな感覚なんだなと、ようやく認められた。
スマートに生きようとしすぎてた、私。
根は体育会系でした。

山が決まれば、行動は引っ張られる

もちろん、なんでもいいわけじゃない。
サマスタという山を決めたあとも、私はちょっと怖気付いていた。
エントリーまではまだ日もあるし、ジムでも「大会も視野に入れたい」みたいな言葉で明言を避けていた。

でも、なんだかその山がだんだんしっくりきて、好きになってきて、
この山を登りたいと強く思うようになっていったのだ。
多分、山登ったことないけど、先にシューズとかのギアを揃えて、専門家に話聞きにいったり、登頂した人に出会ったりとかそんなことをしている間に、どんどん楽しみになっていった。

この体をお母さんに見せたい、とか。
痩せた体をベースに、いろんな食習慣にトライしてみたいとか。
今まで太るのが怖くて食べられなかったものを食べたいとか。
大会以上の楽しみがたくさんできていったのだ。

目標が心にはまった、そんな感じ。

大きな目標が決まると、
そのためのサイズダウンした目標と行動が見えてくる。
これがいわゆるマイルストーンと呼ばれているものかも。

  • 大目標:大会で入賞する

    • 中目標 ①綺麗なポージングをする→ポージング練習 ★習慣①

      • 小目標 ①腰や肩の張りをなく→ストレッチを取り入れる★習慣①-①

みたいに、最初はポージングだけでも習慣にするのを頑張っていたのに、いつの間にか質を上げるための行動も取れるようになっていく。
この境地に達すると強い。

ここまで発想と行動が結びつく体験は初めてで、
やれちゃってる自分にびっくりしてもいる。

自分にとっての原則が見つかる

多分この感覚は、誰かに頼まれたものだったら
得ることができないもので、
誰にも頼まれていないから、
山を登ることへの意味づけや、
途中の寄り道を自由に楽しめたりするんだと思う。


そして「大会に出る」という
フィジカル的に理想な自分に、
人に見られるというプレッシャーをかけてたどり着くというアプローチが
自分のメンタル的な弱みまでも変えてくれる。
そんな予感がするのだ。

体が心をリードする

これは私の新しい原則になる。
その感覚を1日1日確かめながら、
大会まであと4週間。
走り切る。
だって私、ランナーなので。

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