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11/7 22時半頃:日常感のある文章について

今、文字を打とうとしたらワイヤレスキーボードがなかなかパソコンに繋がらなかった。Bluetoothの接続番号を変えちゃったのかなと思ってカチカチして、結局元の通りでよかった。充電が少なくなっているのか?赤のランプはついていないのに。

さて、久々に日記用にnoteを立ち上げた。今日は少し内省的な気分なのと、先ほど読んだ川上未映子の文章の感じが良くて、つい立ち上げてしまった。いや、思ったことをそのまま書けるのすごいよ。ちょっとだけ脳裏に浮かんだイメージとかも、浮かんだままのタッチでデッサンしてあるというか。いや、すごい。俺ちょっとわかりやすいようにと思って文章変えちゃうもん。でも、その直さないほうが、その、なんていうの、文化的なところ?書き手の生活感とかが見えてきて、それが味になってるような感じがするのよね。
そう思うと、俺の文章って誰かに向けて書いた文章ではあるんだけど、なんというかその分味わい深いものはない気がする。でもまあ、小説とエッセイの違いはあるか。川上未映子さんのエッセイも読んだことあるけど、小説みたいに細かい描写じゃないもんな。エッセイと小説で喋り方が違う、みたいな感じがある。

それでふと思い出したけど、最近よく聴いてるラッキリの歌詞は結構日常感がある。ラッキーキリマンジャロね。スペルミスが怖いのでカタカナで書くけども。宇多田も日常感あるよなあ。なんか、自分も歌詞書く上ではそういう日常感のあるものを書きたい。誰かに向けたメッセージとかないしな。

ここまで書けて、結構満足してきた。なんか、キリがいいしこのnoteはここまでにしとこうかな。



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