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自信持って生きたいから

冬空の中電車に乗っていると、高校に入ってからのことをつい振り返ってしまう。やっと高校生が終わるという安堵が夕日に映る。

2018年4月
大好きな英語をもっと学びたいと親にお願いして私立の英語に特化したクラスがある高校に入学した。
そこでたくさんの自分より頭のいい人に出会って勉強して、高校生らしく放課後を楽しんで、部活に励む
そんな完璧な高校生活を送るつもりだった。

何が悪かったのかなんて今になっても分からない。きっと相性が悪かっただけで中学からの環境の変化が強すぎて慣れる前に疲れてしまったからだろう。

高校生活を完璧にするため、ちょっぴり無理して陽キャの集まるグループに混じり、初心者だったが憧れの吹奏楽部に入部した。

他の部員とはコースも違く、みんな経験者。嫌がられるのも仕方ないと思った。でも憧れが叶う嬉しさが背中を押してくれた。だから楽しかった。
ここまでは順調に進んでいるはずだった。

しかし、GWが開けると
自分の居場所が消えていた。
自分の中に違和感が生まれた。
自分の中にある時計が針を進めなくなった。

学校に行きたくない。と思ってしまった。

そして、学校を休んでしまった。
ここから地獄が始まった。

次に学校に行く時には待ち合わせをする友達が消えていた。
休み時間に話しかけても素っ気ない。
休んだ日のノートを貸して貰えない。
一瞬で勉強にはついていけなくなった。

たった2日休んだだけなのに。。。

それから私の情緒は、どんどん不安定になっていく。

毎日泣き叫びながら家を出て、過呼吸になりながら痺れたからだで電車に乗る。
でも乗り換えが出来ない。
乗り換えたら高校に着いてしまうから。
だから何度も降りる駅を通過した。
罪悪感と安堵感が押し寄せてまた涙が出る。

親に連絡して家に帰る。

また、家から出れない日もあった。
朝から、または前日の夜から泣いてパニックになる。
車で送ってくれる日もあったけど、結局は車で学校を往復するだけ。

何回も自殺をしようとした。
けどそれさえも怖くて、止めてくれるのをただ待っていた。

憧れた未来なんてどこにもなかった。
中学生に戻りたい。それだけを言う毎日だった。

もう全て諦めたなんて言ってるのに
本当は諦めきれなくって、その事実さえも辛い。

だからこそ、私に夢が出来た。
2018.6.21
きっと一生忘れない。
16になる誕生日だった。


雨降る昼前車の中で
思い出した言葉。

”中退するなよ、仕事増えるから笑”
中学卒業前担任が残した言葉。

当時は何言ってるの? って笑ってたけど、その時気づいた。

”絶対に辞めるな。前に進め。”

そんな意味が含まれてたんだって。
だから私も意地になってこの高校を卒業する。そして中学教師になって会いに行く。

そう誓った。

それからは部活を辞め、
少しづつ学校に通うようになった。

けど、人生そんな簡単じゃなかった。
ひとりぼっちの高校生活が始まり、数日行ったら休む。その繰り返しだった。
一緒にいる友達はいなくなり、
どこに行くにもひとりぼっち、
話す相手も入学当初とは別の人になっていた。

転機は10月にあった研修授業。
オールイングリッシュで2週間の
合宿。
その中で1つルールを作った。

”女子全員とツーショットの写真を撮る”

簡単そうに見えるけど、必死だった。
結果は半分にも満たなかった。



けれど話す機会は増えたし、
声をかけることもできるようになった。

心を閉ざしていたが、開くきっかけになったのは確かだと思う。

それからは文化祭の準備にもできるだけ参加するようにしたし、
クラスメイトのことが分かるようになっていった。

勉強の方は毎回赤点をうろうろ
英語も勉強しなくなった。
けれども英語は嫌いにならなかった。

劇的に好転することはなかったが
少しづつ”自分らしく”学校に通うようになった。

いつしか自分を大切にするようになった。 誰かと一緒に居たいならそれでいいし、それが辛いのなら離れればいい。 それが大切なんだって分かった。


学校でのJKライフを諦め、校則を破ってバイトをした。そこで出会った先輩達のおかげで自分は自分でいられた。
だって色んな人がいたから。何かに縛られる必要なんてないって気づいたから。

今の自分には自信がある。

辛い日々を乗り越えたことも、
諦めずに高校に通ってることも、
当時の自分を受け入れてる自分も

全部が自分だから。

これからもだから何とかなる。

明日も自信を持って生きていく。

きっとこの3年間を忘れることはないだろう。
そしてずっとずっと背中を押してくれる記憶になるだろう。


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