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9カ月のイスラエル/キブツ滞在ドタバタ旅行記

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未知の国イスラエルで体験した、義務教育で日本文化を教えてるところや、うごめく木と阿鼻叫喚ネタ、口喧嘩が英語力の上達に貢献してくれたり、水中シーソーあほネタ、日本語での数の数え方の… もっと読む
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「なんでイスラエルに行ったの?」ってよく聞かれるので、自分語りしちゃいます。

このネタは話し始めると長くなってしまうので出来るだけ簡潔にまとめようとは思うけど、出来るかな…。 宗教一筋の親が厳し過ぎて逃げた一番の理由は、束縛の強い親の影響圏外に出るには国外に出なきゃいけないかも、くらい思い詰めていたので。今思い返してもあれはキツかった。 別に特定の宗教が悪いと言うつもりは全く無いけど、どの宗教にも、どの宗派にも、ある一定の割合で融通の利かない、白か黒しかない原理主義者みたいな気質の人がいると思うのだけど、うちの親がそれでした。 でも、これは外に出

キブツって何それ?

当時は怖いもの知らずというか、人生万事塞翁が馬で、見切り発車でも全然平気。走りながら考える適当さでも、若かったからできた。 若くなかったらほぼ無理ゲー。リスク管理とか考え過ぎてしまいますから。 ちなみに、ググればすぐ分かるようなことは割愛します。 ここでは、わたしの独断と偏見に満ちた切り口で書きます。 コルホーズみたいなところキブツ(Kibbutz)とは、コルホーズみたいなものと聞いてたのだけれど、(学校で習ったよね?Wiki:コルホーズとは、ソビエト連邦時代の集団農場の

イスラエルの義務教育・小学校で日本文化の課目があった!

今はどうかわからないけれど、少なくとも私がイスラエルに滞在していた頃には、道を歩いているとやたら日本語で話しかけられました。 「こんにちは!お元気ですか!」は常套句。 始めはびっくり、感心していましたが、5・6回目以降になると「ハァイ。元気です。あなたは?」と日本語で返していました。そのうち、その手の挨拶はヘブライ語でできるよう頑張りましたが。 そういえばあの90年代ごろはあの頃は、中東から結構な数の人が東京に出稼ぎでか集まって来ていたのを思い出します。道端で手作りアクセを

キブツでのフリータイムにハメを外すと・・・・ 日光浴、木登り、プール遊び・・・水中シーソー

朝5時起きで薄暗いうちから仕事が始まる分、終わるのも早いのが救いでした。 わたしがキブツに着いたのは4月の頭でしたが、もう既に半袖短パンOKな気温でした。 夏服ぜ〜んぶ借り物それまで真冬のトロントにいたわたしは、夏服はほとんど用意していなかった(これも全て適当〜、見切り発車の典型)ことを伝えると、Tシャツやショートパンツの山の前に連れていかれて、自分のサイズに合いそうなものを勝手に持っていっていいよ〜ですって。 なのでお言葉に甘えて、持参した下着と靴下以外は全部お借りしてし

英語力は、心臓が毛深くならないと上達しないことを肌で知りました。

わたしの山あり谷ありのイスラエル道中記では、今のところ山の部分の楽しかったことしか書いてきていませんが、もちろん谷の部分の、嫌なことや、辛かったこと、怒ったこともいっぱいありました。 主な原因は、英語力のなさ。 英語力のつたなさからくる混乱イスラエルの公用語は、ヘブライ語、アラビア語に英語。 キブツに来る前にこのどれかで最低限のコミュニケーションが取れるのは必須とのこと。 なのでイスラエルに行く前の2ヶ月間トロント(カナダ)に語学留学して、英語の特訓をしてからキブツに行

バスで隣の女の子からじろじろ見られた件

イスラエルを始め、外国に滞在中は、まるで自分が日本国の代弁者かのように、日本国内では思いもしないようなことをいろいろ聞かれます。 それに即答できるように知識武装して、準備万端にしておきたい必要性が感じる場面がいまだにあります。 2度以上聞かれたことのある質問は、捕鯨、アニメ、武道、禅、金継ぎ、侘び寂びに関してとか。 知り合いには刀剣コレクターが、室町時代制作の剣先の鑑定書を訳してくれとか。 一時帰国の際にエバンゲリオンのフィギュアを買ってきてくれないかとか。 ある友人は

風がないのに、ざわざわと波立ち、うごめく木。

中東にあるイスラエルの生態系は、当たり前ですが、日本とはまた違ったバリエーションがあり日本の常識を覆される発見・経験が豊富にできました。 無風の暗闇の中でうごめく木ある日、二件隣の部屋のボランティア仲間の部屋に集まって、皆でワイワイしている(トップ写真はウイジャボードで遊んだ時のですが)うちにすっかり日が暮れた頃に外に出ると、すぐ外に生えている木の様子がおかしい。 何かが動いてる・・・? なんだろう・・・そんなにビール飲んだ覚えはないんだけどなぁと思いながらも、目の焦点が定