転勤族だった私は帰りたくなる「まちづくり」をしたくなった
こんにちは!「起業したい人と地域の人がつながり【○○発】をつくる」をコンセプトにした起業支援拠点「HATSU鎌倉」のコミュニティマネージャー小林ななみです。
まずはHATSU鎌倉を運営しているメンバーを知ってもらいたく、今日からリレーコラム形式で自己紹介していきます。
転勤族だったからこそ、町の帰属意識の憧れ
私は東京出身ではあるものの小3から高校3年生まで山形で過ごしたので、山形にアイデンティティがあります。しかしながら山形の人からは「東京の人だよね」と思われることが少し寂しく、町に対する帰属意識に憧れを持っていました。
この帰属意識への憧れが、のちに帰りたくなるようなまちづくり、場づくりができるようになりたいと思うようになります。
スラムのまちづくりにのめりこんだ大学時代
高校生の時、漠然とNGOで働きたいと思っていた私は、国連関連で働いてる先生が多い大学として有名だった東洋大学国際地域学部に進学します。主に「まちづくり」を学ぶ学部ですが、まちづくりといっても経済や環境、教育など様々。その中でも特に関心が強かったことがスラムのまちづくり開発。
学部のフィールドワークの一環として、フィリピン・セブ島に行ったことをきっかけにスラムのまちづくりの研究にのめりこむことになりました。
フィリピンでまちづくりに従事していく中で、毎回「なな、またいつでも帰ってきてね」と言われ、それがすごく嬉しくて。日本では感じたことがない優しさに包まれて、私も帰りたくなるようなまちづくり、場づくりができるようになりたいと思うようになりました。
カフェを潰してわかった、いい場を作っても、持続しないとダメ
NGOで働きたいと思っていた私ですが、ビジネスを通して社会課題を解決できるという視点ができました。これをきっかけに大学5年生の時にインターン先の仕事でカフェをフィリピンに開業しました。スラム地域での雇用を生むためにカフェを立ち上げましたが、結局
カフェを半年で潰すしてしまうことになります。
この時実感したのは、いい場所を作っても持続できなければ意味がない、ということでした。
この挫折から自分の実力不足を感じ、ネオキャリアに企画職として就職。海外で働きながらメディア運営、イベント集客、海外の人向けに求人募集などしていました。一通り集客に関しても経験を積むことができたので昨年、3年半務めた会社を離れました。
「誰も後ろにおいていかない」という精神
そして昨年11月にHATSU鎌倉でコミュニティマネージャーに就任しました。まだまだ手探りですが、私なりに目指しているものがあります。
私はフィリピンで、みんなで作っていくという意識があるコミュニティが、第3の場として人々のセーフティネットになっている素晴らしい事例をみてきました。そのなかで、No one left behind.という「誰も後ろに置いていかない」精神を学びました。
だからこそ、私もNo one left behind.精神で場作りをしていきたい。これが私の目指すべきコミュニティマネージャー像です。
たとえば1階でおこなっていた「チクチク会」。これは近所のおばあちゃんたちに協力してもらって、座布団を一緒に作ってもらいました。1階での体験をどんなものにするか、ということは意識しているところだったので、これをきっかけにお茶の間のように使ってもらう機会が増えたことは地域とつながるというHATSU鎌倉のコンセプトを体現しており嬉しく感じています。
HATSU鎌倉としては地域の人たちが起業を応援できる場にしていきたいので、そこは私もこれから注力していくところです。
私自身まだまだ未熟ですが、HATSU鎌倉に来るキッカケ作りになればと思い、これからもnoteにアウトプットする過程を通して学びを深めたいと思っています。
また1階はコミュニティラウンジで誰でも利用できるので、ぜひ鎌倉に遊びに来たときはお立ちよりください!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?