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他人を品定めする人間とは分かり合えない

「高学歴で専門性がある人は知能で社会貢献てして満たされ自己承認を得るが、子供の時や中高時代に、見た目のことでコンプレックスがあったり、学生時代に異性関係がうまく行かず、何か満たされないものがあると、25を過ぎてもっと若い人がやることや異なる階級のやる活動に手を出す」というXの投稿と、「これ当たってる。中高の同級生一部、大卒して25歳ぐらいから夢見て有名になりたがろうとする人いるわ。その人たちからすごい嫉妬や皮肉なこと言われた。私が短大卒なのにやりたい仕事に就いてイキイキと生きて目標叶えてたから。その都度、あなたたちとセンスや知能が違うんだわと思ってスルーした」という引用リツイート(リポスト?)を見た。

私はこのような投稿を見る度に、自分の内面的な充実と、それが簡単に侵されるものであると感じる。

この引用リツイートしている彼女も、(被害妄想でなければ)中高の一部も、他人のことが必要以上に気になっているように思う。

他人が目標を叶えているからって自分には良くも悪くも自分に直接的な影響はないのに。私は他人を品定めすることに興味がないので、この人が自分より上とか下とか、階級だとか、そういう話にはうんざりする。

だからといって他人に興味がないわけではない。基本的に「自分と他者」という捉え方をしていて、他人を見分けるのが苦手な私にとって、頭の中で個人のウィキペディアを作るのは大切なことだし、人の価値観や性格を知りたいと思っている。学歴や職歴も、単純に何をどのような環境で学んだのかは気になるけれど、あくまで私の頭の中にある、その人物の情報の載ったページの1つの情報でしかない。

もしこの引用リツイートだけを読んだのなら、彼女に共感を示すかもしれない。それでもよく共感できないのは、彼女の過去の投稿からも思っていたことだけれど、社会的な成功への執着や、他人を見返してやろうという気持ちが表れているからだと思う。純粋に目標を達成しようという意志ではなく、社会的な成功や、階級を登っていこうとすることこそが正義というような考え方に違和感を感じる。

大学を出てからよくそのような人に、実生活でも出会う。私はそんなしがらみに囚われてない分、充実した生活を送っている。平和なはずだけど、大人になってからの人生をスポーツ競技のように勝ち負けで捉えている彼女のような人間に囲まれると、勝手に競技に参加させられジャッジされ、少しずつ精神的に削られていく気がする。


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