真実の瞬間

音楽科の高校に通っていた時、定期演奏会を終えた私たちに先生はこう言った。

「プロは、このクオリティの演奏を合わせの初日には作ってきます。合わせ1回、本番1回。それで最高のものを提供するのがプロの仕事だ」
演奏会が終わった高揚感に水を差された私達は、ホールで しん と押し黙った。

先生は少し間を置いて、ゆっくり言葉を続けた。
「けれど、プロになると、今日君たちが味わった感動を受けられるような演奏が出来ることなんて殆んど無くなる。それが日常になるから。でも、君たちには今日のこの気持ちを忘れずにいてほしい」

10年前に言われた言葉は、私の心に根を下ろしていて、私はことあるごとにその意味を噛み締めている。

あの時なりたかった「演奏家」に私はなっていて、
でも10年前の私に胸を張って見せびらかしたいような私かというと、なんだか違うような気もしていて、
というか演奏家に「なる」ことは出来ても、演奏家として「生き続ける」ことは本当に苦しいことで、
でも体力と精神力の狭間でもがきながら、何かが掴めそうになったり、深淵を覗き込むことがあったり、する。

けれど、高校時代のあの演奏会の感動を上回る演奏会はなかなか作り上げられずにいた。

今日、楽団の海外ツアーの最終日が終わった。素晴らしい指揮者と、素晴らしいメンバーによるベートーヴェンの第九。
マエストロが映写機を回すと、私達は生き生きと劇を始める。水を与えられた魚のように、空を知った鳥のように、私達は時空の狭間で自由な意思を持って歌うことができる。それがこれほどに幸せなことだなんて。

ああ、私達はベートーヴェンの作曲した交響曲を再現しているのではないのだ。私達の第九なのだ。
このメンバーでこのホールで、このお客さんたちの前で演奏するのは一生に一度なのだ。当たり前の、だけどとても大切なこと。
ゲネプロのときからそれに気がついて、本番が始まるのが楽しくて、悲しくて、仕方がなかった。
この感動を上回る演奏会に、私は生きている間に出会えるのだろうか。
一抹の不安がよぎる。
けれど、それと同時に私はもう知っている。
求めなくては手に入らない。
それを求め続けることでしか私はその景色を見に行くことは出来ない。
なんて辛い稼業なんだろう。
でも、幸せだ。音楽と共に生きられて幸せだ。

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