線路は見えなくても続いてる

このあいだ、幼稚園の頃から知っている男友達からいきなりメッセンジャーで連絡が来た。

「さっき君のことを地元の駅で見かけたよ。帰国していたんだね。ますます綺麗になったと思った」
20年の歳月は、鼻垂れ小僧が女性の機嫌を取れるようになるほどには、長い。
「あら、口が上手くなったわね。見かけたのなら声かけてよ」
「なんか険しい顔で書類を読んでいるようだったから声かけなかった。でも、本当に美しくなったよ」
私はちょうど研究計画書の締切に追われていて、時間さえあれば書類の手直しに追われている時期だった。
ごめんね、と自分の近況を伝えると、
「もうすぐ遠くへ引っ越しをするからその前に一度会おう」
と連絡が来た。

住宅街の中の公園のブランコで、私と彼は待ち合わせた。アイスが食べたい、と呟くと、彼は頷き、目の前のコンビニでハーゲンダッツの期間限定のアイスを買おうと提案してきた。
久し振りに会う彼は、相変わらず外見に無頓着そうな雰囲気を醸し出していたが、それでも天然パーマの髪の毛はきちんと整えられていて、色白の敏感そうな肌もコンビニの蛍光灯の下でつやつやとしていた。
彼は嬉々として私のアイスの代金も支払おうとする。私はレジカウンターにすかさず500円玉を置く。バイトの男子高校生が困ったように私達を見た。

秋風の吹く夜の公園に、時折犬の散歩をする人や、塾帰りらしきジャージの学生が通り掛かる。彼らの日常に間借りをさせてもらっているような、深妙な心地になる。

「俺、小学生の頃に君に『鼻水かめ』とか『顔洗え』ってしょっちゅう怒られてたなあ」
秋風にくしゃみをした彼は、そのままハンカチで口元をぬぐうと、そう呟いた。
鼻炎持ちの彼は、しょっちゅう鼻をぐずつかせていて、級友たちから敬遠されていたのだ。私も当時、彼が手持ちのティッシュを使い切って鼻をすすっているのを見るたびに「ティッシュならあげるから鼻をかめ」と怒っていた。

「しょうがないでしょう、汚かったのだもの」
アイスを食べ終え、ブランコを漕ぎ出した私は、ブランコの揺れに合わせてそう答える。
「君がしょっちゅう俺のことを怒るお陰で、俺は女性恐怖症になった」
高校大学時代に駅や電車で会う度に言われた言葉を再び耳にして、私は笑った。
「それは、本当に私のせい?女性恐怖症の原因となった私とは、学生時代も今も相変わらず喋れてるのに」
「うん、本当は君のせいではなかった。ただ、君の指摘を聞きつけた他の女子が俺のことを面白がって菌扱いしてきたことで、女性が怖くなったのは事実だよ」
きっかけを作ったのが私だったのだと非難されたようで、私はブランコを漕ぐのをやめた。
「私のこと怒ってるわけ?」
ブランコの上に立ち上がり、となりに座る彼を見下ろす。
彼はいつもそうやって、私の弱みを握ったと勘違いしながら私に近づいてくる。まるで、私を謝らせることでしか、私と話すことができないのだと言いたげに。
卑屈で、哀れで、腹立たしい。
「いや、怒っていないよ。感謝している」
彼の言葉がいつもと違う色を帯びていた。その響きにつられて、私はブランコに再び腰掛けた。
「他の女子と違って君は俺のことを菌扱いしなかったし、そういう女子のことも注意していた。言い方はキツかったけどね。君は不潔なのが嫌いなだけで、俺自身をいじめたかった訳じゃないってわかってたから」
当たり前のことを、今更彼は思い出しながら愉快そうに笑う。
「それに当時の俺は確かに汚かった」
「でしょう?今日の君はまぁ清潔でいいと思うよ」
会話の調子を崩した私は、とんちんかんに彼のことを褒めた。彼はありがと、と呟いてから息を吸った。

「俺、今度結婚するんだ。好きな人に出会えた」
彼の言葉が、風を起こした気がした。樹々が葉を擦る音が通り過ぎた。
その言葉の持つ響きはとても綺麗で、暖かい色をしていて、秋の涼しさの中でも冷めることのない光を有していた。
「本当に!?おめでとう!嬉しいな!」
私はブランコから降りて、彼の背中を叩いた。
小さい頃から面倒を見ていた、少し頼りない男の子。私の後ろをくっついてまわっていた男の子。当たり前だけど彼はもう、昔の彼じゃない。彼の世界を見つけて歩んでいるのだ。
それでも、人生の一時期を共に過ごした人と、またこうして出会ってお互いを応援したり祝福したりできることは、なんて幸せなのだろう。

「結婚する相手は、かなり気が強いんだよね。まるで君みたいだ」
「大丈夫、大丈夫。それは君に気を許している証拠だから」
私たちは笑い合った。
彼のお裾分けしてくれた灯が、心にじんわりと広がっていく。私もこの灯をいつか誰かにお裾分けしたいと思った。

#日記
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