名前を知らないあの人

とても親しいわけじゃなくて、だから会おうと約束したこともないのに、よく顔を合わせる人というのがいる。
私の場合はその彼がそうだ。
日本人にしては腰の位置が高く(物理的にも精神的にも)、肩はいかり肩で、いつも浮浪者のようなぼさぼさの髪を無造作にひとつにまとめた彼は、それでも見た目によらないそれはそれは美しい声で歌うのだ。彼が目を見開き息を吸うと、その空間はまるで彩度が切り替えられたかのように色づき加速する。

彼との最初の出会いは、芸大に入学した春だった。
大学に入学したばかりの若者の多くは、はやく多くの友人を作って世界を広げようと必死である。学食や広場へ行くたびに、知り合ったばかりの友人から新たな友人を紹介されることの繰り返しで、私はそろそろ食傷気味であった。

「私、自己紹介するのもう飽きたのよね。貴方の名前もどうせ覚えられないし、貴方も覚えてられないでしょう。だから、しばらく名前知らないまま仲良くしましょうよ」
その日初めて出会った彼に言い放った私の言葉に、周囲の男性たちは顔を見合わせた。
「この子なんだか変なこと言いだした」
しかし彼は、眉を少し持ち上げて
「ああ、面白そうだね。おい、お前らも協力しろよ、俺の名前をこの子に教えるなよ。そして、この子の名前を俺に教えるのもだめだ。先に名前を知った方が負けだ」
私たちは顔を見合わせて「よろしくね」と微笑んだ。そうして我々は友人になった。

それ以来、学食で彼を呼び止める時、体育のバスケでパスを回す時、私たちは「名前を知らない人」とお互いを呼びあった。周りも面白がってそれに付き合った。
「よう、名前の知らない人」
「あら、おはよう。名前の知らない人」
私たちはやがて、それぞれの足音を、それぞれの笑い声を、聞き分けられるようになった。

その勝負は冬まで続いたが、終わりにしたのは悔しいことに私だった。
私はインフルエンザにかかってしまい、登校禁止期間を抜けて、久しぶりに大学へ課題を提出しに登校したところだった。パジャマの上にミンクを引っ掛けた、極めて酷い格好だった。熱に浮かされて、世界がふわふわと変容していく。
課題の提出を終え薄暗い廊下を歩いていると、長身の男性が目の端を通り過ぎた。私は咄嗟に
「名前を知らない人!」
と呼び止めた。
振り向いたその男性は「名前を知らない人」そのものだった。つまり、彼ではなく、本当に知らない人。彼だと思ったのは、熱が見せた幻影だったのだろう。
名前を知らない人と呼び止めた手前、その見知らぬ彼は、私に「お疲れ様です、これから一緒に帰るんですか...」と答えざるを得なかった。
一気に頭の血が下がり身体はさらに火照り、毛皮の内側を汗が伝った。頭を下げて謝りながら、私は固有名詞の必要性を思い知った。

翌日遭遇した彼にその顛末を報告したら、彼は涙が出るほど笑ったあとに、名前を教えてくれた。彼の名前は笑っちゃうほど平凡で、「名前の知らない人」のほうが似合ってたな、と思った。

大学を卒業してしばらくしてから、私は彼の連絡先を知らないことに気がついたが、別にそれで残念だとも思わなかった。それきり彼のことは忘れていた。

彼と再会したのは、留学先のオペラ座。天井桟敷席でパルジファルを観た後の幸福感を胸に、大理石の階段を降りていると、頭上から「名前の知らない人!」という声が聞こえてきた。留学先という、私を知らない人がたくさんいる環境の中で聞いたその声がどれだけ心強かったか。自分の考えを翻訳せずに伝えられることがどれだけ嬉しかったことか。

そして最近また彼に会った。彼はオペラの研修所にいて、私はオケピットでオーケストラの一員として演奏していた。
私たちは練習場でお互いの姿を認めて、ニヤッと笑った。本番中、舞台とオケピットでは、お互いの姿は見えない。それでも私たちはお互いの存在を知っている。そこに結ばれた糸を、人は絆と呼ぶのだろう。
目に見えない糸が縦横無尽に張り巡らされながら、舞台はどんどん創り上げられていく。きっと、そこには私たちの糸もあるし、私たちの窺い知れない絆もあるのだろう。
私の音と彼の声が縒られて、大勢の名前の知らない人たちのもとに届くことを考えると、今からその瞬間が待ち遠しい。

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