春風と甘酒

掃除や洗濯のような日常を整える習慣が、時には自分自身をこの世界に繫ぎ止める命綱のように働く。
そういうことを教わったのは、加奈子さんからだった。

私は彼女との二人暮らしを長年続けてきたけれど、朝学校へ行く前に食器洗いを済ませる習慣や、帰宅してからお風呂を清める仕事をそれは徹底的に仕込まれた。

反抗期の頃の私は、テスト週間にもその習慣を緩めることを承知しない彼女を苦々しく思ったこともある。
けれど、そんな荒れた感情で乱暴に家のことを片そうとすると、何かが歪むのだ。
それは例えば幼い頃に加奈子さんから贈られて大切にしていたマグカップ(ヘレンドの薔薇柄)を割ってしまうということだったり、
お風呂掃除の際にうっかり付けたままでいた腕時計(カルティエのタンク、おばあちゃんの形見)を水に濡らしてしまうことだったり(すぐに外したから壊れはしなかったけど、革のベルトは変色してしまった)、
お洗濯の際にブラジャー(intimissimiの勝負用)とストッキング(wolford のガーターベルト、30ユーロ)をいっしょにネットに放り込んで伝染させてしまうというような結果で私に返ってきた。

その度に私は思い知る。
自分の起こした波風は、自分に返ってくるのではなく、自分の大切にしていたものに当たるのだと。

その時に抱いた感情は、今でも心の隅の綺麗な場所に置いてあって、普段は手に取ることはないけれど、忙しさのあまり家事がおろそかになった時にきらっと光る。
そんな時わたしは、
忙しくなって周りに気が回らなくなると、そのシワ寄せは自分ではなく自分の大切なものにふりかかるから気をつけよう
と深く深呼吸をするのだ。

だんだんと日が長くなってきたな、そう思った矢先のことだった。
仕事帰りにターミナル駅へ向かう途中のバスの車窓からは、西日がビル群を照らすのが見えた。
いつの間にか伸びていた日の長さに感銘を受けたが、その感情は普段なら瞬間瞬間の反応に紛れて意識の外へ消えゆく類いのものだった。
それがいつまでたっても心から去らないことに気がつき辺りを見回すと、バスが標識も信号も何もない場所で静かに止まっていることがわかった。
空調もエンジンも止まったバスの中で、運転手のアナウンスが響いた。
「死亡事故現場のため一時停止いたします」
私の他に何人かいた乗客は皆、イヤホンをしていたり眠ったりしていて、アナウンスに耳を止めたものはいない。私の場所からは運転席は見えなかった。
前乗りのバスだったため、運転席の前を通ったはずだが、運転手の顔は視界に入らなかった。
窓の外を覗き込んでも、そこには特に標識や看板もなければ献花の跡もない。
果たして彼は何故ここが事故現場と知っているのだろう。
そしてどうしてそこで停車するのだろう。
がらんどうの鉄の躯体の密室に、得体の知れない生き物がいる。というよりも、この空間はその生き物の支配下に置かれているのだろう。
そう思った瞬間、私の四肢は冷たくなっていき、痺れ出した。
ああ、私怖いんだ。

バスはやがて駅へ着いた。私は急いで後ろのドアから降車し振り返ることなく駅へ駆け込んだ。
そのバス会社の従業員が過労死していることを、私はまだその時点では知らない。

家に帰り、残照の残る庭の洗濯物を取り込むと、部屋の灯りをつけた。
吹き抜けの居間に吊るされたシャンデリアの電球のひとつが切れているのが目に入った。
納戸から脚立を取り出し灯りを消した照明の下へ置くと、替えの電球を手に、私は登る。
電球のガラスは薄い。
割れないように、落とさないように、そっと手の中でひねると、金属の擦れる音とともに軽いその球は手の中に収まった。
新しい電球に付け替え灯りを灯すと、他の電球の色がくすんでいることに気がついた。おおかた埃のせいだろう。
雑巾とはたきを手に取り掃除を始めると、それまで頭の中を占めていた、あの時の恐怖が薄れて、自分の生活の中に戻っていくのがわかった。

玄関の鍵が開いて、加奈子さんの「ただいま」が聞こえる。
靴を脱ぐ音、廊下を歩く音に続いて居間の扉が開く音。
見おろすとそこには花束を抱えた彼女の姿があって、その花束には薄い桃色の花弁やふるふる揺れる小さな白い花や葉脈が透けるようにみずみずしい葉が束ねてあって、
私は、そうだ、もうすぐ春なのだ、と嬉しくなるのだった。

つづく かも

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