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私と仙台③~初めてのディズスト。怪しげな国分町

「新入生はゴールデンウィークが終わるまで食費がかからない。」

なんのこっちゃ。
当時入学したての私は意味が分からなかった。


入学して数日が過ぎ、初めてできた友達は出身地をかたくなに「横浜」と言う子だった。
「神奈川だったっけ?」
「違うよ!横浜!」

・・・違ってはないのだけど。

仙台に住んで1年後、自分が全く類似の答え方をするようになるのだがこのときの私はまだ知らない。
(「どこ住んでるんだっけ?宮城?」「違う違う!仙台!」)


と、話を元に戻すが、その横浜出身の新しい友達は浪人生で、浪人してる分大学生活に関するありとあらゆる情報を知っていた。
(二外(第二外国語)はフランスと中国はキツイ。スペインがおすすめ。
出席回数を数える先生とそうでない先生がいる。間違っても前者を1限に入れてはだめ。
バイトは塾講が圧倒的に時給良いが、大手の塾の集団授業はコスパが悪い。ねらい目は個人塾。…等々)


そのうちの一つに、「ゴールデンウィークが終わるまでは食費がかからない(ようにすべし)」という訳わからない教えがあった。

その理由とは。
そう。新入生勧誘シーズン、通称「新歓」。

大学のサークルにとって4月は1年で一番大事な時期だ。
何しろ、この1か月の活動でいかに新入生を入部させるかで、その後1年の部の繁栄が決まる。

中でも部員の少ないマイナーサークルは、その年のメンバーの数によって廃部の可能性もなきにしものため、躍起になってあの手この手で新入生を誘う。

まだバイトもせずお金のない新入生を釣るかっこうのえさ、それは「タダ飯」である。

その結果、「しゃぶしゃぶ会」「焼肉会」「寿司会」「ドーナツ会」といった何とも魅力的な勧誘会が、ありとあらゆるサークルで開催される。

このボーナスタイム、目いっぱい使うしかない。
(今思い返しても、あんなにおごられまくった1か月はおそらくもう二度とこない)


そんなわけで、私とハマっ子の友達は、4月の1か月間、毎晩様々なサークルに自ら勧誘されに行った。


仙台で学生が夜集まる場所、といえば国分町だ。
そして国分町でご飯を食べるとき、集合場所になるのは決まって「ディズスト」だ。


「ディズスト6時集合ね!」
そう先輩に言われ、もちろん最初は「???」だった。

例のハマっ子の友達に聞くと、「ディズニーストア」らしい。


ディズストにつくと、前は人、人、人。
どうやら待ち合わせスポットらしく、みんな誰かを待っている。

4月の時期は大学生の団体も多く、もはやだれもディズストに入ってないんじゃないかと思った(そんなことはない)


そして、店へと連れてかれる(ちなみにその日は串カツ会だった。何のサークルだっけな。。弓道?無論これ迄一度たりともやったことない)


・・・なんじゃこりゃ!
初繁華街、そのとき初めて見る店と人の高密度な光景にめまいがしたのを覚えている。

そしてこの先輩は地図も見ず、まっすぐ店へ向かってるけどなんで??
どこの通りも全く同じにしか見えない!
(当時通りの見分けが全くつかず、1年くらいは国分町から家までGoogleMapなしでは帰れなかった。)


怪しげなネオンの店。
今は安心、我が家のような(?)赤提灯の色でさえも、当時は怪しく見えた。


訳わからないサークルに、訳わからない先輩。(失礼)
そして訳わからない怪しい街。

だが、それはとっっても楽しかった。

タダ飯が食べられたからだけではない。


数か月前まで田舎の高校生だったのに。

今、知らない街で、新しい友達と、怪しげな繁華街を歩いている。
その事実が、当時の私にはたまらなく「大人になった」ように感じられた。

右も左も分からない大学生が繁華街を歩く。
歌〇伎町ならほぼ確実に怖い目にあっていたかもしれない。

当時は何もわからなかったが、私の初繁華街が国分町でよかったと思う。
国分町は(キャッチのお兄さんも含め)どこか温かさがある。

もちろん悪い人も全くいないわけではないが、最初は「初めての怪しい街」だったのが、今では「温かい思い出いっぱいの飲み屋街」になった。

もちろん、お酒の失敗、いやな記憶もあるけど。
それはまたいつか。


こうして、「ディズスト」と国分町を大学生活1か月間の新歓で教わり、無事新歓とは全く関係ないサークルに入部を決めた。


仙台時代、幾度となく、様々な人と待ち合わせ、飲みに繰り出し、ときにときめき、ときに涙した(?)思い出の飲み屋街との出会いでした。

(To be Continued…)

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