【つらつら草子㉖】聖地巡礼とか帰国とか

 ドイツ滞在中に㉚までいくかなあと思っていたのだが、3月頭のハンブルク旅行のあとで風邪を引き、一週間寝込んだため、それどころではなくなる。熱が下がらず、これインフルエンザではと思い、インターネットで日本人医師のいる病院を探して訪ねた。最後の最後に散財である。もちろん保険で降りてくるので、保険会社に書類を送ったが、日本の口座だと送金手数料が引かれてしまうため、ドイツの銀行口座に返金手続きをお願いした。が、この口座、果たしてそのままにしておいて大丈夫なのか。口座維持費のかからないオンラインバンキングなのだが、しばらく使わないと凍結されるという話もあり、お金を抜いておくべきか否かで地味に悩んでいる。もしまたドイツに来ることがあるなら、口座にいくらかあったほうが振込などに利用できて便利なのだが、いかんせん読めない。とりあえず、いま入っている金額だけでも抜いておこうかと思う。

 おそらく日本でも「欧州を大寒波が襲う」とニュースになっていたとき、ベルリンやハンブルクもマイナス15度近くまで冷え込んでいた。マイナス14度で乗るフェリー。その一週間後の土曜日は一気に春めいて、ベルリンの気温は16度まで上がる。
 気温幅実に30度。砂漠か。
 帰国目前という、とくに忙しいわけではないが、気持ち的に落ち着かないタイミングで風邪を引いただけでもつらいのに、この寒暖差である。もともと不安定になりがちなメンタルがさらに不安定になり、改めてドイツに定住するのは難しいと感じた。2月末から3月頭にかけてはとにかく寒い寒いと震えていたが、その寒さにも関わらず日照時間はいつの間にか伸びており、気づけば朝は6時には明るくなっている。その、気温と日照時間の噛み合わなさでも若干のパニックを起こした。
 もう長いことお世話になっているカウンセラーに、日照時間と精神状態の関係について質問してみる。こればっかりは個人差が大きく、それこそ宇宙船や潜水艦でもまったく苦にならない人がいる一方で、ものすごく影響を受けてしまう人もいる、と聞き、自分は影響を受けてしまう方だろうなあと感じた。欧州だけでなく、日本海側で暮らすのも難しいだろうと、つくづく思う。

 さて、ハンブルクである。こちらに来るまではまったく知らなかった港町だが、クラスメイトがハンブルクを絶賛していたことと、多和田葉子さんがかつて住んでいたというのを知って、気候的には最悪の時期にとりあえず行かねばと足を伸ばした。小説「ペルソナ」の舞台でもある。
 文学趣味というほどではないが、小説の舞台や作家の住んでいた場所などには足を運んでみたくなる。ミーハー気質なのだと自分で思う。
「道子はアルトナよりも西へ行く時にはなんだか落ち着かなくなるのだった。」という一文に引きずられてアルトナ駅から西の電車に乗る。
 そしてレーパーバーンを歩く。友人に「レーパーバーンてなんですか?」と聞かれて「ハンブルクの飛田新地みたいな」と言ったがそもそも飛田新地が万人に通じる言葉ではない。しかも飾り窓→遊郭というイメージから思わず「飛田新地」と表現したが、実際には歌舞伎町の方がイメージに近い。エルプフィルハーモニーを見学し、フィッシュマルクトでビールを飲む。楽しんだと言うよりも「見るべきものは見た」というやりきった感。歩きすぎて股関節からつま先まで全部痛いという、なんとも大人げない旅行になった。
 
 さて。
 帰国前日なのだが、片付けもあらかたすんでしまい、帰国後のドイツ語試験の勉強でもしようとパソコンに向かってこれを書いている。せっかく時間があるのなら最後の観光でもすればいいのだが、さすがにもうやりきったのと、前日にそこまで動き回るのもなんか怖い、というので家で縮こまっている。この文章も、ひどい悪文だなあと思いながら書き綴っている。「なにかやらなくては」という不安と「もうおとなしくしていよう」との間でパニックになりそうなのを、文字を書くことでなんとか抑えているような状態である。
 万年筆なり財布なり買おうかなあと思っていたのだが、多分日本に帰っても使わないだろうと思い、結局買わずにいる。
 一年間のドイツ生活の総括のようなことを書きたかったのだけれど、いかんせんそわそわそわそわしてしまって、筆がのる乗らないというよりも、指が落ち着かない。寂しさ等よりも、「明日きちんと飛行機に乗れるのか」という不安がひどいので、もうじっとしていたい。飛行機に乗ってしまえば収まると思う。日本が恋しいというよりも、この不安が早く終わって欲しいという意味で、早く飛行機に乗ってしまいたい。それが終わればまた次のタスクが迫ってくるのだろうけれど。
 また改めて、ドイツ生活のまとめは書きたい。

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